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ワン・コーラスの美学 〜 ウィントン・マルサリス『スタンダード・タイム Vol. 3』

(6 min read)

Wynton Marsalis / Standard Time Vol.3: The Resolution of Romance

ウィントン・マルサリスには「スタンダード・タイム」と題したアルバム・シリーズがありますが、いちばん好きなのが1990年の『スタンダード・タイム、Vol. 3:ザ・リゾルーション・オヴ・ロマンス』。っていうかこのシリーズでもほかに楽しめるものがあるのだろうか?というのが正直なところですけど、全般的にイマイチおもしろくないウィントンの評価などもふくめ、今日はさておきます。この『Vol. 3』はいいんですから、そのことだけ言えばオーケー。

編成はワン・ホーン・カルテットで、当時のウィントンのレギュラー・メンバーからベース(レジナルド・ヴィール)とドラムス(ハーリン・ライリー)だけ起用して、ピアノを父エリスに設定したのもこのアルバムが成功作になった大きな要因だと思えます。実際、エリスはベテランらしい控えめかつ堅実な演奏ぶりで、ツボを決して外さず、ときにリリカル&華麗に弾いたりと、緩急を心得ていて、実に好感が持てますね。

ウィントンもふだんの派手な表情や大上段にふりかぶったような気負いがなく、エリスのおだやかなピアノに触発されたか抑制の効いた落ち着いた吹奏ぶり。音色からフレイジングからしっとりして丸いっていうのがこのアルバムでの特徴なんですね。演奏時間をだいたい2〜3分程度内におさめてあるのもちょうどいい按配で、聴きやすく、曲そのものをストレートに演奏することにつながって、本当にすばらしいです。

ウィントンはストレートなオープン・ホーンでだけでなく、アルバム・ジャケットに写っているように各種ミュート器を曲によって使い分けているのも聴きどころ。多彩な音色で楽しませてくれます。また、とりあげるスタンダード曲も快活調のものを避け、ほぼバラードばかりにしぼってあるのだって大きな成功因ですね。エリスのリリカルなピアノがそれによく似合っていますし、ふだんからどうもグルーヴしないウィントンのトランペットもバラードなら上々です。

そしてこのアルバム最大の美点は、ウィントンがだいたいどの曲でもテーマ・メロディだけのワン・コーラスしか演奏しないっていうところにあるんです。アド・リブ・ソロを吹く曲がまったくないわけじゃないですが、ほぼなしとしてさしつかえないんじゃないですか。ソロはエリスのピアノに任せてあるんですね。このアイデアが奈辺から来たものかわかりませんが、ふだんは吹きすぎのウィントンにしてワン・コーラスのテーマ・メロディだけに限定したのがちょうどいい抑制美につながっているように思え、好感が持てます。

とりあげている曲のなかにはこのアルバムのために書いたウィントンのオリジナルも三曲だけあるとはいえ、ほかはすべてよく知られたスタンダード・バラードばかり。美しいメロディを持つことでは上に出るもののない極上品ばかりです。だから、ウィントンとエリスやコロンビアの製作陣は、そんな美しいメロディを最大限にまで活かして聴き手に届けようと考えたんじゃないでしょうか。

たとえばこれはウィントンのオリジナルですが出だし1曲目の「イン・ザ・コート・オヴ・キング・オリヴァー」。バラードと言いにくい曲調ですけど、ウィントンはやはり書いたテーマ・メロディしかほぼ吹いていないでしょう。あいまにエリスのピアノ・ソロがはさまっているだけです。アルバムのどの曲もそんなマナーで進むんですね。

聴くたびにうっとりしてしまうのが2曲目のスタンダード・バラード「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」。オープン・ホーンのきれいな音色でウィントンはワン・コーラスだけ、テーマ・メロディだけを、ただひたすらていねいに、美しく、吹き上げるだけ、それだけなんですね。そしてそれだけでこの1分44秒のトラックぜんぶなんですね。な〜んてすばらしいのでしょうか。こんなにきれいなトランペット演奏、バラード吹奏は滅多に聴けるもんじゃありません。ため息がでますね。

冒頭のエリスのピアノ弾き出しもキラめいていてステキな4曲目「ウェア・オア・ウェン」。ここでもウィントンが演奏するのは決められたテーマ・メロディだけなんです。そのワン・コーラスの演奏だけでトラックができあがっています。その他だいたいどの曲でもそうで、たったワン・コーラスだけ、美しいスタンダード・メロディを心を込めて、ていねいにやさしくおだやかに、ただそれだけをウィントンは実行しているわけなんです。

それでこんなにみごとなアルバムに仕上がっているんで、ひとつにはもとから曲のメロディが美しいから、つまりむかしからあるスタンダード楽曲がすぐれているから、というのがあります。くわえて、それをフェイクせず、ただストレートにそのまま演奏するだけただそれだけ、っていうウィントンの姿勢にも共感をおぼえますね。できあがりのこのアルバムを聴けば、もう絶品だとして称賛するしかないんですから。

そんなウィントンの円熟の吹奏ぶりをサポートするエリスのピアノ演奏も好感の持てるもの。ムダな音がなく、要所だけを着実に押さえていくといったベテランならではの味がありますよね。このアルバムの、ある意味では主役であるとも言いたいほど。そして、アルバムにはウィントンが吹かないピアノ・フィーチャー・ナンバーが数個あるんです。

7曲目「ア・スリーピン・ビー」はピアノ・トリオ、10「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」の前半もトリオ演奏で、ビル・エヴァンズで有名な12「マイ・ロマンス」とラスト21「イッツ・トゥー・レイト・ナウ」の二曲は無伴奏ソロ・ピアノなんです。しかもそれらはどれもチャーミングでキュートな小逸品でしょう。

特にアルバム・ラストの「イッツ・トゥー・レイト・ナウ」。同じく独奏の「マイ・ロマンス」もそうですが、ここでエリスもワン・コーラスしか弾かないんですね。そんなやりかたで、もとの曲の持つメロディの美しさを最大限にまで引き立てているんです。原旋律を(ウィントン同様)崩さずそのままストレートに弾くエリス。「イッツ・トゥー・レイト・ナウ」ではメロの切なさに、特にサビ部分で、聴いていて感極まって泣きそうになっちゃいますね。

(written 2020.4.5)

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