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なぜ伝統を残さなきゃいけないの?

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「伝統を残し、伝えていきましょう」

こういった類の発言は、テレビや新聞などのメディア、あるいは個人間の会話においてもよく耳にします。

そして、多くの人は特に疑問を持つことなく「うんうん、そうだよね」と何となく納得しているように思えます。

まるで、伝統を残すことが無条件に良いことであるかのように、です。

今回の記事では、前半にまず、こういった空気感に対して僕が感じる「違和感」「危機感」について書きます。

そして後半では、伝統を残すべき理由について、僕なりの見解をしっかりと順序立ててご説明したいと思います。


⒈「なんとなく」容認される伝統の価値

伝統というものは何となく「ありがたい」ものであり、「後世に伝え残していくべきものである」という考え方は、どうやら世間に広く浸透しているようです。

しかし改めて、「なぜ伝統を残さなければいけないのか」と聞かれたらどうでしょうか。

例えば小さい子供に、あるいは、地球の歴史も文化も何も知らない宇宙人に「なぜ、伝統文化を残さなければいけないの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?

宇宙人 :「なぜ伝統文化を残さないといけないのですか?」

おそらくほとんどの人が、「そういうものだから」とか「大切だから大切にしなきゃいけない」という、フワッとした回答になってしまうのではないでしょうか。

こういった回答は、「なぜ勉強しなきゃいけないの?」という疑問に対する「いいから勉強しなさい!」くらい、無責任な回答だと僕は思っています。

子供の頃、私たちは大人たちのこういう回答に納得できなかったはずです。

にも関わらず、大人になった私たちは、それと同じくらい乱暴な論理を振り回して、伝統を擁護しようとしています。

(唯一違いを上げるとすれば、説明する対象が大人である場合、大人は「納得したフリ」をしてくれるということです。大人は「建前」を使えますからね。)

そして(更に良くないことに)、伝統の価値をしっかり説明できないのは、伝統文化にあまり関わりのない一般の人に限った話ではありません。

実は伝統産業に身を置く人ですら、そのほとんどが『伝統を継承する価値を言語化できていない』のではないか、と僕は感じています。

⒉ で、何が問題なのか?

とはいえ、「伝統文化は(何となくではあるが)ありがたく、価値あるもののように思われている」わけで、これ自体は一見何の問題もないことのように思えます。

ネガティブな印象を持たれているならまだしも、ポジティブな評価を受けているわけですから、わざわざこのことをほじくり返す必要はないのでは?と思う方もいるかもしれません。

しかし、これには大きく分けて2つの大きな弊害があります。

弊害1 : 強み・弱みがわからなくなる

「伝統文化」というと、何やら隔絶された世界の話のように聞こえるかもしれませんが、現代の市場経済においては全くそんなことはなく、他のモノやサービスと同じ棚に並べられます。

和楽器を習わなくなった子どもたちが、その代わりに時間とお金を投下しているのは、フォートナイトやマインクラフトやNetflixやYouTubeです。

伝統産業も他の産業と同じように、世界的なメガテック企業が提供する、超高品質で安価で刺激的なコンテンツとの厳しい戦いを強いられているわけです。

泣いても笑っても、こういったサービスや商品と戦うことは避けられません。

更に、伝統文化は以下のような弱点を抱えています。

・現代人に対しキャッチーな訴求ができない
・資本力がない

ただでさえ多くの点で分が悪いのに、提供側が自らの強みすら認識できていなかったら、当然勝ち目はありません。

さらに、このまま景気が良くならなければ、

子どもたちの娯楽にお金を出している親世代の懐が厳しくなる

より安価で子どもが手軽に楽しめるものを選択する

という流れが加速し、輪をかけて状況は悪くなるでしょう。

このような事態を避けるためにも、今一度私たちは、伝統文化の持つどの要素が高く評価され、どの要素がそうではないのか。

どのような層に受けが良く、どのような層に受けが悪いのか。

こういったことを真剣に考え、安価で刺激的なコンテンツが大量に出回る現代社会において、伝統文化を選んでもらうための方法を考えなければいけません。

「己を知り敵を知れば百戦危うからず」と言いますが、この厳しい状況の中で伝統文化が生き残るには、何よりもまず「己を知ること」です。

自分たちの強み(= 価値)と弱みを言語化し、説明できないということは、「己を知らずに戦場に出る行為」に等しい。だから大問題なのです。

弊害2: 外部から支援を受けられない

伝統文化というのは、それ単体でストレートに収益を生むことが難しい産業です。

よって、助成金や補助金、募金やクラウドファンディングなどの「支援」をいただくことが非常に重要になります。

そういう意味では、「なんとなく価値がありそう」と思われている伝統産業は、比較的有利な立ち位置にいると言えます。(実際、「感覚的に」伝統の価値を感じてくださっている方の支援を受けることは、既にある程度できていると感じます。)

