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ポーカートーナメントとの向き合い方|Poker Garden Blog #2

こんにちは。朝でも夜でもヒルマ(@hiruma_poker)です。

日曜23時過ぎ、あるツイートを見て居ても立っても居られず、筆を執りました。

彼は僕が企画しているイベントに来てくれているお客さんであり、ポーカー仲間であるということと、僕はJOPT PLO Championshipというポーカートーナメントの事業サイドの人間だという前提をあらかじめお伝えしておきます。ポジショントークと捉えられるかもしれませんが、あえて書きます。

もうひとつ前置きとして、打ち込む価値・楽しむのある趣味にポーカーを選んでくれているすべての人にとって、ポーカーに対する価値額は千差万別であって、何が正しく何が間違っているかというのは存在しないと考えています。僕に彼を批判・否定する意図はなく、随筆的に自分の考えを述べるための土台にさせてもらうということを読み進める上でご理解いただけますと幸いです。

また、これは海外で開催されるようなプライズプール式((参加者の参加料がプライズに割り当てられる方式))のポーカートーナメントではなく、日本国内で開催されるスポンサード式(第三者によって提供され、プライズストラクチャーが固定された方式)のポーカートーナメントについての所見であり、それに趣味として参加する方々を想定読者としています。

前半

大きな論点が2つあるので、前半と後半に分けて記します。

今やっても勝てない

これは自分のスキルを客観視していることの表れです。有名なポーカー格言に「テーブルを見渡してフィッシュ(弱いプレイヤー)を見つけることができなければ、自分がフィッシュだ。」というものがありますが、まさに自分のスキルをテーブルやトーナメントの想定参加者から相対的に位置づけ、客観視することそのものだと思います。ポーカープレイヤーにとって、備えておくべき思考習慣だと思いますし、彼がポーカー始めて日が浅いことを知っていることもあり、こうした考えはとても素晴らしいことだと思います。

一方で「今やっても勝てない」という判断が正しいのか正しくないのかは分かりません。JOPT PLO Championship全体のプレイヤーレベルは不明です。DDPT&PokerGardenで開催されているPLO(ポットリミットオマハ)トーナメントは国内アミューズメントイベントの中で一定水準以上のプレイヤーレベルにあると思ってはいますが、そのバイアスがかかってしまっている可能性があると感じます。

「優勝・入賞をせめぎ合う残り2テーブルやファイナルテーブルで、スキルエッジがさほどない」という意味合いであれば、もしかしたら近しいかもしれませんが、残り2テーブルの環境がDDPT&PokerGardenの常連プレイヤーで埋め尽くされる確率はそこまで高くないと予想します。

ここまでは上辺の表現から見て取れることに対する分析です。「今やっても勝てない」の裏側にある心理に対して、考えがふたつあるので記していきます。ひとつめは「努力を続ければ、自分はいつか勝てるように(スキルエッジが出せるように)なる日が来る。」であり、ふたつめは「自分が勝てるフィールドでプレイして勝ちたい。」というものです。

こうした考えはスキルゲームを嗜む以上、当然のように思います。勝っても負けてもいいやというプレイヤーももちろんいますが、負けたくない・勝ちたいと思うプレイヤーのほうがマジョリティ(多数派)でしょう。なにより、僕自身が過去そのように思っていました。

賢くて、ポーカーをギャンブルではなくスキルゲームとして捉えているプレイヤーにこうした考えをしがちだと個人的には感じています。

「努力を続ければ、自分はいつか勝てるように(スキルエッジが出せるように)なる日が来る。」これ自体は僕ももちろんYes.です。だからこそPLOやってみたいな、というプレイヤーにPLOの触りの部分や大損しないプレイや考え方を伝えています。

しかし「その"いつか"はいつやってくるのか?」という問題があります。

30歳の時なのか、40歳の時なのか、50歳の時なのか分かりません。そもそもテキサスホールデムもPLOも、10年単位で見た時にその時までトーナメントが開催されるほど流行っているか断言できません。

「巧遅拙速に如かず」というのは孫子が遺した言葉で、現代でも賢くて腰の重い人よりも、そこまで賢くないが手数を打って行動している人のほうが成果を残すというのはよくあることです。

