見出し画像

つれづれ日記07

一冊の本を読んで、こんなにも暗澹たる気持ちになったのははじめてのことだ。
ノンフィクション『女帝 小池百合子』である。
これほどとんでもない女性が、権力を持つ男たちにすり寄って、今日まで自らの野心を遂げてきた人生の軌跡。彼女のカイロ大学主席卒業という学歴詐称が、どうしてこれまで断罪されることなく、権力の階段を登りつめることができたのか?
それはひとえに、彼女を今の座に導いてきたのがその時どきの政財界やマスコミの「権力を持つ男たち」であったからだ。
自らの野心を遂げるためにまるで広告代理店そのもののイメージ戦略を成功させてこれたのは、その野心の正体を見抜けず、彼女を利用してきた日本の男社会とマスメディアが、今も彼女の共犯者であり続けているからに他ならない。
本を読みながらの、この胸が締めつけられるような重苦しさは、きっと著者である作家と、作家に真実を告げた人。二人の女性が命の危険に怯えながら、勇気をもって世に明らかにしていると思えたからだ。著者は「書くことの罪と書かないことの罪。後者の罪をより重く考えて本書の執筆を選んだ」という。
そして今、そんな女の犯罪が放置されたまま、都知事選でも最有力候補者でい続けることができている日本社会。その闇は、救いようがないほど深く、暗い。

画像1


そんな暗澹たる思いでいたとき、北欧デンマークに暮らす二人の日本女性が上梓した『デンマークの女性が輝いているわけ』(大月書店)という本が届いた。
デモクラシーが根づいた「幸福先進国」のデンマークでは、保育園に通う頃から、日々の「子どもミーティング」を通じて民主主義を学んでいるという。
国民学校(日本の小学校)では、すべての学校に理事会の設置が義務づけられていて、その理事会メンバーには生徒代表が2名以上入っているという。「学校は人を育てるたいせつな場所。その主人公である子どもを外して、大人たちだけで学校はどうあるべきかを決めるのは民主的でない」と考えるからだそうだ。
また、数年前の夏には、文部大臣がグループテスト(3、4名の生徒がグループになって一つのテーマについて勉強し、グループで試験に臨むこと)の廃止を決めると、首都コペンハーゲンだけでも1万2千人もの「デンマーク学校生徒連盟」の子どもたちによる抗議デモが実施されたという。
そんなふうに、デンマークという国は「三人寄れば任意団体ができる」と言われるくらい、都市にも地方にも「犬も歩けば棒に当たるほど」様々な任意団体が存在しているというのである。
もちろん65歳以上の高齢の全国組織もあって、高齢者の2人に1人がその組織に参加し、高齢者市民の声を国や自治体に伝えるパイプ役を果たしているという。
ことほど左様に、女性たちも生涯フルタイムで仕事をしながら妻であること、母であることを無理なく両立する社会体制が出来上がっている。そんなデンマークという国を心底羨ましいと思いながらこの本を読んだ。
2冊の本の違いは、まさにその表紙に表れているのではないか。
一人の虚飾にまみれた権力者の女性の写真と、皆が自分の暮らす社会に誇りを持っている大勢の無名な女性たちのグループ写真。この表紙こそ日本がいかに後進国であるかを示している。
<嘘>で権力の座を射止めた女性が注目を浴び続ける日本と、民主主義が社会の隅々にまで根づいたデンマーク。
「自分でものごとを考え自分で、決定する自立した人間形成」を目指しているデンマークの人びとは「男女同数の社会参画は経済発展に大いに貢献する」と考えていて、一人当たりのGDP(国内総生産)がデンマークは世界10位であるのに対して、日本は26位という統計を見ても明らかである。
私たちの社会が後進国から脱するために何から始めたらいいのか、それを考えると途方に暮れるばかりだが、まずは選挙で「自分で考え、自分の判断で選択する」から始めるしかないだろう。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?