現代性と回顧性との共存 〜 米津玄師
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米津玄師 / STRAY SHEEP
米津玄師(よねづけんし)の『STRAY SHEEP』(2020)。昨年リリースのこのアルバムを、2021年に入ったあたりから愛聴しています。どこがいいって、曲と声です。テレビの音楽番組などで、2019年あたりから、米津の「パプリカ」をFoorinが歌っているのを耳にしていただけのころはフ〜ンとしか感じていなかったんですけど、アルバムで本人ヴァージョンを聴いたらぶっ飛んでしまいましたねえ。
その「パプリカ」にしてもそうなんですが、米津の書く歌にはどこか「なつかしい」フィーリングがあるなと感じるんですよね。2020年の作品だし、このシンガー・ソングライターも1991年生まれなのに、59歳のぼくが聴いて、むかしからなじんでいる世界にひたっているような気がするっていう、そんな不思議な感覚にとらわれます。
ひとによってはそれは日本的感覚ということになるんでしょう。うん、そういうことかな、とぼくも感じています。曲のメロディ・ラインが日本人の感覚にフィットする、古来からある日本人的DNAに訴えかけてくる、そして米津は無意識にではなく意図的にそんなサウンドやメロを書いているんじゃないかという、そんな気がするんですよね。
じっくり聴き込むと、リズムやサウンドの細部にまで工夫が凝らされているんだなということがわかってきて、コンテンポラリーなJ-POPとしてアピールできるようにていねいにつくりこまれているなという、そんな印象もいだきます。ビートやベーシック・トラックはほとんどのばあいコンピューターを使った打ち込みのようですしね。
現代性と回顧性との共存、それがぼくにとっての米津の『STRAY SHEEP』最大の魅力で、なんど聴いても心地いい、なんどでも飽きずに聴ける、聴くたびにあらたな発見がある細部へのこだわり、といった部分がチャーミングで、ほんとうにもうこのアルバムに惚れてしまいました。
やっぱりこのアルバムの最大の魅力は、曲のメロディのなじみやすさ、聴きやすさ、ていねいなアレンジでつくりこまれたサウンドの耳なじみのよさ、そして米津の声のトーン、曲やパートごとでの声の表情の豊かな変化、それによってリスナーの心理を微妙に揺らすあたりの小憎らしさ、といったところでしょうか。
2020年代の最大のヒット・アルバムであり現代のJ-POPでありながら、ぼくらのオジサン世代にとってなつかしいあの時代の、つまり1970年代的な歌謡曲の、ああいった世界をも思い起こさせる「なつかしさ」がくっきりと曲のメロディの動きに刻まれていて、快感です。
(written 2021.2.14)