「飽きた日坊主」になることにした:談話室#1日目
こんにちは、冬原水稀です。
突然思い立ちました。
「そうだ、note毎日投稿しよう」
というわけで、します!!(本題は以上!!)
夕立のように突発的に出現した不安しかない目標ですが、思い立ったのにもいくつかの理由がありまして。
それが、
冬原水稀、note使わなすぎ問題
今年の執筆活動頻度がヤバそう
自己表現が苦手過ぎる
です。
一つ目のnote使わなすぎ問題に関しては、記事一覧を見れば分かる通りです。こいつ、ほぼ一年に一度の創作振り返りしかしてない!!
せっかくnoteを使っているのだからエッセイも書けば良いのに。しかしそうすることが出来ない理由もあり……まぁそれはまた後程……。
ともかく、もう少しnoteを活用したいなって思ったのです。
二つ目のヤバそう(略しすぎ)。
Twitterでは既にお伝えしているのですが、一次創作物書き冬原、今年の小説執筆活動はあまり出来ない見通しです。リアルの多忙さと、色々と不調を起こしやすい故のこと。
しかしそんなことを私の文章力くんは許してくれない!! 文章力くんは、少しでも疎遠になると私から離れていくのだ!!!!
こ、怖いよ……。というわけです。
雑記によって文章を形成する力の継続、または毎日のネタ探しによる観察眼の育成。そんなところを目指していきたいと思います。キリッ✨
……かっこよくキメ顔を決めていますが、持続するのか?笑
三つ目の「自己表現が苦手」。
実はこれが、私の「noteを使えない理由」……というよりエッセイを書けない理由です。
Twitterでもそうなのですが、私は「自分のとりとめのない話」「自分の自分語り」がものすご~~~~く嫌いです。嫌いという言葉が嫌いなのですが、これは言い切ってしまいます。嫌いです。
ここで誤解しないでいただきたいのは、「他人の」自分語り・雑談を聞くのは大好き&寧ろ楽しいということ!!
何でしょうね、他人に対して許せることが自分では許せないのです。「こんな話は誰も聞きたがっていない」「自分の話で誰かの気分を害してしまう」と、そんな強迫観念のようなものが付き纏って。
今現在この話を綴る最中も、嫌悪感でいっぱいです。誰が聞きたがっているんだ?
しかし、
人柄が分かったほうが作家に対する親近感が湧く←分かる。
エッセイは思考整理の場にもなる←分かる。
自己表現は小説執筆や日常生活にも役立つ←超分かる。
そしてこのエッセイを開いてくださる方がいるということは、少なくとも「興味があって開いた」のであって、Twitterのように「誰が聞きたがっているのか」を気にする必要はない……はず!! だから書ける!! 多分!!
つまりこの思いつきは、「自己表現が苦手」を「好き」に変えてしまおう!! と、私の中ではそういう企画なのです。
よってこの毎日(かもしれない)投稿は、しばしば見苦しい場面や雑文(何せエッセイを書き慣れていないもので……)が見受けられると思いますが、付き合ってくださる方はどうぞよろしくお願いします。
そんなこんなで決意したはいいものの、先述も述べた一つの不安があります。
「持続するんか??」
そう、冬原は知っているのです。日記を三日坊主にした過去の自分。義務感に囚われると何か上手くいかなくなる人間の性。そして何より、ネタ探しに疎い自分を…………。
この不安をぼやいたところ、一番信頼できる身内に言われました。
「まぁ飽きるまでやれば?」
や、やるーーーー!!(笑顔)
何気ない軽い一言でしたが、とても心強かったです。そうだな、軽い調子でやろう!!
ただでさえ現在の冬原は自己表現が嫌いなんだぞ。義務にしてもっと嫌いになったらどうする。元も子もない。
……とはいえ三日坊主になったらそれはそれで嫌だし恥ずかしいので笑
出来る限りで、頑張ります。短い日があっても良い、「他人にとってはつまらないかも」と思わなくていい。三日坊主ならぬ、「飽きた日坊主」の心持ちで、自分を綴っていこう。
今日から始めます。もしも興味がありましたら、「そういえば冬原どうしてるかな」と思い出した日がありましたら、ぜひ遊びに来てください。
よろしくお願いします!!
冬原水稀(💬Twitterはこちら)
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