山口百恵(1)〜 千家和也時代と性抑圧の構造
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山口百恵 / GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション
だいぶ前に買った山口百恵の『GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション』(2009)。CD 二枚組で全38曲。引退後リリースの三曲や若干の B 面曲をふくめ百恵のシングル盤 A 面曲(31曲)の全集です。これをついこないだふと思い出してじっくり聴きかえしたら思うところがあったので、二日間にわたりちょちょっと記しておきます。
山口百恵にかんしては、レコード・デビュー(1973)から、っていうよりもその前のオーディション番組『スター誕生!』出演(72)から、引退曲「一恵」(80)まで、ちょうどぼくがテレビの歌番組に夢中だった時期とピッタリ一致していますので、番組で歌われていたシングル・ナンバーはすべて憶えています。アルバムを聴いていても、かなりなつかしいという気分がこみあげてきましたね。いまでも歌詞もメロディも頭にあります。
しかし、いま聴きかえすと、デビューから1976年の「赤い運命」(「愛に走って」B 面) あたりまでははっきり言って聴くに耐えないといった印象すらありますね。なにがダメといって歌詞です。すべて千家和也。千家の歌詞がもうどうしようもないと思うんです。男尊女卑の極みで、女性はひたすら耐えて男性のために尽くすのが愛のかたち、幸せであるという古色蒼然たる女性蔑視のセクハラ的恋愛観に貫かれているんですね。
たとえば「青い果実」(73)。「あなたが望むなら私なにをされてもいいわ」という出だしの歌詞だけでヘドが出そうじゃないですか。男性優位の価値観に完全に立脚したフレーズで、女性は黙って男性の言うことを従順に聞いていればいい、それが女性のつとめ、幸せなのであるというセクハラ的考えに沿った歌詞ですよね。
このフレーズが有名になった百恵の「青い果実」は大ヒットして、この路線がその後もずっと続けられることになったのでたちが悪いですね。たとえばこれも大ヒットした「ひと夏の経験」(74)。「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」と出てきます。このフレーズは曲のなかでなんども反復されるキー・フレーズになっているんですけど、まったくもってなんというか、こう、ウゲェ〜と思っちゃいますよね。
百恵のこの手の(世間で言うところの)<青い性>路線には、中学生だった当時からぼくは個人的に違和感を持っていて、こんな歌詞を歌わせていいのかなぁ、だって歌手もまだ中学生でしょう、どんな曲をもらい歌うか自分で選択できないだろうし、だいいち大人、それもどうしようもない男がまだ十代前半の女性歌手に押しつけてこんな歌を歌わせるのはどうなんだ?嫌だなあと、テレビで聴きながら思っていましたね。
今回知ったことですけど、百恵本人もこういった路線はちょっとどうかと思っていたみたいで、歌で形成される歌手としてのイメージと自己との乖離に悩んでいたようです。「ひと夏の経験」の「女の子のいちばん大切なもの」とはなんですか?みたいな質問をマスコミから散々浴びせられウンザリしていたそうで、後年「処女とでも言えばよかったのか」と発言しているくらいです。
リアルタイムでは個人的にこれら「青い果実」と「ひと夏の経験」がかなり強烈な(ある意味ネガティヴな)印象となって残っているものなんですけど、千家和也の書いた男尊女卑セクハラ的な歌詞はほかにもひどいのがたくさんあるんだということを今回 CD で聴きなおし知りました。
「ひとつだけ教えてください、倖せになれるでしょうか」(「湖の決心」75)、「あとどのくらい愛されますか、あとどのくらい生きられますか」(「ありがとう あなた」75)、「ねえ、綺麗なまま生きることは無理なのかしら、ねえ、私たちも愛し合うといつかは汚れてしまうのかしら」(「白い約束」75)、などなど枚挙にいとまがないです。
これらの(当時も現代的視点からも)堪えがたい歌詞はすべて千家和也の書いたものなんですけど、上でも暗示しましたように、ここには力を持っている製作陣や男性ソングライターとそれを無理に歌わせられる十代の女性歌手という、典型的性抑圧の構図があったのです。中学生当時から歌を聴いて「なにかおかしい」「これでいいのか?」「嫌いだ」とぼんやり感じていたぼくのフィーリングは、いまではそれがなんなのかこのように明言することができます。
大切なことは、歌手としての百恵自身、これらの<青い性>路線の曲を歌っていた時期にはまだ成熟していなかったということです。声質も幼いし歌いかただって未熟です。さらに曲やアレンジだっていま聴くとダサくて聴いていられないと思うほどじゃないですか。メロディは暗く陰鬱で、まるで陽の差し込まない部屋のなかでうつむいているような、そんな雰囲気です。
アレンジ面では管楽器、特にトランペット・セクションの頻用が目立ちますが、ダサいのひとこと。特に歌メロとユニゾンでパラパラッと合奏するあたりでゲンナリしてしまいます。時代のものかもしれないっていうか、1970年代までの歌謡曲では常套のアレンジ手法だったかもしれませんが、いまやとても聴いていられない、耳に入れているだけでどうしようもないと思うようなアレンジだと思います(この時期百恵のアレンジをやったのは馬飼野康二が多い)。
いちばんの問題は、百恵の歌うあきらかに性をテーマに扱った曲のメロディやアレンジが陰鬱で、明るさ、楽しさ、健全さがないということです。セックスの問題は隠さなければならないのだという間違った性意識にもとづいたものであったのだと明言できます。時代だった、そういう社会だった(日本だから?)ということかもしれませんけれどもね。
上で書きましたように、こんな世界に強い違和感を抱いていた百恵本人の発案で、1976年の初夏に阿木燿子・宇崎竜童コンビをソングライター・チームに起用、できあがった「横須賀ストーリー」で百恵はイメージを一変します。男性に従属する抑圧された少女という姿を脱ぎ捨て、自立した女性像を歌で確立していくことになるのです。この話は明日。
(written 2020.5.26)
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