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私が富山県上市町に呼ばれた件

【はじめに】

富山県上市町といえば?と聞かれて思いつくものがある人はどのくらいいるだろうか。少なくとも私は何も思いつかなかった。

そんな私になぜか上市町に行ってほしい、そして上市町について何かしらを書いてほしいというオファーがあった。しかしである。そのオファーをしたKさんが知っている私の雑文は、アイドルについであり、テレビについてであり、アイドルについてであり、アイドルについてである。いい感じの旅情溢れる文章など書いたこともない。昔からKさんは私を過大評価するきらいがある。

大丈夫か。もちろん私はそう思った。しかし、そう思うと同時に愚妻の顔が思い浮かんだ。私事であるが、私と妻は結婚して一年半になるが、未だ新婚旅行というものには出かけていない。計画すら私のせいで中途半端である。これはその代わりになるかもしれない、とまでは女心の分からないことで家庭内では有名な私でも思わないが、そのガス抜きにはなるはずだとは図々しくも思ったのである。そんな目論みはおくびにも出さず、旅費は妻の分も出すし、こんな機会でもないと行けない場所だからと言うと、素直な妻は快諾した。

理由や動機はともかく、私たちを初めての上市町が、待っている。

【一日目】

私たちの住んでいる名古屋から富山へは、意外と複雑な経路で行くことになる。しかしそれが面白い。まず名古屋から新幹線で米原へ。そして米原から特急で金沢。最後は金沢から北陸新幹線で富山となるのである。車窓の景色はころころと変化して、立ち寄る駅でもその土地の雰囲気を楽しめる、これが国内旅行の良いところである。などと、旅情溢れる文章を、それっぽく書こうとしたが、やはりいささか面倒である。というかやはり苦手である。つまりは名古屋から富山への移動はけっこう楽しかったという話である。ただ、ここからである。

名古屋から富山の移動の数時間を超えるインパクトの数十分の移動があったのだ。

富山地方鉄道。地元の人たちからは「チテツ」と呼ばれている単線がある。映画「RAILWAYS」の舞台にもなったというこのレトロな鉄道は、富山駅に着いて「富山も名古屋もそんな変わらないね」と話していた私たち夫婦をまるでタイムマシンかのように、一気に旅気分へといざなっていった。乗っているだけで地元の高校生たちがみんな青春映画の登場人物に見えた。ということは、私たちも少なからずその映画のエキストラくらいの気分にはなれるのである。(写真)。そんなエキストラ気分で上市駅につくと私たちがこの二日間さんざんお世話になるⅠさんが待っていてくれた。

「この電車、レトロでいいっすね、情緒ありますねっ。けっこう揺れましたね、なんかすっごいすね、着いたって感じしますねっ」

バカみたいに話す私を見てきっとⅠさんは不安になったことだろう。

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たしかに私は、少し舐めていた。旅行をして何かを書く。普段はもっと難解なというか、複雑な事情の中でモノを書く仕事をしているわけであるから、実体験を好きに書くなど楽ではないかと舐めていたのである。しかし、私は上市町について数時間で、この「実体験」というものの大変さと大切さを思い知る。Ⅰさんは、私たちのために事前に限られた時間の中で最大限上市町を知ることのできるプランを立ててくれていた。その中には見慣れぬ言葉があった。

滝行。

字面から意味は分かる。想像もできる。しかし、自分がやるとなると話は違ってくる。まず私はその手のアドベンチャーが特に好きではない。いやむしろ嫌いである。絶叫マシーンには隣がスカーレット・ヨハンソンでも絶対乗りたくないし、バンジージャンプなんて飛んだら100万円もらえるとしても断るつもりで日々生きている。そんな私に「滝行」か。・・・微妙なところではある。たかが水。毎日シャワーも浴びている。巨大なシャワーだと思えばいい、そう言ったのはたしか、いやそんなことを言った人はいない。

私たちは滝行のできる大岩山日石寺に着いた。この場所は不動明王に帰依する北陸随一の霊場であるという。そんな本格的なイワレのある場所での滝行がますます怖くなる。しかし、そんな私の気持ちを静めてくれたのは巨大な岩(まさに大岩)に掘られた不動明王の姿であった。神仏への特別な気持ちなど持ちあわせていない罰当たりな私ではあるが、その不動明王の姿、というかご尊顔を見ていると刹那だが特別な気持ちにさせられた。妙な話をするつもりはないが、そんな気持ちになったまま、今度は行基が修行をしたという洞窟に行くと、またそれは「霊験あらたか」などという言い慣れていない言葉を使いたくなるほどの場所であり、俗世とは遠く離れた雰囲気に飲まれそうになり、妻などは思わず涙ぐむほどの感動だったらしく、それを見た私は「滝の前にここに涙が流れた、ああ、それを拭いた私は何よりの滝行をしたということだ」などと誤魔化そうとしたができるわけがなく、とうとう滝行の時間がやってきたのである。

白装束を渡され、更衣室へと向かった。当然、下着すらいらぬわけである(下に履いてもいいらしいが)。私は生まれたままの姿に、白い服というよりも白い布を巻き、10月末の寒空の下に晒された。その姿はまるで滝行というコスプレ。来年のハロウィンで着てやろうかと思った。そんな雑念ばかりにとらわれながらいざ、滝の前へ。写真を見たあなた。なんだ、本当にシャワーじゃないかと思われただろう。確かに野性の滝ではない。人口的ではある。イメージよりもずいぶんと細いとお思いだろう。私も見たときはそう思った。しかしそれは油断なのである。大は小を兼ねると言うが、滝の場合は小も大を兼ねるのである。

