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住民交換前のアナトリア半島にレンベーティカの祖先を見出す 〜 カフェ・アマン・イスタンブル

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Cafe Aman Istanbul / Fasl-ı Rembetiko

カフェ・アマン・イスタンブルというグループというかバンド。2009年結成らしく、ギリシアとトルコのミュージシャンたちのミックスとのことです。その2012年デビュー作(いまだこれしかないはず)『Fasl-ı Rembetiko』を思い出すきっかけがありました。

2012年にエル・スールでこのアルバムのCDを買ってなんどか聴いたんですけど、そのときはさほど強い印象を抱かず、そのまま忘れてしまっていたような気がします。こないだ、たまたま偶然Spotifyで遭遇し、あっ、これ見たことあるジャケットだぞ、グループ名も、って再会したというわけです。

それで、あのころはイマイチな印象だったけど、ジャケットはずいぶんいいし、ちょっと聴きなおしたらどんな感じかなぁと思って、Spotifyで聴いてみたんです。すると、けっこういいな、楽しい音楽だなと感じましたから、時間が経つと音楽の印象って変わるもんですよ。こういうことがあるから、一、二聴してイマイチだと感じた音楽をすぐに見捨てちゃダメです。

カフェ・アマン・イスタンブルのアルバム『Fasl-ı Rembetiko』は、トルコの老舗レーベル、カランからリリースされていますが、バンドの編成はヴォーカル、ヴァイオリン、ブズーキ、ウード、パーカッション、ギター、ベース、カヌーン。それにダンサーが複数名くわわっているそうです。これだけとってもトルコ/ギリシア混成だっていうのがわかりますね。

しかし肝心の音楽の中身はというと、トルコ(古典歌謡)とギリシア(レンベーティカ)の折衷というよりも、もっとグッとギリシアのスミルナ派レンベーティカ寄りになっていますよね。バンド人員にトルコ人もいるわけですが、あのころの、つまりオスマン帝国時代には、アナトリア半島にギリシア人コミュニティがあったし、ギリシア音楽ともトルコ音楽とも区別のつきがたい音楽をやっていて、そこにトルコ人も協力していたはずですから。

正確には、トルコ領内のギリシア正教徒とギリシア領内のイスラム教徒がいたわけで、希土戦争後の1923年の住民交換で、前者はギリシアに、後者はトルコに、それぞれ送還されました。それ以前の、アナトリア半島内で育まれていたオスマン音楽のなかに、のちのトルコ古典歌謡&ギリシアのレンベーティカの祖型みたいなものが育まれていて、それにかかわったという意味ではトルコ人もギリシア人も同じだったのです(トルコ共和国設立が正確には1924年)。つまりはトルコもギリシアも、オスマン帝国内では同一国家の領土内だったのであって、だから音楽の交流もどんどんあっただろうなと想像できるわけですね。

それにしては、カフェ・アマン・イスタンブルの『Fasl-ı Rembetiko』はスミルナ派レンベーティカの色が濃いですが、ギリシアのレンベーティカの故郷というかルーツを、19世紀末〜20世紀初頭のイスタンブルをはじめとするアナトリア半島に見出そうとする試みなのだということでしょう。だから、トルコ歌謡色は薄く、ほぼ全面的にギリシアのレンベーティカ色に染まっているというわけです。

こういった音楽、いまのトルコで聴くことはできない、っていうか1923年の住民交換後はアナトリア半島で聴けなくなってしまったわけですけど、文化の歴史というものはそうそう簡単にゼロになったりするものではなく、21世紀になってもカフェ・アマン・イスタンブルのこのアルバムがトルコのカランからリリースされたりするのでもわかるように、いまでも脈づいているものなんでしょうね。

(written 2020.10.12)

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