育つのは、俺だった。「楽しまなくては」
娘(三歳半)は楽しかったことをよく覚えている。
こっちが忘れているようなことも「あのときのさ、〇〇やろうよ」と誘ってくる。
俺は反対に楽しくなかったことをよく記憶するようになった。
「あれはしんどかった」
「あんなことがあったんだから」
「本当に大変な一年だった」
などなどこう書いていてもああ言っているなと思う。
娘のように「あのときのさ、〇〇やろうよ」なんてことは言わなくなった。
俺が楽しかったことを覚えていないのは「楽しまなくては」と思って楽しんでいるからかもしれない。
「今を楽しまなくては」「せっかく来たんだから楽しまなくては」とスイッチをわざわざ入れている。だからいつも自分で楽しんでいないのだ。だから覚えていない。いまではそれを誰かにシェアできるから記録はできているが、それはいつもの自分じゃないことが多い。
娘は記録なんか残していないのに、あのときの楽しかった記憶をいつでも取り出せる。
「楽しまなくては」なんてスイッチを入れなくてもきっと楽しめる。
育つのは、俺だった。
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