私は指示通りにまず裏側へと回った。そして、一歩前へと出て、水の流れの横に立った。目の前にはもうすべてに笑っている妻と、心配そうなⅠさん、そして観光客が数人。「3分は頑張ってください」。Ⅰさんにはそう言われていた。この街のことを知ってもらうためには3分は必要ということか。3分我慢できてはじめてこの街を語る資格があるということか。私は180秒カウントすると決めて、ええいままよ!、と滝の下へとこの身を投げたのである。

しかし、私のカウントは「2」で終わった。

数字を数えることに使うチカラすら衝撃に耐えるために必要としたのである。それくらい圧倒的だった。冷たさと勢いとで息の仕方をしばらく忘れた。それこそ秒数にすれば数秒のことだったのだと思う。耐えるということに全神経を使ったのは初めての経験だった。それ以外ことは何も考えられない。先ほどのまでの雑念は消えていた。確かに聞いてはいた。「慣れるまでですよ」と。人を騙すときによく言うやつである。本当か?本当なのか?おそらくここまででまだ10秒ほどである。妻の顔も見えん。Ⅰさんの声も聞こえん。私を包むのは何だ?そこまでの混乱をきたしたときであった。突然私の呼吸は整い、冷たさと衝撃にも慣れはじめていたのである。え、まさか、これが悟り?もう開いちゃったの?俺。そんなわけはないのであるが、そう思いたくなるほどの達成感であった。こうなればあとはウイニングランである。いかに「滝行」っぽい表情をして、フォトジェニックにⅠさんのカメラに撮られるか、妻に惚れ直してもらうか。私は渾身のそれっぽい表情を作った。

そして、そろそろ3分かなと思ったところで滝から出た。意気揚揚と出た。なんたって悟りすら開きかけていたのである。意気揚揚という言葉がこれほど似合う男は、今日の富山で俺だけだ。すると、何やらⅠさんが何とも言えない顔をして私を見ているではないか。どうしたことかと思って妻からバスタオルを受け取ろうすると、妻が「ヤバい、ヤバい」と言うのである。まさに滝行を終えて、清らかになった夫に向かって「ヤバい」とは何だ。そんな俗世の言葉使い、今の私は最も毛嫌いするところであるぞ。するとⅠさんも言うのである。「ヤバいです、大塚さん、下のナニが透けてます」と。

私は悟った。家に帰るまでが遠足であるように、滝行とは着替えるまでが滝行である。

※あとで聞いた話では下着を履く人が多数派らしい。

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その後、気をとりなおそうと、美しすぎるそうめんである大岩そうめんを食べ、不動明王の写仏までした。すると私はすっかり毒気が抜かれ、滝行の際に別にナニが透けていたとしても、それが何だ?と思えるほどに成長していた(と思いたい)。

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そんな私の気落ちを心配してか、優しいⅠさんがそのあと連れて行ってくれたのは、まずは霊水の搾取場。穴の谷(アナンタン)の霊水という名のその水は、遠方からも汲みに来る人が多くいるという万病に効くとされる水で、確かに何か違うような気もして、また山道を歩いた先にやっとありつけるというシチュエーションからも水というものの本来の有難みを感じることができた。そして次は美しい夕陽が見える丘。山と海が近い、富山ならではの背景を赤く染める夕焼けは美しく、その道すがらでは野性のカモシカにも遭遇することができた。しかしである。そのカモシカですら、じっと私を見つめながら「ヤバいです、大塚さん、下のナニが透けてます」と言っているような気がした私はまだ立ち直っていなかったことは事実であった。再び、Ⅰさんはそんな私の気持ちを心配してか、というよりもう駄目だと思ったか、言ってくれたのである。

「スナック、いきます?」

私は「それそれ!!!」と思いながら、一端のライターぶって「・・・ああ、そーいうところからも街を知れるのはいいですね」と答えたのである。

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店の名前は「もぐら」。地下の店内に入ると、通りの人の少なさからは想像できない客の入りであった。10席ほどあるカウンターは満席。カラオケが流れ、合いの手も入る。名古屋のスナックでもこんなにちゃんと人が入っている店は少ない。しかもこちらの客層はかなりシニアである。常連であるⅠさんにママを紹介してもらう。ママは70歳だという。彼女はとても上市町のことを愛していた。そして町のために精力的に活動しているという。親子ほど年の離れたⅠさんとも仲が良く、その場でも町のためにあーしたいこーしたいと議論が始まっていた。もちろんそのバイタリティはママとしてもいかんなく発揮していて、次々と町の名物や店の名物が出てきた。しょうがシロップ(「上市でしょうが」という商品をママが作っている)、柿や梨、そして氷下魚の干物。それはどれもとても美味しく、スナックというよりママの家に来たような味わいのある店であった。そして客のひとりであった民謡歌手の何度目かの十八番が流れる中、私は思うのである。

上市町は十分に魅力的な町であり、そこに暮らす人たちも精力的だ。町に暮らす人たちが、自分たちの町について考えているのに、私のような者が何か言うということに、意味などあるのだろうか。

一日目の夜は更けていく。

#コラム #旅 #富山

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