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高橋尚志の自己紹介

お世話になります!
株式会社Light&Hope代表の高橋尚志(たかはしひさし)です。
生まれてから今まで(36歳)をまとめてみました。
是非ご覧ください。

生誕〜高校生

大学教授の父、英語講師の母という両親の元に男三兄弟の次男として生まれました。

地元は神奈川県横浜市戸塚区舞岡町という町で育ちました。
何故、町名まで書いたのかというといわゆるハマっ子ではないからですw


横浜ですが田んぼ、畑、ちょっとした山、川に
囲まれたのどかな地域でした。

舞岡公園という近隣の自然保護区の公園には蛍がいたり、小学校の横の田んぼにはカエルがいたり、森にはカブトムシやクワガタがいました。時々流れ星も見えます。駅を降りると肥やしの臭いがします。

ですのでシティボーイではないですw

そんなのどかな地元で小学生の頃からイチローばりに野球に明け暮れていました。

筋トレも好きだったので、小3から腹筋が割れていましたし、メンタルトレーニングやイメージトレーニングを独学で学び、実践している変わった子供でしたw

その中で『財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上』という言葉を野村監督の言葉から知りました。

そこから人の成長や教育に関心を持つようになりました。

高校野球を引退した頃には、金八先生を超える先生になり学校教育で子供たちの未来を創るか
プロ格闘家として知名度を上げて(※格闘技経験ないのにw)影響力を活かして社会活動をするかそのような道を考えていました。

今振り返ればイメトレし過ぎて頭がおかしかったんだと思いますw


双方の道の可能性を考えつつ、早稲田大学スポーツ科学部に入学しました。


大学時代


『大会には陸上自衛隊が出んねん。ほんで日本拳法は無差別やねん。俺らみたいな小さいのがごっつい自衛隊倒したらカッコええで。』
という友人のプレゼンに惹かれて体育会日本拳法部に所属しました。

この友人も一個下の後輩も高校時代全国チャンピオンを獲っている猛者でした。
その2人に試合形式の練習は絶対に挑むということと、練習前に階段ダッシュをしてから練習に望む、昼練の後はトレーニングルームで鍛える等、誰よりも練習に励んだと思います。

チームメイトに恵まれたこともあり、団体戦で全国ベスト4、個人戦では国際選抜大会でベスト8の成績を残しました。

ちなみにこの部活で奥さんと出会いました。


部活の仲間以外に下宿先の埼玉県所沢で同い年の親友たちと毎日のようにつるんでいました。

その親友の先輩やその周囲の人たちが
日本社会の構造や教育の問題、歴史について
教えてくれる機会がありました。
それをきっかけに自分なりに、書籍やインターネット、セミナーなどから学ぶ機会を増やしました。


当時の同世代や目上の方々も日本の経済や国力が下がっていくことについて知らない人が多いように感じていました。


人の力の総量が国力に繋がるから、人の力を高める必要がある。だから人の教育がより良くなる必要がある。
というシンプルなロジックを考えw

社内外の人材教育に強い企業を創ることを志しました。
これが起業のきっかけです。


大学卒業後の暗黒下積み時代w

卒業後は成功願望とやる気は凄まじかったものの何をしても上手くいかない日々が続きました。

早稲田大学を卒業したのに2年間はアルバイトを掛け持ちして、稼いだお金を事業活動に使うという日々でした。

オンボロのシェアハウスに住み、親族に合えば就職しなさいと言われるから会うのを拒み、彼女は周りから『そんな男とは別れなよ』と言われという散々な日々でした。

そりゃそうですよねw
就職して、仕事の基礎覚えて、大活躍して、実績と信頼を積み重ねての独立の方が良いです。

動いても売れないのは営業力がないからだと自分の力の無さを認めて、営業心理学の教材をローンを組んで買いました。

毎日、音声や動画で心理学を学び倒し、その学びを後輩にアウトプットしたり、人を集めてロープレしたりを繰り返しました。


転機〜トップセールス獲得〜

24歳の夏に『良いなと思った社長の手伝いをしたらいいよ。その人が喜ぶことをしなさい。』
というアドバイスをとある人からもらいました。

そこで気になっていた社長に

『何をやってるか教えてください。僕にできることがあればやらせてください。』
(※何やってるか知らなかったんかいという話w)

と直談判しました。

その会社は資産運用のスクールをしていました。そこでフルコミッション(完全歩合)で営業をやらせてもらいました。初年度、2年目でトップセールスを獲得しました。

2年間で10名のメンバーをリクルートし、教育システムを作りマネジメントをさせてもらった結果、役員をさせてもらうことになりました。

いい経験をさせてもらいましたが、自分の事業に集中するために2016年に役員を辞任させてもらいました。


教育を事業にする

実はその会社に所属しながら、全国に約70店舗フランチャイズを持つ営業教育プログラム販売会社のフルコミッション営業に2013年から取り組みました。
いよいよ営業教育事業の開始です。

