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読書感想『居るのはつらいよ ケアとセラピーいについての覚書』

ずっと読みたかった本を読了した。『居るのはつらいよ ケアとセラピーいについての覚書』(東畑開人著、医学書院)。

いくつか賞をとって話題になった本で、ずっと読みたいと思っていたのだけど、学術書だからと敬遠していた。でも思い切って読んでみたら、エッセイやお仕事小説のような読みやすさで、ユーモアたっぷりで軽妙な語り口に引き付けられて、一気に読んでしまった。

読みたいと思ったのは、タイトルに共感するものがあったから。「いること」のつらさ、それは人見知りの私にとって子供の頃から悩まされてきた切実なテーマで、いつも「ここにいてもいいのかな」という漠然とした不安を抱えて生きてきた。だからこのとらえどころのない「いる」というテーマをどのように紐解いているんだろうと興味がわいた。

「いるだけでいいから」。そうと言われて困った経験は私にもあって、やっぱり何か「すること」がないと、落ち着かない。自分の存在が許されないような、申し訳ないような気持になる。それは何かしていないと、自分に価値がないように感じてしまうからなのだ。そんなことはないとアタマではわかっているのだけれど、カラダは納得していないのだった

読みながら、すごく色んな考えがモヤモヤとアタマの中を渦巻いた。特に印象に残ったのは、新任の心理士だった著者が、勤め先の精神科デイケア施設で「居られる」ようになったエピソードだった。それは夏の甲子園で、地元の沖縄代表が優勝を成し遂げたときのこと。決勝戦ではデイケアに通うメンバーもスタッフもひとつになって応援した。試合が終わった後にその境地は訪れる。

そう、気づけば、そこにただ「いる」ことができるようになっていた。「いる」ことを脅かされなくなっていたのだ。

わかる。私にもそういう体験、あった、あった。あれは10年近く前、イギリスに短期留学に行った時だ。たどたどしい英語しか話せない「平たい顔族」の私は、最初居心地が悪くて、そこにいるのがいたたまれない感じだった。でもパーティでちょっと飲みすぎてはじけてしまった翌日、突然「いる」ことができるようになった。英語が上達したわけでも、顔が平たくなくなったわけでもないのに。

環境に身をあずけることができないときに、僕らは何かを「する」ことで、偽りの自己をつくり出し、なんとかそこに「いる」ことを可能にする。生き延びようとする。
僕らは誰かにずっぽり頼っているとき、依存しているときには、「本当の自己」でいられて、それができなくなると「偽りの自己」をつくり出す。だから「いる」がつらくなると、「する」を始める。
逆に言うならば、「いる」ためには、その場に慣れ、そこにいる人たちに安心して、身をゆだねられないといけない。(p.57)

なるほど。「いる」のがつらいと「する」を始める。私の人生、何かと頑張りすぎてしまうのは、その辺に原因があるのかもしれないと思った。ちなみに、「本当の自己」とは、「ぼーっとしていて無防備な自分」のことだそうだ。

***

私が訪問介護でケアする方々は、口をそろえて「年は取りたくないわね」と言う。若い頃にできていたことができなくなって、人の世話になるのがいたたまれないのだ。自分に存在価値がないような気がしてしまうのだろう。

そう言われると、私はいつも返事に困ってしまう。「そのままでいいんですよ、人は生きているだけで価値があるんです」と、心の中で思うけど、口には出さない。ほかならぬ自分自身に対してもそう思えるかというと自信がないし、言葉だけそういっても、キレイごとにしか聞こえないと思われてしまいそうだから。自分を含めて、本人の心の内から自然にそう思えるようになるのは、どうしたらいいんだろう。介護の仕事の中で、そんなことを日々考えている。

そのヒントが、この本を読んで少し見えてきたような気がする。何でもないおしゃべりをして、何かの役に立つことのない遊びをして、その何でもない時間の積み重ねが「いる」を支えるのかもしれない。急いで答えを見つけなくてもいいから、感じて、考えることを、ていねいに続けていきたい。

ところで、この医学書院の「シリーズ ケアをひらく」、いいよね! 積読がたまっている上に、読みたくなる本がたくさんあるのよ。ふむむ。読書の秋、本を買って応援します。




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