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SNPの躍進とナショナリズムの再定義-国のかたちを再想像するスコットランド

(この記事はシノドスに2015年6月に掲載されましたが、海外からのアクセスをシノドスが禁じているようなのでここに再掲載します。)

はじめに

2015年5月のイギリス総選挙で、スコットランド国民党(Scottish National Party = SNP)が議席を6から56に急増させ脚光を浴びた。

過半数以上となる331議席を獲得し政権を組んだ保守党、232議席の労働党に次いで、SNPはUK全体の第三党となっただけではなく、スコットランドにおいては50%の得票率、59議席の9割以上を占める地滑り的勝利であった。選挙前から世論調査等でSNPが躍進することは予想されていたが、56議席という結果は予想を大きく上回るもので、SNP党首のニコラ・スタージョンも驚きを隠せない様子であった。

SNPの躍進について、日本語メディアで様々な解説が行われているが、いずれもロンドンにおける報道をまとめた程度のものが多く、正確さや理解の深さに欠ける。「スコットランド独立は不可避」といったセンセーショナルな見出しをつけたり、SNPの躍進を「反イングランド感情」や「ナショナリズムの台頭」に結び付けるなど、不正確なだけではなく、誤解を招きかねない解説が広まっている。

本考察では、現地の情報・解説と世論調査等のデータを分析・参照し、SNPの躍進を、これまであまり日本で紹介されてこなかったスコットランドにおけるナショナリズム概念の変化と関連させ、より実態に即した解説を試みようと思う。

「ナショナリズムの台頭」

総選挙にむけたキャンペーンの間、世論調査は一貫して保守党と労働党いずれも組閣に十分な過半数の議席を獲得できず、第三党、第四党に支えられた連立政権あるいは少数政権の見込みが強い、という結果を示し続けた。一方SNPは昨年9月の住民投票後支持を伸ばし、40議席超を獲得し第三党になる可能性が高いと見られてきた。したがって総選挙の展望は、自民党、英国独立党に支えられた保守党政権、あるいはSNPの支持を受ける労働党政権との争いとなった。

これを受け保守党は、労働党とSNPを牽制するために、イングランドで根強く広まっている「スコットランドは不当に多額の公的資金を受けている」、「イングランドのお金がスコットランドに流れている」という猜疑心、反スコットランド感情を煽るキャンペーンを展開した。このキャンペーンが実際どれほどの影響を与えたかは未知数だが、結果として保守党は単独で過半数の獲得に成功した。

労働党、あるいは労働党よりのメディアは、選挙前から保守党に煽られたイングランド・ナショナリズム、そしてSNPのスコットランド・ナショナリズムに対する危機感を募らせ、選挙後はその二つのナショナリズムに敗れたという論を張った。敗北を喫した労働党党首のエド・ミリバンドが、「スコットランドではナショナリズムの台頭に屈した」と発言したことも、この見解を後押しする結果になった。

こうして、総選挙はイングランドとスコットランドの二つのナショナリズムの台頭を促した、という言説がロンドンのメディアを中心に形成されるに至った。

日本メディアの多くはこうした見解をそのまま採用し、SNP支持の増加を昨年の住民投票以来続くナショナリズムの高揚によるものとした。それを敷衍して「独立は不可避」、「新たな独立闘争始動」という見出しも見られ、一方でスコットランドではそもそも反イングランド感情が根強く、それがSNP支持の基盤になったという解説も見られた。

こうした見解は、SNP支持者はナショナリストあるいは民族主義者であり、SNP支持の増加はそのまま独立運動につながるという短絡的な決め付けに基づいたものである。当然ながら、実際はそう単純ではない。

「スコットランド人意識」の低下

そもそも、SNPを支持する有権者はナショナリストあるいは民族主義者なのだろうか?

この前提が正しければ、1997-9年の権限委譲以来SNPが着実に支持を増やしていることは、ナショナリストあるいは民族主義者が増加していることを意味するはずである。そして民族主義的スコティッシュ・ナショナリストは、何よりも自分をイギリス人ではなくスコットランド人とみなし、祖国に誇りを持つ愛国者であるはすだ。

過去の選挙結果を見ると、SNPの得票率は、スコットランド議会選挙で1999年の28.7%から2011年の45.4%へ、UK議会選挙で2001年の20.1%から2015年の50%へ増加している。しかしスコットランド人の国民意識に関する世論調査によると、自らをスコットランド人とみなす人の割合は年々減少しており、むしろ自らをスコットランド人なおかつイギリス人とみなす人の数が増えてきている。

SNPの支持は着実に増加する一方で、自らをスコットランド人とみなす人の数は減ってきていることになる。これは、SNPを支持する有権者は民族主義的ナショナリストという前提が間違っていること、つまりスコットランド政治を国民意識ないしアイデンティティの観点で考察することは有効ではないことを意味する。

「独立は不可避」か

またSNPの地滑り的勝利は、日本のメディアが報じるように独立運動に拍車をかけるのだろうか?