周りの方々に協力し合ってもらい初年度で日本一の販売実績を獲得できました。

2014年からはLight&Hope社を設立し、上記の販売会社のフランチャイズオーナーになりました。

フランチャイズとしても2014〜2016年で全国一位の成績を残すことができました。
2015,2016年は部下が個人部門で全国一位を獲得することができました。


その事業で200名以上の顧客(営業マンや起業家)の教育指導に携わり、多くのトップセールスマンや活躍する起業家を輩出することができました。

その中の多くは今も経営者仲間であったり、協業パートナーだったりします。


多角化経営を始める

『雇用こそ最も社会人を教育できる。』
『実業の経験こそより良い研修やコンサルの素材となる』
と考え、多角化を始めます。


2015年〜テレマ+めちゃモテSE〜

『ひさしは意欲的な人集められるし、営業教えられるからテレアポの事業向いてると思うよ』と先輩に助言をもらい、コールセンター事業をしている社長にお願いをして間借りでテレマーケティング事業を開始しました。

また営業教育事業を担当する部下の顧客にSE(システムエンジニア)が増えていたので、『SEさんはどんなニーズでお客さんになってるの?』と聞いたところ
『SEは出世や独立のために営業力やコミュニケーション力が必要なんです。あと女性にモテたいそうです!』という回答でした。

そういうニーズがあるんだなと思ってた矢先に運命の出会いがありました。
営業教育事業のお客様を集めた交流会でSEと話している時に『この人と仕事したい』と直感が働き、後日2人で話す時間をもらいました。
彼が『システムエンジニアこそ営業やコミュニケーションを学んで欲しい。』と熱く語るのを聞いて、めちゃモテSEプロジェクトのビジネスモデルが浮かびました。その熱く語っていた男が弊社の中島健二です。

※めちゃモテSEのロゴ

2016年〜ちよまる式〜

上田千代丸社長(ちよまる先生)とちよまる式English Questを立ち上げました。
彼とはBNIを通じて出会い、沢山喧嘩(良く言うと切磋琢磨?)をさせてもらっていましたw
ですので、周囲の方々は『え!2人が組むの!?』と驚かれました。
お互い弱みを補完し合いつつ、強みを活かしあい、多くの英語が話せる人材を輩出できています。


2017年〜ホワイトニング事業〜

当時一緒に学生支援団体アカデミアをやっていた福田社長という友人がLBSホワイトニングというセルフホワイトニングサロンを数店舗運営していました。
人手不足をサポートしたことをきっかけに渋谷店をFCという形でやらせていただきました。年々FC店舗が増えてきたのでFC店舗の統括を弊社(主に今別府副社長)が担当することになりました。
今では共にフランチャイズ本部の窓口もやらせてもらっています。店舗数は全国12店舗になりました。


マネジメントの壁〜剛腕で敏腕な副社長〜

と、ここまでの話を聞くと順調そうに聞こえますが、至らぬマネジメントしか出来ていないのが実情でした。また思い悩む日々が長く続きました。『俺はマネジメントでは食えないんじゃないか。』という弱気な心の声が脳裏を何度もよぎっていました。


その暗闇を照らしてくれたのが、今別府勝幸です。スタッフよりもスタッフのことを考え、スタッフを鼓舞し、時に厳しく、時に明るくスタッフのマネジメントを全面的に担ってくれました。
マネジメントでこんなにも人の成績は変わるのだと感動しました。


業績が上がったことを皮切りに、彼の人品骨柄に対する教育論や人付き合いの技術と私の営業経験を掛け合わせた紹介制の経営塾を建塾しました。ご紹介が重なり多くの優秀な経営者が入塾してくれています。私が塾生から学びと刺激をいただくことが多々あります。


2020年〜美容室、飲食×コロナ〜

事業を進める傍らで、良いなと思う経営者や事業主の方を応援することは創業前からずっと続けていました。
そのお付き合いの中で、先輩である清成隆氏と美容室(hair & make Kinari)を2020年にオープンしました。オープンと同時にコロナが日本に蔓延し始めました。
また飲食店(五反田 月。)も同年にオープンし、即時短要請となりました。


コロナ禍は本当に厳しいものがありました。
スタッフの雇用は継続し、事業は増えていたので売上は上がっていました。ですので、その時期の補助金関係はほぼ使えませんでした。
またスタッフがコロナ感染することも多く、稼働できない店舗が出る等苦しい日々が続きました。
資金調達で何とか乗り越えました。


2023年〜ネイルサロン〜

コロナ規制緩和後は前年比売上125〜130%と業績は向上しました。踏ん張ってくれたスタッフと支えてくれたお客様に深謝です。

またスタッフのやりたいことであるネイルサロン(salon de picco)をオープンすることができました。


現在

各事業の良い口コミと評判やリピーターが増えていて業績は拡大中です。自然に経営相談に乗る流れから研修やコンサル先のクライアントも着々と増えています。
上場経験のある新役員も加入しました。


今後の方針

人を照らす人を創るですから、社内外の人材育成により力を入れることは必須事項です。
それにより国内の基盤をより強固にします。
また顧客に対する価値提供をより大きくする努力も惜しみません。

そして2027年からは海外事業に挑戦することを目指しています。
何かしら関われることがある方がいたら嬉しいです。
ご一読ありがとうございました。

各事業部の説明はこちらからご覧ください。

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