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ゴーストライターの喜び 幽霊との契約は成り立つか?

連載『コピーライトラウンジ』(第2回。2014年12月)
「パテント」雑誌(日本弁理士会)から転載(全14回)

著作権に関連するエンタメやコンテンツ世界について2014年を振り返ると、クラシック音楽のゴーストライター騒動が大きかったと感じます。「日影の存在」の典型のように言われるゴーストライターについて様々に論じられました。しかし、ゴーストだからこそ知る醍醐味もありそうです。


◆18万枚売れた「幻のシンフォニー」

今年のはじめ、「日本のベートーヴェン」こと佐村河内守さんの問題が広く耳目を集めました。全聾の障害を克服しながら作曲したという「交響曲第1番HIROSHIMA」が大ヒット。

クラシックでは異例なことに18万枚ものCDが売れました。コンサートで感動の拍手は止まず、各地で成功しました。

しかし、音楽大学の非常勤講師の新垣隆さんが「作品を書いたのは私だ。ゴーストライターだった」と名乗りを挙げてから状況が一変。佐村河内さんの聴覚障害についても取り沙汰され、佐村河内さんは障害者手帳を返納することになりました。CDが販売停止となりコンサートが一斉に中止になりました。

売れるかどうか分からないこの曲がどういう経緯で商業デビューを果たしたのかについては謎です。

とは言え、ほんの1年前までプロのオーケストラによって演奏され、各地で成功をおさめたことは、作品に付随した「お話し」があったにせよ、作品が魅力的だったことを示しているように思います。

現時点で、この交響曲が演奏されたり放送されたりすることはありません。HIROSHIMAは「幻のシンフォニー」になりました。週刊誌やワイドショーの格好のネタになりましたが、「著作権から見たゴーストライ「ティング」という捉え方は希薄だったように思います。

法的にはどのような問題があるのでしょうか。

◆著作権と契約


著作権法では、著作者は「著作物を創作する者」であり、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と規定されています。

著作物を具体的に表現した人が著作者となりますが、単にアイデアを出した人は著作者にはなりません。

HIROSHIMAは、佐村河内さんから「楽曲のアイデア」が、新垣さんに渡され、これに基づいて書かれたことが報道されました。これが本当だとして、法律に当てはめると、新垣さんこそが「著作者の地位」にあります。佐村河内さんを著作者と認定することは難しい。

新垣さんは楽曲を作った時点で著作者となり、曲にまつわるすべての権利を保持しますが、契約を交わすことで、佐村河内さんに著作権を譲渡したと考えられます。

書面がなくても、両者の間で十数年もの間、何十曲も作られ続け、法的な紛争が無かったことを考えると、仕事上の口約束つまり、ゴーストライターの契約が事実上、存在していたとも言えそうです。

その際、「作品の独占権を佐村河内が持つ」「佐村河内の名前で公表する」などが中心的な内容になるでしょう。前提として「契約の守秘義務が不可欠(何せゴーストなのですから)」でしょう。

仮にそのような契約が存在していたならば、「お約束」に反して、「作ったのは私だ」とゴーストライターが名乗りを上げたことが問題かもしれません。

しかし、そこまで契約相手を追い込んだ依頼者の悪しき態度(?)、否、両者の関係の悪化が根源にあるように推察されます。

ショパンの墓(パリ)撮影は筆者

◆ゴーストだからこそ


作曲家の友人によると、佐村河内さんのようなケースは特段珍しいことでもないと言います。

売れっ子の作曲家ともなると、次々と仕事が舞い込み、きちんと譜面を書く余裕がないので、コンセプトを開いたアシスタントが作業をし、作曲家が最終チェックをし、世に出す。

漫画家の世界も同じ。漫画家が指示を与えて弟子に制作させることはままあるらしい。

私自身、大学院の学生だったころ、英語文書の下訳のアルバイトをしていましたが、似ています。自分の名前は出ませんが、企業の会議資料になったり、時には雑誌や書籍の部分となったりして、書店に並ぶこともありました。

もしもゴーストライターや匿名の代作者がいなければ、労働集約的なコンテンツ業界は成り立たないでしょう。

他方、このように名前の出ない仕事をすることで、代作者たちは経験を積んでいきます。ゴーストや代作者にはお金になる修行の場が得られるのです。

実際、多くの翻訳作業をすることで、私は原稿の作法だけでなく世の中の仕組みを学びました。翻訳は、創意工夫の余地が大きい仕事です。固い文章、柔らかい文章気取った文章、くだけた文章など、自分の名前が出ないために、実験や冒険ができました。

匿名に徹する醍醐味とはこういう「自由」や「遊び」にあると実感します。

「透明人間になったら何がしたい?」への答えはさまざまでしょう。

他から姿が見えなければ、何でも自由にできそうです。そこにゴーストライターの喜びがありそうです。

約80分もの大曲HIROSHIMAの魅力は大胆で自由、その奔放さにあります。ゴーストライターだからこそ「書けた」と私は睨んでいます。
(了)

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