育つのは、俺だった。「そうはいっても」
娘(三歳半)は言ってしまう。
「あの子、信号パカパカしてるのにダメだよねえ」
「あの子、お外でごみ捨てちゃダメだよねえ」
「あの子、お店を走っちゃダメだよねえ」
※娘はまだ相手の年齢に関わらずすべての人を「あの子」と呼ぶ。
娘は「悪いこと」をしている人を見つけると、相手がすぐそばにいても言ってしまうのだ。
もちろん、私も教えている。「信号は守る」「ごみは捨てない」「お店は走らない」。それらを覚えている娘のことは褒めてやりたい。
ただ、揉めたくはない。
子供の言うことだ、「なんだこら」と言ってくる人もいないだろうが、正しい子に育ってほしいという思いと同じくらい、我が子には怖い目にも合ってほしくない。
でも、いつから人はそういうことはなかなか直接言えなくなるのだろう。
娘はまだ「正しいこと」と「悪いこと」の間がない。
そうはいっても、という感覚がない。
親も「悪いこと」からハッキリと教えることが多いからかもしれない。
「そうはいっても」と言ってしまうのは、世の中の現実を知っているからではなく、自分の現実を知っているからこその言い訳ではないかと、今日も悪を指さす娘に「聞こえる、聞こえる」と焦っている俺は気が付いた。
育つのは、俺だった。
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