幻聴という独断的な言い方より「考想化声」を使ってみよう。

障害や症状に対して、さまざまな偏見がある昨今。

かつて、精神分裂病と言われた時代から統合失調症と変わったように。

記憶の認知に障害をもつお年寄りが歩いているさまを、徘徊なんて言葉でくくって区別したくないから最近では聞かれなくなってしまったけれど、腫れ物に触れたくないから使わないようにする社会っていうのは、暗に、奥に奥に物事を閉じ込めているだけのようにも思えるから、本当はもっとコミュニケーションしなくちゃいけない。

主観的な「徘徊」って言葉にしたって。

主観的に、一方的に見えている表象化した部分だけで判断する、障害のある方が悩まされる幻聴って言葉にしたって。

女性は話が長くなるって暴論にしたって。

本当はもっとコミュニケーションしなくちゃいけない。


だから、症状に悩まされる当事者の方が実際に聞いている声なのに一方的に決めつけられる「幻聴」って言葉よりも既にあった言葉で、専門的な意味合いを含む『考想化声』って言い方のほうが適当かと考えました。

考想化声という専門的な用語を皆が扱える社会になりはしないでしょうか。


今では、徘徊って言葉を使う人って人間性疑うようなところありますよね。

人間性なんてよくも知っちゃいないそんな言い方したくはないけれど、徘徊って言葉は今では暴論だと思う。


恥ずかしい。

精神疾患を患う障害のある方が参加できないオリンピックというのも、東京オリンピック問題で男女平等を掲げていながらそのほかの障害に目を向けられない世の中にもついでに言いたい。

恥ずかしい。


ちょっと言いすぎたかもしれません。

また、よかったら覗いてください。



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