ただ、それだけでは不十分だと僕は考えています。

感覚的に伝統に価値を感じ、支援までいただけている方の数はそう多くはありません。

そして、こういった支援の手は今後、人口減少や景気などの理由で減っていくことが予想されますから、「今まで支援をしたことがない方々」にも支援してもらうことが必要不可欠になってきます。

彼らの伝統文化に対する印象は、「なんとなく価値がありそう」の域を出ておらず、これでは支援に踏み切ることができません。

納得感がないからです。

金銭的なリターンを期待できない「寄付」や「支援」のような行動において、「最後の一歩」を踏み出すためにはどうしても、この「納得感」が必要になります。(自分の支援したお金が何に使われ、どのような社会的価値を生み出すのかが分からないのに、支援をしようとは思わない。)

ところが再三言っているように、伝統文化の価値はいつまでも言語化されず、支援することでどのような結果がもたらされるのか、ほとんどの人がよくわかっていません。

これでは、こういった方々に支援していただくことは難しいでしょう。

もしかすると、支援する側にとっての伝統文化は「ちょっと印象の良い、謎のよくわからない募金団体」みたいに映っているのかもしれません。

なんとなく印象はいいし、なんとなく価値はあるような気がするんだけど、結局のところ自分の支援がどのような価値を生み出すのか、よく分からない。

せっかく価値がありそうだと思ってもらっているのに、これは非常に勿体無いことです。

「伝統の価値」をきちんと説明できないと、「お金を出して支援する価値のあるものなのだ」と心から納得してもらうことが出来ず、支援の機会を失ってしまう。結果、文化活動を維持するだけの資金が集まらず衰退していく。

これが、価値を言語化できないことの、もう一つの大きな弊害です。

⒊ 伝統の価値とは何か?

ここまでは「伝統の価値を言語化しないことの弊害」について話してきましたが、ここからはいよいよ本題である「伝統の価値とは何か?なぜ守るべきなのか?」について話していきたいと思います。

一般的に語られる『伝統を守るべき理由』の大多数は以下のようなものです。

・長い歴史があるから
・無くなったら寂しいから
・美しいから、綺麗だから
・文化的価値があるから


しかし、これらの理由はあまりにも論理的な整合性に欠けていたり、非常に主観的なものだったりして、「なんとなく」の範疇を超えていません。

これでは、伝統文化にさほど愛着がない人に、本当の意味で納得をしてもらうことはできませんし、伝統文化の強みと弱みを発見するヒントにもなり得ません。

というわけでここからは、僕が考える「伝統の最も本質的な価値」を2つピックアップしてご紹介したいと思います。

どちらも目に見えず、ほとんどの人に見過ごされています。しかし、とても重要なものです。

1. フォーマットとしての価値

古くから愛されてきたものは、作品制作におけるフォーマットとしての価値が非常に高いことが少なくありません。

例えば、「音楽の父」ことヨハン・セバスチャン・バッハの作品は、クラシックのみならず様々なジャンルの音楽家の『お手本』として広く利用されています。

クラシックはもちろん、ポップスやロック、ジャズなどの現代的なジャンルの音楽家の中にも
バッハからの影響を公言している者が多数存在する。

現代の作曲家がバッハのような作品を作ることはほとんどなくなりましたが、バッハの作品は現代でもフォーマットとしてたくさんの音楽作品の中に生き続けています。

『古事記』などの日本神話も非常に良い例です。

例えば、大ヒット漫画『鬼滅の刃』では、重要な設定の多くが日本神話をベースに作られています。

長い歴史を持つ伝統的なフォーマットを使うことの最大の恩恵は、作品に『説得力のある構造』『多層性(奥行き)』を持たせられることです。

バッハをはじめとする伝統的な作曲家から音楽の構造を学び、作られた作品には「ただ何も考えずにノリと勢いで作ったもの」にはない、構造的な美しさがあります。

『鬼滅の刃』は、日本神話をキャラクター設定やストーリーのフォーマットに用いることで、子供だけでなく大人でも楽しめる、多層的な作品になっています。(人気アニメは、〇〇の元ネタは〇〇!みたいな考察動画も非常に人気ですよね。)

