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「忘れられる権利」の是非 歴史を書き換えて良いか

連載『コピーライトラウンジ』(第12回 2015年10月)
月刊「パテント」(日本弁理士会)から転載(全14回)

数年前の平日、小さな会社の社長と近郊の温泉を訪ねました。ひと風呂浴びて、ほけっとしていると、彼がつぶやきます。

「こんな静かなところで埋没して暮らせたらいいねえ」

私は「埋没する」という言い方に、どきっとしました。

当時、彼は経営難の会社と私生活のことでくたびれ切っていたのです。綱渡りのような日々を送り、ようやく手に入れた休日を愛おしく感じている様子が伝わってきます。

翌日、仕事で調べ物をしていると、偶然「忘れられる権利」が目に入りました。社長の「埋没したい」を思い出さずにはいられませんでした。


◆「不都合な情報」を検索

忘れられる権利(the right to be forgotten)とは、インターネット上に乗った自分に関する不利益な情報や写真を削除する権利のことを指すようです。「私のことを調べないで。そおっとしておいてほしい」と願う気持ちに添った権利と思ったらよいでしょう。

少し前までなら、何か事件があり、報道された場合、当事者の名前や写真が世に出ても、時の経過とともに取りざたされなくなり、ニュースを見た人の記憶から薄らいでいきました。つまり、「忘れられて」いきました。

しかし、インターネット上では、いったんアップされるや、リンクやコピーのおかげで、拡散していきたとえ情報を発信した人が消去しても、ずっとどこかに残ってしまいます。

検索エンジンを使えば、「忘れられた」情報を探し当てることができます。記録し続ける必要のない情報なら消してもよいのではないか、というのが「忘れられる権利」の根底にあるようです。

注意すべきは、情報そのものの削除というよりは、グーグルやヤフーなどの検索エンジンが「自分にとって不都合な」情報を検索結果に乗せるかどうかが焦点になっているようです。

「忘れられる権利」という考え方はフランスにおいて始まったと言われます。きっかけとなった裁判があります。2011年11月、若気の至りで撮ったヌード写真がネット上で拡散している状況を知った女性が、検索会社に対して検索結果の削除を求める訴訟を起こし、女性は勝訴しました。

また、昨年スペインで、自分の名前を検索すると10年以上前に自宅が競売物件になっている情報が出ていることに苦しんだ男性の言い分に対して、欧州連合(EU)の欧州司法裁判所はこれを認め、検索結果の削除をグーグル社に言い渡しました。

◆「表現の自由」と対立?

このような流れの中、EU議会は各国法によらずEU域内で効力を持つ「データ保護規則」改正案を可決し、「忘れられる権利」を明文化しました。2014年3月のことです。

日本でもこの夏、「ネット検索すると、過去の逮捕歴の記事が表示される。これは人格権の侵害である」とする男性の訴えに対して、さいたま地裁が検索結果の削除を求める仮処分にしました。

こうしてみると、「忘れられる権利」に分があるように見えますが、この権利に根強い否定的な見解もあります。

「表現の自由」「言論の自由」や「知る権利」からすれば、一度公開されたものを非公開にすることは、真実を知ることの妨げになります。

実は、記事データベースを構築している新聞社では、インターネット上の「忘れられる権利」と関係なく、過去の記事の扱いについてずっと論議されていました。

特に犯罪に関する記事の扱いについては、刑期を終えても記事が残ることは「犯罪者の更正の妨げになるのではないか」「ある時点で実名でなく匿名にすべきはないか」という意見が必ず出てきます。

◆SNSの時代に

だけど、ジャーナリズムの立場からすれば、これはあり得ない。いったん世に出した記事を恣意的に修正することは「歴史を書き換える」ことにつながるからです。誰かにとって不都合でも、他の人には意義のある場合があります。

今年は戦後70年とあって、例年にまして、多くの太平洋戦争を振り返る記事が書かれました。「誰が何をしたのか」「誰が何をしなかったのか」など細部を描写し、旧日本軍の幹部や部署の名前を掘り起こすことで、読者は当時起きたことを知る手がかりが得られます。

とはいえ、欧州で活発化している「忘れられる権利」を保護しようとする動きも無視できません。個人破産情報やヌード写真の裁判例には、細部は不明ですが、私は同調したい気になります。

賛否の間で冷静に考えると、求められるべきは、特定の情報を削除するかどうかについて公共性と個人の利害を天秤にかけた上で示される公平なルール作りなのではないでしょうか。

そんな中で、グーグルなど検索エンジン各社が、削除要請に応じているのが「著作権侵害」に触れるコンテンツです。裁判などで侵害が明確になっているコンテンツへのリンク遮断や検索結果表示はやりやすいということでしょう。

フェイスブックやツイッターなどSNSの時代では、いったん公開した情報は一瞬にして拡散します。情報をアップする際に覚悟が必要なようです。私たちのネットリテラシーが試されているようにも思います。
(了)

東京理科大学大学院イノベーション研究科教授。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事。元ハーバード大学客員ジャーナリスト(Nieman Fellow)。共同通信社記者・デスク、横浜国立大学教授を経て2012年から現職。著書に『知的財産と創造性』(みすず書房)など。

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