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ハーバードの記者たち

私は1995年9月から1年間、ハーバード大学のニーマン財団(Nieman Foundation for Journalism at Harvard University)に招かれて、「フェロー(客員ジャーナリスト)」として、同大学で過ごしました。当時は、インターネットがブレークしたばかり。このころ、日本では朝日新聞がニュースサイトを立ち上げました。この滞在記を勤め先の職場で回覧しておりました。


▼ハーバードに24人の記者が集まった 



1995年9月から米ハーバード大学のニーマン・フェロー(研究員)とし て、ボストン近くのケンブリッジで過ごしている。

ニーマン・フェローシップは全米および各国のジャーナリストに一年間の 自由研究の機会を提供する制度。 めったにないチャンスに、社が研修留生 として送り出してくれた。

米国人ジャーナリストならだれでも一度は憧れるほど、米国でニーマンの 知名度は高い。

私の「同僚」は24人(うち米国人13人)で、男女比はほぼ半々。 ニューヨーク・タイムズやシカゴ・トリビューン、サンフランシスコ・クロ ニクルなど名門紙の記者、編集者、コラムニスト。また英BBC放送、米ABC放送のプロデューサーなど、ツワモノが名を連ねる。

通信社では、UPIのエルサレム支局長とカナディアン・プレスのホワイトハウス担当記者がいた。

米国行きの機中で「彼らと丁々発止 と渡り合えるだろうか」という不安と、「まあ何とかなるやろ」という楽天的気分とが頭の中を交錯した。

着いてみると、渡航前の不安はすぐに吹き飛んだ。 週2、3回のニーマン主催のセミナーで議論に加わり、毎日のように昼食やタ食、その他のイベントを共にしていると、フェロー同士の関係は共同体のようになってくるからだ。

年齢は30代から40代。家族同伴 が原則で、私たちは各国のジャーナリ ズム事情だけでなく、文化の違いや身の回りのことまで何でも語り合った。
フェローには教授陣と同等の身分証明書が渡され、大学のすべての講義に出席できるほか、学内のあらゆる研究 機関や施設を利用できる。

セミナーでは、経済学のガルブレイ ス教授や「ベスト・アンド・ブライテ スト」の著者である元ニューヨーク・タイムズ記者ハルバースタム氏など、学内外の華やかなゲストに接すること ができた。

私の研究テーマは「日米情報ギャッ プ」と「新聞とインターネット」。近 くにあるマサチューセッツ工科大学の メディア研究所(メディア・ラボ)に も毎週足を運んだ。
(1996.9)

▼「ジャパンと聞いて、思い描く人物は?」 


「米国人は外国のことを何も知らな い」。ハーバード大学での暮らしが始まって2、3カ月がたったころ、私たちニーマン・フェロー (ジャーナリス ト特別研究員)のうち外国人の12人 は、口々にぼやきあった。

このセリフには、たいてい次の文句 が続く。「私たちは米国のことをよく知っているのにーー」。

毎年5月に25人のフェローが選ばれると、大学が記者発表するため、 私たちは学外から講演やパネル・ディスカッションに招かれる。私もいろんなところに出向き、日本のこと、日米 のことについて話した。

「日本と聞いて皆さんが頭に思い描 く人物を挙げて下さい」。スピーチでこう問い掛けることにしていた。少数の日本通を除けば、エンペラー(天皇)」と答える人が多いが、ホンダや モリタなど企業名とも人名ともつかない名前を挙げる人が目立つ。

東海岸のメーン州で、国務省の元官僚数十人を前に日米自動車交渉について話をした時は、終了後、約十人が詰め寄って来た。「英国の右ハンドルはだれでも知っているが、日本は米国と同じと思っていた」。

メディアの姿勢にも問題がある。アトランタ五輪にみられるように、自国の報道に熱心な米メディアも、外国人選手の扱いについてはバランスを欠いていた。

しかし、米国人や米国メディアを責めるのは簡単だが、わが身を振り返る必要もありそうだ。 確かに日本人は、米国のことをよく知っているが、それ以外の国や地域についてはどうか。

各国のジャーナリストと話をしていると、自分の頭の中の世界地図は、実際とはかけ離れたいびつなものであることに気付く。

このためハーバードで得た各国記者とのネットワークは、ほかでは得られない貴重な財産となった。それぞれの国の生き証人としての彼らと多くを学び合い、啓発し合った。

プログラムが終了した今、米国だけでなく、カナダ、中国、韓国、英国、フランス、ポーランド、南アフリカ、 ナミビア、ブラジル、アルゼンチンなどの「元クラスメート」たちと、毎日のように電子メールのやり取りが続いている。
(1996.10)

▼ジャーナリズムとインターネット


ハーバード大学に限らず、米国の大学や研究機関では電子メールが日常的に使われている。教授との連絡だけで なく、友人との雑談のために使う学生も多い。いわば電話の感覚に近い。キャンパスのあちこちにあるパソコ ン・コーナーはいつも満員だ。

大学関係者すべてにインターネットのアカウントが発行されるので、授業によってはインターネットと電子メールの使用はクラス出席の前提となっている。レポートの提出は電子メールだし、宿題はホームページを通じて知らされる。

そんな中で、われわれニーマン・フェロー(客員ジャーナリスト)はどう対応したか。昨年九月に大学に行ったときは、二十五人のフェロー(米国人十三人)のうち、電子メール経験者は約六割だった。しかし一年間のプログラムが終わるころには、ほぼ全員が電子メールを使うようになった。

勉強会の予定も、ソフトボールの練習や各種の集まりも電子メールで通知される。電話よりもはるかに少ない労力で連絡が徹底する。

一方、インターネットはフェロー全員の関心事だった。日常の取材活動で、普段から各種のデータベースを使いこなしているジャーナリストにとって、 インターネットを使わない手はない。 どんなホームページが便利かについて、よく情報交換した。

イスラエルのラビン首相が暗殺された時は、CNNのホームページがリアルタイムで詳細な情報を流していた ので、テレビ以上に重宝した。

私の場合、日本の情報は朝日新聞のホームページで事足りた。おかげで 衛星版の日本の新聞を買ったのはわずかに二、三度だった。沖縄問題も武満徹の死去も、朝日のインターネット版で知った。

しかし、実際使ってみて分かることだが、インターネットにはゴミのような使いものにならない情報も多い。情報化社会では、価値の低い情報と貴重な情報を見分けることのできる人材が必要だ。

インターネット時代には情報を扱うプロとしてのジャーナリストの役割が増すとの見方もある。問題は、インターネットをうまく使えるかどうかに かかっている。
(1996.11)

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