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自分を育てるということ

20歳すぎたら、自分は自分で教育しましょう。
どんな人でも、自己教育というのは大事なことです。
自分を教育する、これはどんなことを指すのでしょう。わたしたちは子どもの頃、家庭や学校で教育を受けました。しかし、それらの教育がなにを目指しているのかは、わたしにはわかりませんでした。
わたしは家庭では精神的苦痛を味わい、さらにはネグレクトを受け、満足に育ててはもらえませんでした。学校ではさらに悪く、明るい積極的な生徒でなかったわたしは、先生から嫌われ、ひどいことをされていたりしました。
親にしろ、先生たちにしろ、なにを目標に子どもと関わるのか、たぶん知らなかったのでしょう。
わたしは高校を中退し、社会で通用するような大人にはなれませんでした。
わたしは精神疾患を抱えるようになり、精神科に入、退院を繰り返すようになりました。
でも、わたしははっきりとわかっていました。
21歳のとき、人生は、魂を成長させるためにある、と考え至りました。
たいせつなのは、魂。病気だといわれる心ではない。わたしはそう思って、自分を教育していくことにしたのです。
どうやって、教育していったかというと、とりあえず、いろいろな本を読みました。心理学、倫理学、哲学、文学、芸術論、あらゆる偉人の伝記、宗教関係の本、などです。たぶん、いちばん読まなかったのが小説だと思います。日本文学は特に読みませんでした。性に合わなかったのです。
わたしは、美しい文章に惹かれたし、そこに書かれていることが半分しかわからなくても平気でした。
わたしは孤独でした。でも、周囲に合わせて、ばかみたいな遊びにつきあう気にはなれませんでした。
たくさん読んでいた本が、なにになるのか、その当時はわかりませんでしたが、50歳を過ぎたいま、その書籍がわたしの精神の滋養となって、生きるのを楽にしてくれている気がします。
現在、情報は数限りなくあふれています。そのなかから、自分に必要なものを選ぶことが、わたしはできます。不必要なものがわかるという感じかもしれません。
わたしは直観を頼りに生きていますが、この直観をつくったのが、若いときからの、自己教育のお陰だと思うのです。
あなたは、なにが正しいか、正しくないか、瞬時に判断できますか。
充分な吟味がないとわからないものもあります。しかし、直観で決めることが正しいことが多いのも事実なのです。
わたしは、いまはただの主婦です。でも、だからといって、自分になることを諦める必要はどこにもないのです。
わたしはわたしになります。
長い時間自分を教育し、魂を成長させようとしてきた、この歳月の積み重ねは、わたしを強くし、周囲に感謝できるようにさせてくれました。そんなふうなわたしは、どこをとっても幸せです。
自分が自分でいることに過不足なく、生きていられます。

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