つまり伝えたいことは、ポーカートーナメントは「"いつか"を待つよりも"いま"チャレンジしたほうが良い。」ということです。まずここまでが区切りです。

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ふたつめを覚えていますか?「自分が勝てるフィールドでプレイして勝ちたい。」という心理でした。これはもっとシンプルで、そもそも大規模ポーカートーナメントの参加プレイヤーは自分には制御不能(アンコントローラブル)です。これを望むのであれば、ポーカー初心者の自分の友達を誘って身内だけのゲームをするしかないです。

海外のキャッシュゲームであれば、レートとテーブルの様子によって、自分が勝てると確信があることもあるかもしれませんが、大規模トーナメントではランダムにシーティングされるのでそれは叶いません。自分が余程強くない限りはテーブルに常に1,2人は格上がいて、競ってるくらいが半分、明確な格下が1,2人というのは普通だと思います。もちろん残り人数が少なくなるにつれて、格上比率は上がるでしょう。

なので「自分が勝てるフィールドでプレイして勝ちたい。」という心理を持っていると、永遠にポーカートーナメントに出場できません。ポーカートーナメントに参加しながら、格下をいかにドミネートするか、スキル的に競ってる相手をいかに打ち破るか、格上との対決を避けたり、いかに一泡吹かせるかということを試行錯誤するほうが趣味として健全だと思います。仙人みたいな修行をしてからポーカートーナメントに臨むよりも。

ここまでしか伝えないと、ヘタな営業のポジショントークにすらなりません。自覚しています。ここから後半です。

後半

今やって勝ててもその勝ちに価値がない

これも非常に尊い考えです。物事の捉え方がメタ的です。スキルの劣る自分が勝っても、自分自身それを喜べないという心理がそこにはあるんだなと感じました。そしてそこには「スキルに応じて報われるべき」という心理も見え隠れしています。

これは僕も思っていたことです。「自分のほうが相手より勉強していて上手いはずなのに勝てない」とポーカーの座学に時間をかけ真剣に取り組んだ人ほど感じるはずです。ライブのポーカートーナメントは試行回数が稼げませんし、ちょっとしたハンドの綾で順位が変わります。

国内のアミューズトーナメントよりもブラインドレベルの長いストラクチャーを主戦場にするポーカープロも、20数回連続でインマネできない時もあったと聞きました。(ポッと出のプロではなく、長年ポーカープロとして活躍している方です。)

また、キャッシュゲームのフィールドで戦っているポーカープロから「トーナメントで1000人いたら自分はスキル的に毎回30番目以内くらいにはほぼ入るはずだが、結果はそうならないので、あまりトーナメントは好きじゃない。」という趣旨の話も聞いたことがあります。

ここから何が言いたいかというと「ポーカートーナメントは短期で見ればスキルに応じて報われない。」ということです。

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報われないのに報われる(あるいは報われるべき)と考えるのは、ちょっと苦しいなと感じます。

ポーカーはスキルゲームだと言いながら、1回1回で見たらスキルに応じて報われないというのは矛盾に見えますが、人間の認知の範囲(時間軸や回数)が狭いだけで、科学的には矛盾していません。スキルを備え、プラスの期待値を積み重ねるプレイヤーが勝ち越すはずです。(もちろん分散の影響があるので全員が勝ち越せるとは言いません。)

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(『方丈記』鴨長明)
訳:川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長く留まっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。

日本の古典随筆『方丈記』の冒頭で、この名文に対して様々な論評・解釈があります。その中で「一回性」というものがあります。仏教の「無常観」を表現した文章だと解説されることが多いですが「今そこで起きていること」という視点で捉えると「一回性」というものが浮かび上がってきます。その川の水がそこにあるのも一回だし、水の泡も一回限りだということです。(参考:コトバンク "一回性"

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そしてポーカートーナメントも一回限りなのです。トーナメントクロックが動き始めたら、そのトーナメントの優勝者が決まるまで止まりません。そしてそれらは二度と再現されることはなく、一回限りなのです。

人間にとって時間は有限であり、寝て起きるサイクルがあり、そして余暇として使える時間にはさらに限りがあります。この制約は、ポーカートーナメントという遊び方が発明されたに至るひとつの重要な要素だったのではないかと個人的には考えています。

