swan song2

 木造の建物は西日の光を窓に受け、柔らかい色合いに包まれていた。
 人通りはなく、粛粛とした静寂に満ちていた。―――と、それを引き裂くように、慌ただしい靴音が響く。
 紺色の軍服に身を包み、常に目深に被った軍帽が特徴の金剛型巡洋戦艦一番艦の金剛だった。彼は、英国発注としては最後の艦艇であり、容姿も金髪に蒼眼と異国であった。しかし、それらに不満を抱いている彼は、自らの髪を黒色に染め、帽子を目深に被る事で目の色を目立たないようにしている。
 そんな彼が急ぎ足で廊下を歩く為に、髪を一部纏めた房がパラパラと揺れ、忙しなく落ち着きなく動いた。
 とある扉の前に来ると其処で深呼吸を一度だけして、荒々しく叩いた。中からの返事を待たずに開けると、其処は此処で暮らす者たちの自習室となっている部屋であった。中には様々な寛ぎ方で過ごす者で溢れている。

「比叡は居るか?」
 金剛の凛とした声は何処か威圧的で冷たさを孕んでいた。それは彼の性格を物語っているようでもあった。その所為かは分からないが、色とりどりの声でざわついていた室内は、すぐに水を打ったように静まり返った。
「はい。比叡です」
 直ぐ様答えた比叡と名乗る声は、金剛の声と似ていたが幾分か柔らかい雰囲気を含んでいる。声が聞こえるとほぼ同時に、煙草盆のまわりに屯していた一団の中から、一人がすっくと立ち上がる。
「話がある。時間を呉れないか」
「分かりました」
 黒髪を真ん中で分け、鼻筋の通った凛とした精悍な顔つきをしている彼が、金剛型巡洋戦艦二番艦比叡である。国内で建造されては居るが、部品の大半を英国製で賄った故に、その眸は薄茶だった。
 同型艦である榛名と霧島が、好奇の視線を二人に投げ掛けた。他の者たちも似たようなものだった。そんな中、金剛と比叡は扉の向こう側へと姿を消した。

 

 ※

 

 誰も居ない教場で、金剛は比叡に事の顛末を話した。
「今行われている軍縮会議で決まった事だが……お前は、武装・装甲・機関の一部を撤去し、練習艦となるそうだ」
「練習艦……ですか」
「阿呆な話だろう。全く、妙高型の性能が良かったのが気に食わなかったらしい」
 ロンドン海軍軍縮会議の内容が気に食わないのか、金剛は苛立った表情をした。巡洋艦とは、本来はワシントン軍縮条約下では特段の制限のなかった補助艦艇であったが、日本が各国よりも秀でた巡洋艦を造ってしまったことで、それら補助艦艇の制限も取り決める必要が出てしまったのだった。
「私は、今後はどうすればよろしいのですか?」
「……今やっている改装工事を中断し、主砲や装甲の撤去を行う。機関の変更もあるな。近日中にきちんとした命令が下される」
「……そうですか。了解致しました」
「正式な発令があるまで口外無用だぞ」
「ふふ。大丈夫ですよ。それぐらいの事は分かっています」
 大した不満も感慨もないような静かな表情でそう言うと、比叡は金剛に一礼をしてその場を立ち去った。その後ろ姿を、金剛は淋しいとも苛立たしいともつかない曖昧な表情で眺めていた。

 

 ※

 

 軍縮会議の内容が、噂として流れていた事は確かだった。
 陸奥のように辛うじて生き残るか、土佐のように標的艦となって廃艦になるか。天城型のように空母となるか―――それらは、尾ひれをつけて様々な格好で囁かれていた。そんな最中に呼び出された比叡を気遣ってか、比叡が部屋に戻ると其処にはは誰もいなかった。

 比叡は、自分の行李を取り出すと中身を整理し始めた。恐らくは、転籍をしたら此処から出なくてはいけない。その時に慌てない為の、事前の整理であった。しかし、元々私物は持たないようにしていたので、ただ物の位置を少し変えただけで直ぐに終わってしまった。
 日記を書く気にも本も読む気にもなれず、手持ち無沙汰で何をしようか思案し始めた途端、先ほど聞いた金剛の言葉が重く圧し掛かる。

 皆さんは私よりとても優秀だから、戦列から居なくなるのが私で良かった。

 比叡は、確かにそう思っていた。事実、比叡は自分を優秀だとは思っていなかった。確かに巡洋戦艦自体は戦艦なみの攻撃力を持ちつつ、巡洋艦の速力を持つという素晴らしい構想の下に生まれた艦艇だった。
 だが、金剛のように設計主たる英国で造られたわけでもなく、榛名や霧島のように国産の主砲でもなければ資材の大体を国産で賄ってもいない。
 日本でどれだけ造れるか―――そんな実験的要素の強い自分は、性能という意味では金剛型の中で誰よりも劣っている。
 比叡は、周りの評価を信用せず、そう考えていた。

 金剛型巡洋戦艦は、確かに就役当時は無類の艦だったかもしれない。しかし、時代は恐ろしい早さで変化し、時に通説すら覆す。ユトランド沖海戦により、巡洋戦艦の装甲の不備が指摘され、金剛型は改装が必要だった。その改装中の、今回の顛末。
 自分が廃艦になっても、標的艦などで戦う為の道具として役立てると考えていた。空母になろうとも、戦い方が変わるだけだと考えていた。
 ……だが、練習艦と言うのは全くの予想外であった。勿論、国の為に働ける事は嬉しいのだが、何処か肩透かしだった。小さなため息を吐くと、比叡は天井を仰いだ。ぼんやりと、木目を眺める。

「私は……必要とされているのでしょうか」

 誰に問い掛けるでもなく、比叡は小さく呟いた。

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