フォーマットとして伝統を利用することの大きな利点は、その上に何でも乗せられることです。

フォーマットだけ伝統から借り、その上に現代的なものや、オリジナルなものを乗せることで、新たな名作を生み出すことができます。

実際、数え切れないほどのクリエイターや芸術家が、過去の伝統をフォーマットにして、その時代の感性を元にオリジナリティあふれる表面を肉付けして、新しい作品を作っています。

(伝統というには元作品が少し新しすぎますが、僕のお気に入りはカズオ・イシグロの「私を離さないで」のフォーマットを元に作られた、「約束のネバーランド」です。センセーショナルな設定の上に、少年ジャンプ的なバトル・冒険・謎解き要素が加わった、唯一無二の作品に仕上がっています。)

こういった作品は一見新しいもののように見えて、表面的な要素を全て剥ぎ取ってしまえば、奥の方に「フォーマットとしての伝統」が眠っている、ということが少なくありません。

つまり、伝統をなくしてしまうことは、『次の世代のクリエイターが参照すべきフォーマットが枯渇してしまう』ことと同義なのです。

バッハは存命中はローカル音楽家に過ぎず、そこまで広く知られた存在ではありませんでした。

しかしバッハの死後、メンデルスゾーンらをはじめとする後世の音楽家がバッハの作品を取り上げることで、「音楽の父」とまで言われる存在になり、結果、数多くの作品が現代にまで残りました。

フェリックス・メンデルスゾーンは、J.S.バッハの作品「マタイ受難曲」を上演するなどし、
埋もれていたバッハの音楽が脚光を浴びるきっかけを作った。

日本神話にしても、「古事記」や「日本書紀」を編纂した人々がいなければ、今に伝えられることはなかったでしょう。

もし、「伝統を残そう」と行動を起こした人たちがいなかったら...?

現代の音楽はどうなっていたでしょうか?

「鬼滅の刃」は存在し得たでしょうか?

伝統を守るとは、そういうことなのです。

こういった目に見えない価値は見落とされがちですが、だからこそ私たちは、ありとあらゆる現代コンテンツの根底に伝統があることを知り、その価値を認識すべきだと思います。

そして、未来のクリエイターとそのファンのために、素晴らしいフォーマットを保全するべきなのです。

例え、その伝統文化がどのようなフォーマットを内包しているか、あなたが分からなくても、同ジャンルのクリエイター・芸術家であれば必ずその構造やフォーマットを理解できます。そしてそれこそが、次世代の優れた作品のベースになります。

あなたが守った伝統は、あなたの遠い子孫に、素晴らしい芸術やエンタメを提供することに繋がるのです。

※ちなみに、画像や音声などの記録技術がここまで発達した時代において、「継承」や「保全」がどれだけの意味を持つか、という議論もあると思います。

これはこの記事の主題ではないのであまり多くは語りませんが、「昔に比べると価値が下がったことは事実だが、依然として『生きた文化』を保全する価値は、ほとんどのジャンルにおいてまだまだ十分に価値がある」というのが僕の見解です。

これは、一言でまとめてしまうと、「今の技術ではまだまだ情報量が足りない」というシンプルな理由になってしまうのですが、当然これでは納得していただけないと思うので、また別の記事で詳しく書こうと思います。

2. アイデンティティの源泉としての価値

インターネットや翻訳技術の目覚ましい発展により、世界はかつてないほど身近になりました。

今の子ども世代にとって、近所に住む同い年の友達と、オンラインゲームで出会った遠くの国の友達との距離は、そんなに変わらないのかもしれません。

そして今後、リアルタイム翻訳などの技術が発展することで、世界との距離はさらに近くなるでしょう。

こういった世界において、より人々に意識され、重要になってくるのが、アイデンティティです。

自分とは違う文化の人と触れ合い、相対的に自分を見つめることで、「自分は何者なのか」と考える機会が増えます。

アイデンティティには様々な種類のものがありますが、その中でも最も影響力のあるものの一つが「国」です。

特に、グローバルな国際社会において、「自分はどこの国の人間なのか」は大きな意味を持ちます。(海外の人に会ったとき、ほとんどの人が真っ先に出身国を言うのではないでしょうか)

個人的に僕は、過度に自国だけを賞賛したり、無根拠な自信を持つのはあまり好きではないのですが、、、それでも「日本人」という属性は、自分のアイデンティティのかなりの部分を占めているという実感があります。

