見ているようで見ていない。

こんにちは。Ku-Yanです。

今日は、最近気づいた出来事について書いていきます。

今年の4月から理学療法士として、働かせてもらっているのですが、

担当の病棟がまだ決まっておらず、

担当が決まるまでは、先輩のリハビリを見学をすることが仕事になっています。

しかし、私は、見学が苦手で

例えるなら、ゲームを自分でするのではなく

他人がしているゲームを後ろからただ眺めているだけの

眠たくなるような時間が淡々と進んでいく感じがしていたからです。

学生時代の実習でも、見学することに良い思い出もなく、

見学=面白くない

という気持ちがありました。

でも、見学させていただく限りは、

何か学んでこれからの、仕事に活かせるものはないかと

たくさんメモをとるようにしていました。

見たまま、聞いたまま、メモをひたすらとる。

そんな中、先輩からこんなアドバイスをいただきました。

「順番・順序はどうするのか?」
「自分ならどうするか?」

を考えながら見学するといいよと、、

そのとき、自分は、

「あーー、何も見ていなかった。見てはいたけど、
ただ景色を眺めるが如く、見てメモをとる作業をしていただけだと」

見ているようで見てはいなかったことに気がつきました。

見るには、たくさんの意味があり

見る・観る・診る・視る・看る・覧る

たくさんあるのですが

自分がやっている姿が想像出来ない

同じように絶対出来ないと

危機感を覚えました。

明日からは、しっかりと自分がやる前提で

「なぜ、それをするのか」
「自分ならどうするか」
「手順は、順番は?」

しっかりアンテナを立てて

見ていこうと思いました。

これを読んでいる皆さんも、

日頃見ているものを

いろんな意味合いを含んで見てみるのも良いかもしれませんね。

読んでいただきありがとうございました。

明日からも一日一生のごとく励んでいきましょう。

ありがとうございました。

弥栄

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