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わたしが一番好きな果物

「好きな果物は何ですか?」
こう聞かれたら、あなたは何と答えますか?

私の場合、ズバリ、柿。

「渋い好みだね」という声が聞こえてきそう。柿はイチゴやメロンのように、「フルーツ」というカタカナが似合わない。女の子の名前に梅子や桃子はあるけど、柿子はない。なぜかと考えて出した答えが、柿には花がないから。いやいや本当か? と思って調べてみたら、柿にも花は咲くけど、うっかりすると見落としてしまいそうなくらい控えめな花だった。

そんな地味なイメージがあっても、私は柿が好き。世界で一番と言ってもいいくらい。その理由は、何と言ってもおいしいから。ちょっと疲れたときに食べるとテキメンに元気が出る。ビタミンCの含有量は果物の中でトップクラスで、柿1個で一日に必要な量がのビタミンが摂れるのだという。

柿はとてもありふれた果物で、どこにでもある普通の感じが、私が好ましく思う理由のひとつでもある。スーパーの売り場でも、ぶどうや桃のようにうやうやしく緩衝材にくるまれていないし、傷がなくてキレイなものよりシミがついているほうが美味しそうでさえある。

柿の実がなる景色は、田園風景のように古き良き日本を思わせる。柿は実家の庭にも植わっていて、秋には時々鳥が実を食べに来ていた。小学校の通学路には「柿の木坂」があり、秋になると落ちてつぶれた柿の実でアスファルトの道路はベトベトだった。

福島に住む、今は亡きおばさんの家の庭にも柿の木があって、毎年柿の実を送ってくれていた。あの震災があった年もいつもどおり送ってくれたけど、放射能が気になった私は食べることができず、かといって高齢のおばさんが一生懸命荷造りしてくれたことを思うと捨てることもできなくて、どうしよう…と思っているうちに、結局部屋の隅で腐らせてしまった。

柿にまつわる思い出は、華やかではないし、にぎやかでもない。ハレとケで言えば圧倒的に後者で、イチゴやメロンがアイドルやスターだとすると、柿には親戚とか幼馴染のような親しみがある。

柿といえば思い出すのが、さるかに合戦。この間本屋さんに行ったときに『かにむかし』の絵本を見つけて、これ家にあったなあと思って懐かしく手に取ってみた。

このお話しの醍醐味は何と言っても、クライマックスで悪い猿をこらしめる栗や蜂や臼の連携プレーだと思うけど、大人になって読んでみると、決してそれだけではない魅力があることに気づかされる。

この絵本は、ある日かにが一粒の柿の種を見つけて、それを大事に持って帰るところから始まる。そして柿の芽が出て、枝を伸ばして、実をつけるまでを、かにがせっせと世話をする様子がじっくり描かれる。ついに柿の実がなる場面では、たわわに実った柿が画面からはみ出すほどに描かれていて、見ているだけでウキウキする。たった一粒の小さな種がこんなに実りをもたらすという自然の摂理よ、豊かさよ。それに比べたら、日経平均株価がどうとかいった人間社会の問題がとても小さなものに思えるのだった。

この豊かさを分け合えば、みんな幸せに暮らせるのに…というところで、悪い猿がやってきて、豊かさを独り占め。挙句に青い実をぶつけてカニを死なせてしまう。

さて。この次のシーンが子供の頃に読んで一番衝撃的なところだったんだけど、死んだかにから、かにの子供が出てくるのだ。それも、たくさん。

つぶれた かにの こうらの したから
かにの こどもが、
ずくずく ずくずくと
たくさんに はいだして きたそうな

死と生が同時に描かれたそのシーンは、なんだかとても生々しい。ひとつの死とたくさんの子供は、一粒の種とたくさんの果実とおなじ。その豊かさ、たくましさ。これが自然の摂理だということに、理屈を飛び越えたところで胸の奥がぞわぞわ・むずむずする。その後に展開される猿への復讐は、たしかに面白いけど、どこか教訓めいている。

『かにむかし』はYouTubeで読み聞かせがいくつかみられますね。この作者は『夕鶴』で有名な劇作家の木下順二さんで、劇作をしていた人ならではか、音読したときの言葉のリズムや響きも面白い。

昨日の夕方、5時の空。このところ快晴が続いている。

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