SNPは総選挙のキャンペーン中、独立や住民投票についてはほとんど言及しなかった。スコットランド議会の選挙でSNPが住民投票開催を公約に含め、過半数の議席を確保し、UK政府との交渉を得て住民投票を民主主義的かつ法的に有効なものにした上で開催する、というプロセスが昨年の住民投票で確立した以上、SNPが再び住民投票開催を狙うのであればそのプロセスに従うだろうし、そうである以上UK議会選挙は関係がないからである。

来年のスコットランド議会選挙でSNPが住民投票開催を公約にする可能性はあるが、一方SNPとしても、性急に住民投票を開催し、再び敗北することは避けたいであろう。そもそも、住民投票で独立支持派が敗北した要因である独立スコットランドの財政、通貨、EU加盟といった諸問題はいまだに未解決なのだ。スタージョンも、次の住民投票を開催するためは何かしらの「重大な変化」が必要であると述べている。

住民投票後の世論調査でも、独立支持・不支持の割合はほぼ横ばいであり、住民投票を開催すべきかどうかという問いについても、2年以内が2割程度、2-5年以内が2割程度、5-10年以内が2割程度と、特に性急な住民投票についての支持は見られず、また総選挙キャンペーン前後でも特に大きな変化はない。これはSNP支持がそのまま独立支持に直結しないことを意味する。

SNPによるナショナリズム再定義の試み

これまで見たように、SNPの躍進は民族主義的ナショナリストの増加、あるいはナショナリズムの台頭を意味するわけではない。また、SNP支持は独立支持に直結するわけでもない。

では有権者はなぜSNPに票を投じたのか? それを理解する鍵となるのが、SNPによる長年のナショナリズム再定義の試みである。

日本と同じように、UKにおいてもナショナリズムは民族主義的、排他的かつ狭量、政治に分裂と混乱を呼び込む危険なものとして見られてきた。SNPはその名前からして支持者は英語でnationalistと呼ばれることもあり、スコットランド独立のみを存在意義とした泡沫政党からモダンな国民政党として生まれ変わるためには、こうしたナショナリズムの否定的側面とは距離を置く必要があった。

かつてのSNPは、党大会にはバグパイプやタータン、キルトがあふれ、愛国的、反イングランド的、民族的要素が主流であった。1970年代までは、党のマニフェストでもイングランドのスコットランドに対する不当な支配や影響力、またそれによるスコットランドのイングランド化を危惧する主張が見られたが、そうした反イングランド的要素は、反保守党、反ウェストミンスターといった政党批判、制度批判のレトリックに取って代わられ、一方で文化、歴史、伝統といった民族的要素が姿を消し、包括性、多文化、市民主義が強調されるようになった。

(画像:1967年のUK議会ハミルトン補欠選挙で勝利したSNPのウィニー・ユーイング。右手にバグパイプ、そして左奥には「バノックバーン」と書かれたスコットランド国旗が見える。バノックバーンは1314年、スコットランド独立戦争の際にスコットランド軍がイングランド軍を破った戦いであり、スコットランド独立闘争のシンボル的意味を持つ。SNPに反イングランド感情、民族主義的要素が強かったことを示している。©AP)

独立論に関しても、SNPはかつてはUKとEUからの独立を志向していたが、1980年代にはEU加入を前提とした「ヨーロッパにおける独立」に路線を変え、さらに近年ではUKとの王室、通貨、社会的繋がりを維持した上での「UKにおける独立」を主張するなど、かつての選民主義的なスコットランド中心の独立論から、EUとUKとの繋がりを維持した上での現実的な協調主義的、国際主義的独立論にシフトしてきている。

またアレックス・サモンド指導下における中道左派的社会民主主義の導入は、SNPへの支持の増加傾向に拍車をかけた。これにより、SNPは独立は最終目的ではなく、より公平で平等な社会の確立のための手段であると論じることが可能になった。一方でSNPは、イギリスの政治体制=ウェストミンスターを旧態依然とした保守的で硬直したシステムであると批判し、自らの推進する進歩主義の対極にあるものと論じた。

このようにSNPは、反イングランドから反ウェストミンスター、選民主義的自国中心主義から協調と連帯を重視する国際主義、固有の文化から多文化、歴史と伝統に基づく民族主義から包括的市民主義、目的としての独立から通過点としての独立にその主張をシフトさせ、自らに付随するナショナリズムの概念を再定義していった。

SNPにナショナリズムがあるとすれば、それは党首のニコラ・スタージョン、あるいはスコットランド政府ヨーロッパ・国際関係担当大臣のハムザ・ユーサフに代表されるナショナリズムと言って良いだろう。

スタージョンは労働者階級出身で、無償の大学教育の恩恵を受けて弁護士となるなど、進歩主義的社会民主主義の可能性を体現したようなリーダーであり、また次世代のSNPリーダーの一人と目されるユーサフは、パキスタン人の父とケニア人の母の間に生まれた移民二世のスコットランド人で、イスラム教の信徒であり、SNPの多文化性、包括性を象徴する一人である。こうした政治家の存在が、社会民主主義と包括的市民主義を掲げるSNPのイメージの変化に貢献してきたであろうことは想像に難くない。

