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仕事とポーカーの人生観~打ち出の小槌を得た先に~|Poker Garden Blog #3

こんにちは。朝でも夜でもヒルマです。

じゅにあさんのこのツイートが話題になっています。

実は2,3週間後に似たテーマでnoteを書こうと思っていました。2月に転職という転機があり、ポーカーとの関わり方にも変化があるため、それを伝えるにはこの辺りのテーマに必然的に触れることになります。少し早いですが、いい機会なので自分の考えを書き残そうと思います。

さて、きっとこのnoteを読んでくださっている皆さんは「仕事辞めてポーカーで食っていきてー。」という趣旨の言葉をまわりの友人から耳にしたり、Twitterで目にすることがしばしばあると思います。

その中の何人かは本当に仕事を辞めて、ポーカーで食っている人になっているでしょう。このnoteでは「ポーカーで食っている人」の定義を「ポーカーをプレイすることによって生まれる収益を中心に生計を立てている人」としたいと思います。長いので「プロ」とします。ポーカーでの収益2割、株などのトレードでの収益7割、広告収入1割のような構成の場合「セミプロ」とします。

プロはビジネスの世界から飛び出して、ポーカースキルを身に付け【打ち出の小槌】を手にしたわけです。世界中どこに行っても、適切なレートでプレイする限りは自分が1番目か2番目に強い状態です。

プロはつまらない仕事をやめ、くだらない人間関係から解放され、自由を手にしました。テーブルに金を置き、頭を使うだけで金が手に入る、そんな理想的な状態を作ることができました。

しかし、そんなプロの極致、スーパーハイレートで勝ち越すことができ、誰もが羨む、振れば大金が舞い込んでくる黄金の打ち出の小槌を持つじゅにあさんはどんな意思決定をしたでしょうか。

ビジネスの世界に来ましたよね。

じゅにあさんは高校生の時にポーカーを始めて、そのままプロ(本人はプロと自称していないがこのnoteでの表現上)になったと思うので、仕事を辞めた訳ではないが、このことは不思議ではないだろうか。

ポーカーに触れたたくさんの人が、今の仕事を辞めてでもポーカーで食っていきたいと思うのに、それを極めた人物が仕事・ビジネスの世界にやってくることをあなたはどう感じるだろうか。

僕はこう考えている。ポーカーは突き詰めれば「奪い合い」の世界なのだ。ゲームを知っている風に表現すれば「マイナスサムゲーム」だ。海外キャッシュゲームであれば、レーキがカジノに取られる。海外トーナメントであれば、フィーが運営者に抜かれてから賞金が分配される(トーナメントのテーブル上ではゼロサムゲーム)。

参考:ゼロサムゲーム・マイナスサムゲーム・プラスサムゲームとは

つまり「誰かが勝てば、誰かが負ける」というのはポーカーの構造的なものなのだ。これを僕は「奪い合い」と表現した。

この数カ月、猛烈にポーカーが流行ってきていることを感じる。テーブルを囲んで楽しく遊ぶことができるゲームであることは間違いない。「奪い合い」と表現すると都合が悪い人たちも居るかもしれない。しかし本当にポーカーと向き合うのであれば、目を背けてはいけないことだと僕は思っている。

さて、一方でビジネスの世界はどうだろうか。ビジネスは「生産と価値交換」の世界だと思う。分かっている人にとって当たり前すぎて何を真面目にと思うかも知れないが「付加価値のあるモノやサービスを生産して、価格を付けて販売(金銭と交換)し、利益が残るようにする。」これがビジネスだと思う。またビジネスはキャッシュフローを生み出す装置であると同時に、一定の継続性があり、人を残す側面もある。

「奪い合い」に無理矢理あわせに行くと、ビジネスは「生み出し合い」になるだろうか。「奪い合い」を続けるのか「生み出し合い」に参加するのか、それは人それぞれの価値観だろう。何を以って満足するのか、自分がどのようにありたいのか、人によって決めることだ。

ちなみに僕は「生み出し合い」に参加することを選んでいる。

僕の解釈としては『「奪い合い」の世界に関わってくれている「生み出し合い」の人間を蔑むな。』と言っているように感じる。

msakixさんのようなビジネス鉄強の言葉は重みがある。

今更だが、僕はじゅにあさんのことをめちゃくちゃリスペクトしている。みなさんが思っている100倍くらいはリスペクトしている。僕は2017年頃にPLOを始めたが、その時すでに世界トップクラスの実力を持っており、折に触れポーカー専業の方々から聞くエピソードも凄まじかった。今回の件もそうだが、ツイートの節々に表れるかっこ悪いこと/ダサいことの感覚が自分と似ている気がしている。

何かを極め「何者か」になるというのは並大抵でできることではない。僕はまだ「何者か」になる途中であり、今よりもっと大きなことを成し遂げて、尊敬する方々と肩を並べられるようになりたいと思っている。

話を戻すが、じゅにあさんが「別にすごくないよ。」と言っているのはスキルやマインドのほかに以下に挙げていく要素もあるのかもしれない。

プロになって打ち出の小槌を得ても(月数百万円稼げるようになっても)、銀行は家を買うためのお金を貸してくれないし、高級賃貸はなかなか借りられないのだ。継続的に価値を生み出す装置を持っている事業家や、その事業に与している従業員なら、それができる。

プロは、ほとんどの場合ビジネススキルは成長せず停滞するので、あらためて組織で働きはじめるにあたって、いきなり年収700万でオファーされることはないだろう。(もちろんプロになる前にビジネススキルを高め、キャリアを築けていればこの限りではない)

プロ、セミプロが「生み出し合い」に参加している人々を蔑んだ現場を見た訳ではないが、そうした発想を持つ方々は日々勤めることによって積み上げられている信頼や与信といった無形の価値を軽視しすぎなのかもしれない。

締めくくりをしたい。このnoteはBlogであり、個人の随想だ。ツイートを拾うかたちになってしまったが、元々自分が感じるポーカーとビジネスの対比構造を書いたものである。

自分がビジネスサイドの人間であるため、ポジショントークと感じられる論旨かもしれない。念のためあらためて書くが、資本主義社会の構造、ポーカーの構造を捉えたうえで、どのような生き方も選ぶも個人の自由なので、プロとビジネスパーソンのどちらを否定するものではないし、どちらのトップティアもすごいのだ。(プロ、セミプロの友人はもちろん応援している。)

このnoteを読んでくださっている方は、濃淡の差はあれポーカーに触れている人生を歩んでいる方だと思う。「仕事とポーカーの人生観」という大それたタイトルにしてしまったnoteだが、ポーカーに触れた多くの人がその人の人生にとって、仕事とポーカーの幸福な温度感・距離感を見つけられることを願っている。少なからずこのnoteから何か感じるものがあれば幸いだ。

結婚して家庭を持ったら、この続編「家庭と仕事とポーカーの人生観」を書く日が来るかもしれない。

Enjoy Folding.

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ヒルマ


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