伝統文化がなくなるということは、この「国」という超重要なアイデンティティの参照先を失うということです。

極端な例かもしれませんが、300年くらい先の未来、伝統文化が全て滅んでしまったとします。

例えば、こんな感じでしょうか。

お正月。初詣はありません。そもそも神社がありません。
尺八の音色も、琴の音色も聴けません。
成人式に着物姿はありません。

夏の夜空を彩る花火もありません。
そもそも地元のお祭りがありません。

姫路城も大阪城もなければ、法隆寺も東大寺もありません。
修学旅行で京都にはもう行きません。

テレビを見ても、将棋会の新生は現れません。
そもそも将棋がありません。

テレビを見ても、歌舞伎俳優のスキャンダルはありません
そもそも歌舞伎がありません。

お葬式のために、行く寺がありません。
大切な故人の、弔い方が分かりません。

伝統文化が全て滅んだ世界

これは極端な仮定ですが、このうちのいくつかは実現しても全くおかしくないと、僕は思っています。

さて、このような時代に生まれた人は、何を参照して日本人というアイデンティティを認識すればいいのでしょうか?

「あなたが生まれ育った国はどんな国か?」と問われたとき、今生きている文化が何もなかったとしたら…?

過去の歴史を参照することはできるでしょうが、実際にこの目で見ることも聞くこともできない「記録の上だけの文化」ができることは知れています。

仮に、私たちが日本文化として認識しているものが全て、「記録でしか見たことがないもの」だとしたら、人々の認識はおそらくこんな感じになるでしょう。

・昔は「神社」というものがあって、神様が祀られていたらしいよ。
・昔は日本にも伝統楽器があったんだって。YouTubeにちょっと録音残ってるよ。
・「将棋」って知ってる?今はもう誰もやってないんだけど、昔のボードゲームらしいよ。

ぜひ、何か思い入れのある文化がある方は、それが過去のものになってしまったと仮定し、その上で「日本人であるとは何か」を考えてみてください。

少なくとも、「国」というアイデンティティを認識する上で、生きた伝統文化が無くなることはかなりの痛手だということが、実感できるのではないでしょうか。

これから生まれてくる世代は、かつてないほどグローバル化が進んだ国際社会に生きることになります。

我々以上に、日本人というアイデンティティを必要とすることになるでしょう。

生きた伝統文化を残すことは、国際社会で生き抜く彼ら次の世代のアイデンティティの源泉として、精神的に強力なサポートをすることに繋がるのです。

これも、あまり語られることは多くない気がしますが、とても重要な価値の一つです。

⒋ まとめ(とお願い)

最後にお願いがあります。

まず、伝統産業に従事されている方へのお願いです。

皆様がこれまでの活動を通して気づいた「伝統の価値」を言語化し、発信していただけないでしょうか?

この記事は「伝統音楽の従事者から見た視点」というバイアスがかかっています。

それ以外の視点から見れば、他にも必ず眠っている伝統の価値を発見できるはずです。

Xで僕をメンションして頂ければ、拡散に協力します。👇

https://twitter.com/hisashi_musik

そして、伝統産業以外の方にお願いです。

伝統文化のことを、今一度「何となく」ではなく、「明確に支援する価値のある対象」になり得るかどうか、考え直していただけないでしょうか?

これまで、「何となく」でしかその価値を伝えられていなかったのは、こちら側の怠慢でもあります。

ですので、「なんとなく」の段階で支援をいただく必要はありません。

その代わり、伝統産業を支援する価値を、心の底からご理解いただけたなら、真剣に支援を考えていただけないでしょうか?

ここでいう支援とは、お金に関するものだけではありません。

活動を手伝っていただいたり、ノウハウや専門知識を提供いただくことも含まれます。

むしろ僕は、後者の方が重要だと思っています。

お金から熱狂は生まれませんが、人からは熱狂が生まれるからです。

そして、その熱狂が伝染し、関わる人が増えれば、必ず大きなムーブメントを起こすことができると信じています。

その実現のため、既に僕は動き始めています。

文化・芸術を愛する人が集まる無料オンラインコミュニティ「Senju DAO」の運営です。

まだ規模は小さいですが、既に様々な業界の方が集まり、コミュニティの全面バックアップの元、具体的な企画・プロジェクトの実施に動き出しています。

無料&匿名で参加することができますので、ぜひ覗いてみてください。

とりあえず様子見、ROM専から、という方も大歓迎です。


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伝統の価値
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