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山下達郎のこと

今回の書き手は久松農園代表の久松達央です。農業や農産物に関する記事のほかに、久松個人や農園の「周りにあるもの」も時折ご紹介していきます。

「これ,いいっすよ」
高校一年の夏。なぜかいつも敬語で話しかけてくるクラスメイトがなんの気なしに貸してくれたパステルカラーのレコードが山下達郎との出会いでした。その時はまだ,音楽の深淵を覗いてしまったとことの重大さには気づかず。。

なんてきれいな声なんだろう。のびやかなでパワフルな声と心地いいサウンドの虜になりました。レンタル屋で他のアルバムも借りられるだけ借りて,カセットに録音して,文字通り擦り切れるまで聴きました。

そのうちに,山下達郎なる人物に興味を持ち,ラジオや音楽雑誌で追いかけるようになります。その人柄にも惹かれ,達郎自身の音楽はもちろん,彼が勧める音楽にも関心が広がりました。ラジオで流れてくるビーチボーイズの旧譜にびっくりし,レンタル屋で探すも,もちろんそんなものはありません。仕方なくレコード屋に行ってみても,田舎にはそんなコーナーすらない。レコードというのはレコード屋に行けば必ず買えると思っていたのです。中古レコード屋の看板を見つけて恐る恐る足を踏み入れると,ラジオで聴いたことのある名前が次々目に飛び込んできました。もっとも,レコードなど小遣いで買えるはずもなく,それらを実際に聴くのは大学生になって上京してからになります。

その後ブラックミュージックにドはまりしていくきっかけは,この頃聴いたものがベースになっています。情報が少ないので,必死に探して食らいつき,いいと思ったものを頭の中でぐるぐる反芻し続けた集中力は,いつでも入手できてしまう今とは比べ物になりません。だいぶ後になっていろいろ聴いてみながら,ああ,あの曲はこれを参照しているんだな,という答え合わせをしていった感じです。

初めてライブに行ったのは20歳の時。知り合いづてで入手したチケットで行った戸田市文化会館でした。1曲目の「アトムの子」のドラムが響き,達郎のカウントの後で分厚いシンセがジャーンと鳴った瞬間に全身に鳥肌が立ったのを今でも覚えています。全身に鳥肌が立ったのは生涯で2回だけ。あの時と,中3でビートルズの”I saw her standing there”のイントロを初めて聴いた時です。

音楽そのものもさることながら,生き方に大きく影響を受けたのが山下達郎です。反骨心とか,上を疑う姿勢は達郎から学んだ気がします。高校生のモヤモヤは達郎だけを頼りに乗り切ったと言えるかもしれません。高校生男子などという生き物は,頭の8割は女の子のことしか考えていません。何かに打ち込んでいるわけでもない,モテない田舎の男子が自分の感受性を大事に持ち続けられたのは,「自分のプロフェッションを追求すれば,評価してくれる人はいる」という達郎の言葉を信じて(あるいはそれにすがって)じっと耐えられたからです。

時は下って十数年後,農業を始めて5-6年が経った頃,上の『POCKET MUSIC』のタイトルソングのライブバージョンがラジオから流れてきました。高校生の頃から聴いているアーティストが長く現役で音楽を続けているのは励まされるなぁ,と思って,ふと達郎が何歳でこのアルバムを作ったのかを考えてみました。33歳。奇しくもその時の自分と同じ年齢でした。
「達郎は今の自分の年でこんな作品をつくっているのに,自分はまだ何も始められていない・・」
絶望に覆われ,その場から動けなくなってしまいました。今でもその時の暗い部屋の色を覚えているほどです。

それから17年。達郎は今も現役で新作を出し続けています。そして,15歳で出会った『POCKET MUSIC』が35年の時を経て,今週リマスター再発されます。若い頃の仕事が形に残る残酷さに自分だったら耐えられないかもしれません。

これを聴く自分は何を感じるのか,楽しみです。旬のほうれん草を収穫しながら聴きたいと思います。

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