ただただRADWIMPS愛を語るnote

 RADWIMPSが大好きだ。RADWIMPSが生き甲斐の4割くらい占めてる、ってくらい好き。RADWIMPSを知ったのは「君の名は。」を見たとき。その頃もうRADはデビューして13年経っていた。アルバムを7枚出していて、ライブを17回もやっていた。RADに出会えたことは嬉しいが、もっと早く知っていれば、、、なんてよく思うことがある。

 RADWIMPSは、ロックバンドでありながら、歌詞がめちゃ深い。どのくらい深いかと言うと、鎌倉武士たちのもつ頼朝に対する御恩よりも深い。僕の1番好きな「夢番地」って曲。 

昨日に夢を託せば後悔で、明日に夢を託せば希望で、でも今日の僕に夢を託して、何になるの。未来のために今があると言われても僕は信じないよ、だって今のこの僕が、昨日の僕の未来。いまに甘んずることなかれと、言われても僕は笑えないよだって今のこの僕が、誰かの夢見る未来。

 こんな感じで始まる曲。夢ってなんだろう、夢ってどこにいるんだろう、そんな疑問に答えてるような気がする。歌の解釈とか気になる方はhttps://otokake.com/matome/8wENZOこちらへ。
 叶えたい夢ばかり数えて、叶えた夢は泣きながらきっとどこかへ。って歌詞がある。これみて、あっ!ってなって人いる?ツァイガルニク効果想起させない?洋次郎って歌詞にめっちゃ力入れてる(印象)からツァイガルニク効果意識して書いたんかなーとか思ったりする。

 RADは綺麗な歌もある。RADWIMPSは2012年からほぼ毎年3月11日に曲あげてるんだけど、それがまたすごくいい。例えば、

さよならをちゃんと言える別れは幸せなのかも なんて思ったよ / 空窓
渡しそびれたさよならは
誰に運んでもらえばいい?
交わしたての約束は
誰と果たしたらいい?
そもそもこの声はさ
ねぇ何処に向かって歌えばいい?
全ての今までの喜びが嘘になっても
戻らない君ならば
せめて出逢えたこの喜びを / 白日

とか、ほんとに感動する。これを知ってから毎年3月11日が待ち遠しかった。もうすぐ3.11。3.11を待ってる。被災者の侮辱になるかもしれないけど、そんな気持ちは毛頭ない。この天災がもたらした惨状、そして第三者の自分が感じたこと、それらを忘れないためにも、ずっと聴き続けようと思う。

 最初のところでRADWIMPSが生きがいの4割を占めてるって言ったけど、4割のうちの6割はRADのライブが占めてる。RADのハイテンションになる曲が好きすぎるからだ。しかもそれをライブで聞いた時のあの感じ。絶対に忘れない、忘れたくない。前回のANTI ANTI GENERATION Tourは最高だった。これが初めてのライブだったけど、もうまじで最高すぎてほんとにやばかった。始まる前は楽しみすぎてRADのライブに参加できればもう死んでもいいやって思ってたけど、終わってからはまたあの感情を味わいたいってなって絶対に死にたくなくなった。生にまとわりつきたくなったw 静かな曲(そっけないとか)以外は殆ど飛び跳ねてた。1番最後にDADAっていうテンション爆上げ不可避な曲やったんだけど、疲労を一切感じなかった。アドレナリンってやつかな?でも終わったあと疲労感がやばかったwあと何故か達成感もあった。


RADのライブは今までの人生で最高最大のモチベーション。生きる原動力になってる。あ、別に自殺志願者とかじゃないけど。

 ちょっと長くなりすぎたんでここらへんで。ここまで読んでくれた方はいらっしゃるのだろうか。もしいたらファボくださいw
じゃ、ばい、


ps. 見返したら文章ぐちゃぐちゃでなにが言いたいのかわからんね

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