(画像:ニコラ・スタージョンとハムザ・ユーサフ)

「ナショナリズムではなかった」

総選挙におけるSNPの地滑り的勝利は、昨年の住民投票により独立賛成派が政治活動に活発になったこと、UK政府の更なる権限委譲の約束に対する失望、労働党が労働者階級から蛇蝎のごとく嫌われている保守党と手を組み支持を失ったこと、などが大きな要因であったことは確かである。

しかしその背景には、長年にわたるSNPのナショナリズムの再定義の試みがあったことを忘れてはならないだろう。SNPのナショナリズムは社会民主主義と包括的市民主義に基づいており、伝統的な民族主義的ナショナリズムとは対極にある。それは民族(ネイション)概念に重きを置いていないため、ナショナリズムというよりはむしろ国のあり方、スコットランドをどういう国にしたいのか、についての青写真、想像図のように感じられる。

SNPはナショナリズムを脱民族化し、包括的市民主義と社会民主主義の要素をその柱にすえた。これによって、有権者はSNPをナショナリズムの政党というよりは、福祉国家を保持し、より寛容で公平で平等な社会を目指す進歩主義の政党として理解するようになったのである。

スコットランドで取材をし、選挙後に分析を行ったジャーナリストの記事はその様子を明確に捉えている。チャンネル4は「いつになったらイングランドの政治家はスコットランドとSNPを理解するのか?」と題された記事で、エド・ミリバンドの「スコットランドではナショナリズムの台頭に屈した」という発言に対し、「SNPのキャンペーンはナショナリズムではなかった」と異議を唱えた。同記事は、SNPの勝利は反緊縮財政、反核兵器といった進歩主義のメッセージが受け入れられたからだと論じた。

またガーディアン紙の記事は、今回の選挙で初めてSNPに投票したグラスゴーの元労働党活動家の「私も他の人と同じように、ナショナリズムという概念に反対でした。しかしニコラ・スタージョンを見て考えが変わったんです。いまではSNPのナショナリズムという言葉がそれほど気になりません。言葉が再定義されて、それは(国として)自尊心を持つことだという意味になったからです」という発言を紹介している。

また同記事で、グラスゴー大学神学部のダグラス・ゲイ師は「英国の他の部分には伝わっていませんが、スコットランドで起こっていることはナショナリズムの解毒化です。権限委譲以来、ナショナリズムは特に大きな問題ではなくなったのです。人々はナショナリズムが社会民主主義を意味するようになったことを受け入れましたが、労働党にはそれが理解できなかった。スコットランドは自らの新しいあり方を想像してきたのですが、労働党はそれをしなかった」と述べている。

実際、投票後の世論調査では、SNPに投票した要因として、「理念と価値観を信用した」という回答が91%と、他の政党に比べ高い数値を示したことがわかっている。SNPの理念と価値観がナショナリズムではなく、反緊縮財政や反核兵器等に代表される進歩主義的政治であることは明確であろう。

終わりに-国のかたちの想像力

スコットランドの有権者は反イングランド感情や排他的民族主義に煽られてSNPに票を投じたわけではない。そうした有権者がいないわけではないが、どの社会にもそうした要素は一定程度存在するし、SNPはそうした要素とは距離を置くことに尽力してきた。反イングランド感情や排他的民族主義は、SNPの問題というよりスコットランド社会全体の問題と捉えるべきであろう。

SNPの勝利をナショナリズムの台頭や反イングランド感情に帰するのは、ただ単に短絡的で不正確なだけではなく、SNPの長年のナショナリズム再定義の試みや、SNPが推進する進歩主義的社会民主主義に魅力を感じて熟慮の末に票を投じた有権者の葛藤、思索、希望を無視する点で、思慮に欠けた見方であると言わざるを得ない。

総選挙に関する日本語の報道の多くがそうした短絡的な見方を無批判に採用してしまったが、それがナショナリズムには民族主義だけではなく、別の形がありうることを理解できない想像力の欠如によるものだとしたら、これほど残念なことはない。

というのも、愛国を称する排他的民族主義者によるヘイトスピーチが問題となり、歴史問題をめぐる近隣諸国との関係が悪化の一途をたどる21世紀の日本で求められるのは、狭量な民族概念にとらわれない新しい国のあり方の青写真、想像図であり、SNPのナショナリズムの再定義、脱民族化の試みは、それが可能であることを示している。

スコットランドは人口500万、北海道程度の小さな国であり、固有の社会問題が山積みである。SNPも完璧な政党とは程遠く、スコットランドで8年間政権についている間、財政、教育、医療等での問題が顕在化してきている。

しかしその小さな国では民主主義が活性化し、あり得る国のかたちを巡り人々が想像力を膨らませている。日本の内向き志向、閉塞感が顕著になっているが、いま日本で求められているのはこうした想像力ではないだろうか。


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