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コーチング脳で『がん医療』を考える 13

今回は、アドラー心理学でいうところの「課題の分離」についてのお話しです。
医療者は、「『患者さんは弱いもの』、だから私の助けが必要」と考えて、これをしてあげたい、あれをしてあげたいと考えがちです。
そして、そのように医療者に相談すれば何でもやってくれるから、患者さんも頼りにして、次から次に頼み事をしてしまう。中には病気とは関連性の薄い、家族との関係性の悩みなどを相談されることもしばしば。
そして、医療者は頼られるのが好きだから、頼まれれば嬉しくなって、アドバイスしたり、手助けしたり、一緒に悩んだり・・・
病院ではよく見る光景だと思いますが、この関係は本当に良い関係なのでしょうか?

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▼ヨコの関係とタテの関係
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アドラー心理学では、「ヨコの関係」を推奨しています。
「ヨコの関係」の反対は「タテの関係」です。
いわゆる上下関係ですね。
「患者さんは弱いもの」などのように、相手を無力な存在と見なしてお世話をしてあげようというのは、完全な「タテの関係」です。
相手に物事を教えたり、相手を説得したりなどして変えようとするような関わりも「タテの関係」ということになります。
一方、「ヨコの関係」とは、相手を「自分のことは自分でできる存在」と見なし、相手が力を発揮できるようにサポートするような関わり方をすることです。
あなたと私は、個性や立場は違っていても、人(できること・能力といってもいいのかな?) としては対等であり、互いに尊重し合うような関係性です。
仕事場の上司と部下という関係性であっても、あくまでも立場が違う、仕事としての役割が違うだけで、人間として「オレは偉くて、お前は下だ!」ということではないというのが、アドラーの考えですが、
現実社会では、ほとんどが「タテの関係」になってしまっています。
上司と部下という関係であれば、上司の言うことを多少理不尽だと思ったとしても、そのまま従う部下の方は多いでしょうし、それが「当たり前」みたいな風潮になってしまっている現場も多いのではないでしょうか?
「パワハラ」というのも、この「タテの関係」が行きすぎてしまった結果なのでしょうね。
親子関係も「タテの関係」になりやすいです。
アドラー心理学の第一人者である野田俊作先生はたしか、「子供に連れができるようになったらもう親として子供にしてあげることはない」と書いていたと記憶しています(間違っていたらすみません)。「子供に連れができる」時期は小学校中学年、高学年くらいだと思いますので、そのくらいになるともう子供を一人前の人間と考えましょうということだと思います。
とはいえ、うちでは日々「早く寝なさい!」「もう起きないと遅刻しちゃうわよ」「スマホばっかりみてないで勉強しなさい」などなどの言葉が飛び交っています(笑)。
でも、そのように言わなきゃ「勉強しないし、朝も起きないから遅刻しちゃうわよ!」って考えて、毎日同じことを繰り返してしまうのでしょうけど、
結局朝起きられず遅刻しそうな時
「お母さんが起こしてくれないから、今日は遅刻だ!もう学校休んじゃおうかな?」
「何言ってるの!?あなたが夜遅くまでゲームしているのが悪いんじゃない!」
とかでケンカしてしまったりします。
だからといって、野田先生も子供に何も言わず放っておくことを推奨しているわけではなく、たとえば「夜遅くまでゲームをしているとどうなるのか?」を子供と話し合って、どうするのがいいのか?を相談する事を勧めています。
これが「ヨコの関係」で関わるということです。
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▼ヨコの関係には課題を分離することが必要
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大ベストセラー「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀 史健著)を読んで、僕が一番感銘を受けたのが「課題の分離」という概念でした。
端的に言えば、それは誰の課題か?を考えて、他者の課題であればその課題に土足で踏み込むのはやめましょうということだと理解しています。
「誰の課題か?」は、その選択による結末を最終的に引き受ける人が誰か?を考えるとわかりやすくなります。
「子供が夜遅くまでゲームをしていて、翌朝寝坊する(遅刻する)」は、明らかに「子供の課題」であり、親の課題ではありません。
「夜遅くまでゲームをする」という選択をした結果、寝坊するのも、遅刻するのも、学校を休む(勉強が遅れる)のも、最終的に将来困るかもしれないのも、子供自身ということですね。
子供も、ある程度大きくなれば、その程度のことは考えられるし、自分自身で解決できるはずと信じましょうということかと思っています。
逆に、親が代わりに解決してしまったら、子供自身が解決する機会を奪ってしまい、本来であれば自分の課題であることを他人任せにしてしまう子に育ってしまう可能性があるわけです。
「じゃあほったらかし(放任)にして、子供の好きなようにさせておけばいいのか?」
「そんなんでうまく行くはずがない!」
と思われると思いますが、先ほども書いたように、アドラーは放任主義を推奨しているわけではありません。
①子供(相手)にそれはあなたの課題であるということを伝える
②その上で協力を要請されれば支援するという態度であることを表明する
③協力の要請がない場合には口を出さない
のようにしてみませんか?としています。
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▼医療者と患者さん、それぞれの役割
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医療者と患者さんも、それぞれの役割があり、お互いの課題には踏み込まない方がうまく行くと僕は考えています。
抗がん剤治療を受けた方がいいのか?
受けるとしたらどんな治療がいいのか?
一昔前は、「パターナリズム」といって、医者がなんでも決めて治療をしていました。※決めるのは医者
しかしそれは患者の自己決定権の侵害だ!という話になり、「インフォームドコンセント(説明と同意)」を重視する方向になりました。その結果、医師などから情報提供を受け、最終的な決定者は患者さんという形にはなりましたが、専門的な情報を全て患者さんが理解することは実際には困難であるにも関わらず、選択は患者さんに丸投げされた感じです(そして病院に行くとたくさんの同意書を書かされるようになりました)。※決めるのは患者さん
現在は、「シェアード・ディシジョン・メイキング」(shared decision making=共同意思決定)という方法が推奨されています。
これは正にお互いの課題を分離しながら、協力関係のもと、より良い意志決定ができるように相談して決定していきましょう!という考えと僕は理解しています。※決めるのは一緒に
「シェアード・ディシジョン・メイキング」は治療方針の決定などへ患者さん本人が参加することが不可欠です。しかし、患者さん本人が参加することで、患者さんの満足度が上がったり、セルフマネージメント(自己管理)が改善したり、QoL(生活の質)が向上したり、治療成績も良くなるという効果が期待できるとされていますので、オススメです。
日本ではまだまだ「インフォームドコンセント」が主流で、「シェアード・ディシジョン・メイキング」は重要性が認識されはじめ、徐々に拡がりつつあるといったところだと思いますが、
海外では、既に「シェアード・ディシジョン・メイキング」を更により良いものにしようという研究が進んでいるようです。
そしてその改善点をみると、「より長期的な視点の導入」と「個人的・社会的な問題も含めた情報共有」の2点が必要とのことですが、「あれ?これってコーチングの得意とするところだ!」と思いました。
つまり、「コーチングを活用しながら『シェアード・ディシジョン・メイキング』をすればいいだけ?」とほくそ笑んでいる僕がいます。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

“コーチング脳で『がん医療』を考える”シリーズ13はいかがでしたでしょうか?
何か参考になることがありましたら嬉しいです。
次回以降もどうぞよろしくお願いいたします。


この文章は、宮越大樹さんの著書『人生を変える!「コーチング脳」のつくり方』(ぱる出版)(を教科書として、『がん医療』にコーチングを応用する方法について考えておりますので、まだ本書をお読みでない方は是非とも読んでみてくださいませ。

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