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I love you 3000🇺🇸🎢

(エンドゲームネタバレ感想)

映画好きの父にシアターへ連れられた当時11歳の私は、アイアンマンを一瞬で大好きになった。ハガレンのヒューズ中佐が好きだったり、あの手の顔のおじさんが好きだったのもある。それから、気難しいのに何だかんだ言って厄介事を解決してくれる姿が少し父と重なるものがあって、ファザコンの気が在る私はそのヒーローを気に入らないはずがなかった。

人気のドラマやお笑い番組を見せてもらえない分、リビングでは常にスターチャンネルが流れ、ありとあらゆる映画を眺めてきた。思い返せばアニメ以外に自分から食い入るように見ていたのはド派手なヒーロー映画で、ニチアサで戦隊モノを見ては後楽園のショーに連れていってもらっていたのもあり、ヒーローへの憧れは強かったように思う。
アイアンマンが上映される頃には私は少し難しいものを理解したいと思い始める歳だったが、トニーの苦悩や戦争における損得など、平凡な5年生には汲めない点も多かった。その違和感がむしろ印象深く、大人の世界を覗き見た気もしていた。
それからいくつも映画を見る中で、MARVEL作品はDCなどと比べ、コミカルで分かりやすくアツい点が自分の好みと合致するのだなと思ったり、己の成長と共に困難から世界を救ってくれるヒーローがいることを心地よく、またどこか永続的に思っていた。次のシリーズ、次の敵、次のニューヒーロー。物語は過酷を極めるが、ここまで続いたアベンジャーズシリーズが終わるとは結局のところ露ほども思っていなかった。


エンドゲームはとても良かった。前回の最悪な展開からこんなにも感情の上げ下げをさせるのかと思うほど、とことんコミカルに、時に悲しみと絶望、友情、愛情と、アツい展開にオタク泣きさせられ顔はグシャグシャだ。コロッケ(芸人)状態になりつつ、さながら見るジェットコースターだなぁと感じていた。
ナターシャが死んだ。ふとタイトルや広告の最後の戦いという煽り文を思い出したが、悲しくもその時点ではきっと次があると思っていたのだ。そしてお約束の援軍到着、最高のBGMとアツ過ぎるコレが見たかった!という景色に油断し切っていた。
トニーの「I am Iron Man.」という一言に引き戻された。

そこからは本当に悲しくて、ただひたすら続いてくれと祈るように見た。子供の頃から大好きで、いつまでも守ってくれると思っていた我々のヒーローが死んだ。守ってくれて、死んでしまった。悲しくて悲しくて仕方がない。
なのに、若かりしキャップの幸せそうな幕引きはあまりにも優しく、どこまでも美しかった。
スクリーンを見つめる誰もが「アベンジャーズシリーズの終わり」に気づいた時、エンドロールが流れた。これ迄は作品のシメとして観客を高揚感と満足感に包んでくれていたアベンジャーズのテーマは、彼らを讃え、労り、送り出すものとなった。何度も聞いてきた曲ゆえ予想ができ、もう勘弁してくれと思いつつオタク汁でグシャグシャになりながら見守る。案の定、メインヒーローの彼らがサビの重音と共に大きく高らかに映され、トニースターク=アイアンマンが映された。ああ、アベンジャーズが終わった、と実感した。これは最後を知らされた我々のクランクアップでもある、そんな感情が湧き、寂しく悲しくも間違いなくアツい最高の流れだった。


ブラボーもスタンディングオベーションの文化もない日本ゆえわしゃ思いっきり泣いたが、スクリーンで上映されるのも残りわずかというのが本当に受け入れられない。既に通い、チーズバーガー追悼式もしているが、是非応援上映をあと3000万回して欲しい。
あまっちょろいことを言うと、ストレンジ先生どうにか時を巻き戻してしてくれませんかとも思うが、今はまだしっかりと悲しみを噛み締め、今だからこそ得られる激情を楽しみたい。ありがとうアベンジャーズ。ありがとうキャップ。ありがとう、アイアンマン……(号泣するオタクの絵文字)

そして次は我らがトムホ&えのじゅんの最高最孫スパイディがやるので、トニーの影を見ながらそれはそれで頬を濡らしに行こうと思う。ブラックウィドウもDr.ストレンジもやるし贅沢かよ〜~〜~〜~〜~!
これからのMARVELが実に楽しみである。

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