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絵のショップを立ち上げたのでアートについて話したい。

おじさんだよ。
baseで、絵のショップを作りました。

リンクはこちら。

ショップの販売ページには、こう書きました。
「素朴な画材を使い、1000年保つ絵画を目指しています」

今回ショップを始めるにあたって、自分の作品に込めている「1000年保つ絵を作りたい」という思いについて、この場で語らせていただきたいと思います。


「あなたはアートを何と定義しますか?」という問いへの答えを、おじさんは大学時代から延々と考え続けていました。
これは、大学時代の教授の言葉です。

教授は更に、こう続けました。
「自分が何を作っているのか曖昧なまま作品を作り続けても、良いものができるわけはない。更に言えば、デュシャン以降、現代アートによって、アートという枠組みはどんどん拡大している。広がり続けるアートという世界において1番大切なのは"自分は何をアートと認めるのか"という基準だ。」

「100人居れば100人答えが違う。それがアートの面白いところではあるが…大学の残りの時間で、自分なりの答えを探してください」
と。

普段は温厚なのですが、アートっぽいもの、という言葉がとにかく嫌いで、それを聞いた瞬間ブチ切れ始める教授でした。

確かに、自分が何を作っているかぐらいは分かりながら作った方がいいよなあ、とほんのり共感したおじさんは、大学時代も、卒業してからも、その答えを一生懸命考えました。

結局のところ出た答えは、「額縁に入れて壁に展示すれば、ノートの落書きもアートと呼んでいいのではないか?」という、あまり夢のないものでした。


つまるところ、アートというものは「権威」にすぎず、美しいもの、とか、心動かされるもの、とか、曖昧な意味ではないのではないか、ということです。

もっと簡単に言うなら、アートの真髄は「制作」ではなく「展示」にある。
作るだけなら誰でも趣味でできるでしょう。
そこから一歩踏み込んで、鑑賞者の前に自分の作品を提示する行為。
それを行って初めて、アートという権威の力を借りることができる。

権威、というと、嫌な言い方に聞こえますね。
権威主義的だ、なんて批判されるのかな。
でも、これこそが「アートを1000年守るために必要な力」とおじさんは信じています。

アートは、世の中に存在するひとつの権威の名前にすぎない。
では、何のためにその権威が存在するのか。
それは、かつて神や偉人の威光を作品としていた頃から一貫して、美、価値、作品を、可能な限り長く後世に残す為の権威と考えます。

アートとして提示された作品は、記録に残り、あるいは鑑賞者に購入され保護されたり、美術館に管理されたりします。
そうやって人の手を渡り歩くことで美は後世に残っていく、保存されていく。

油彩のルーツであるテンペラ画は、500年前の作品が今でも、全く色褪せることなく残っています。
不変の美。価値を後世に残す。
アートという言葉、権威が持ち続けてきた役割は、今も変わらずこれなのではないか、と思います。

ベランダで花を育て始めたころに、描いた作品。花柄の布を下地に使っています。
ロボットの絵。横浜トリエンナーレでペッパーくんの作品を見たり、ガストで猫のロボットを見たのをイメージして描きました。
薄着の女の子。暑い部屋で薄着で過ごしているときに描きました。

ショップの販売作品の一部です。
クレヨンや鉛筆を使っていますが、単純に画材が好きなのと、この手の素朴な画材は「保存する」ことが軽視されがちだと思うからです。

おじさんの作品は、板には膠を塗り、板にクレヨンの油分が浸透しないよう保護し、仕上げにニスを塗っています。

板に和紙や画用紙を貼ったものもありますが、そちらも膠やドーサ液で保護して描いています。

まあ今のところ、独力で1000年保つかは厳しいところかもしれないですが。
なるべく長く保つよう、丁寧に作りました。

おじさんの作品のテーマの多くは、日常で綺麗だなと思ったものや、行った場所の思い出を絵にしています。
自分が感じた些細な日常の集積が、もし、1000年残ったら。
おじさんが死んだずっと後まで、もう一人の自分を保存できたら。

おじさんの作品は、ざっくり言うとそういう作品たちです。
よかったら、見てください。
買ってくれたなら、どうか大事にしてもらえたら嬉しいです。

ではでは、よろしくお願いします。
おじさんでした。

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