ポーカートーナメントの順位は、本来単なる賞金の傾斜配分の決定要素に過ぎなかったはずです。しかし「一回性」があるからこそ、その順位に、希少性を源とした「名誉」が付加されました。これは金銭的な価値のみならず、感情的な価値(高揚感・幸福感・尊厳を得た感覚などを得る)がポーカートーナメントにはあるということです。金銭的な価値よりも、むしろこの感情的な価値を求めてポーカートーナメントに参加する方は、レクリエーショナルプレイヤーに非常に多いと思います。

少し話が広がったので、点と点を繋いでいきます。そもそも「1回のポーカートーナメントはスキルに応じて報われない」ということが前提にあるとすれば、なぜ人はポーカートーナメントに参加するのか?という疑問が残ります。そのひとつの答えが「感情的な価値の希求」ということになるだろうと僕は考えます。自分自身が目標にしていたから満足するということもあるだろうし、周囲から尊敬が集まる自分でいたいだとか、様々な感情があると思います。それはただその一回しかないポーカートーナメントの順位を争った結果としてもたらされるものだということです。

なので、このように勝ったとしても自分の感情が満足しないなら不参加とすると決めることはとても自然な意思決定だと思います。

しかし、しかしです。本当に「あまり価値がない」のかは、再検討してみても良いのではないかと思っており、いくつか検討観点を提案します。

ひとつめ、これは金銭的な価値の話になりますが、単純に若い時に大きなプライズを得ることの価値が高いです。投資の勉強をすると、すぐに登場する概念が「現在価値」という概念です。現在価値という概念を知ると、今の100万円と20年後の100万円は同じ価値ではない、ということが分かります。今1万円の商品が100個買えても、20年後物価の上昇によって1万2000円になれば83個しか買えません。

国内ポーカートーナメントのプライズは現金ではないですが、なるべく若い時にプライズを手にし、海外に行って本格的なポーカートーナメントに出場し、キャッシュゲームを自分のお金でプレイする経験を積んだほうがよいです。

私も初めて取った大きめのプライズが12万円相当でしたが、すべて国内で使ってしまいました。コロナ禍どうこうではなく、海外に行って自分のお金をテーブルに乗せてポーカーする経験をすぐにするべきだったなと少し後悔しています。この経験は必ずその人のポーカー観に良い影響を与えると思います。

ふたつめは、金銭的な価値でも、感情的な価値でもないものです。感情的な価値は自分の内面に起きるものでしたが、自分の周囲にも変化が起きます。それは周囲からの見られ方の変化です。「立場は人を作る」と言いますが、まさにそれです。

自分の中で「スキルの劣る自分が勝っても満足できないよ。ツイてただけだ。」と仮に思っていたとしても、周囲は「大きなトーナメントで結果残した人だ」などと自分の捉え方と別のかたちであなたのことを見ます。それは良いこともあれば、悪いこともあるでしょう。仕事の自己紹介のアイスブレイクに使えたり、自前のイベントを立てて集客ができたり、配信やコーチングの依頼が来たりして、自分のブランドが向上したり金銭的に儲かったりするかもしれません。一方で、人から嫉妬されたり、陰口を言われたりするかもしれません。

優勝したことによる変化を有効活用するかしないか、するつもりがあるかないかはその人次第ですが、せっかくポーカーが好きになったのなら、実績を生かして、小さなイベントを開いたりして友人にポーカーを広めてみるだとかしてみるのも良いのではないかと思っています。

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みっつめは、ふたつめに少し繋がりますが「日本で初めて行われたPLOの大規模トーナメントの初代優勝者」になれることの価値です。正直これは、どうでもいいと思う人もいれば、日本のポーカーの歴史の1ページに残るのかと意気込む人で分かれるとは思います。人間というのは基本的に現時点から物事を見る(フォーキャスト)クセがあるので、「将来のある時点からその出来事を振り返ってみた時にどうか(バックキャスト)」という観点を忘れがちかつ軽視しがちです。あの時ああしておけば、今はもっと良い状態だったなと思うことは人生でたくさんあると思います。将来色んなことをガマンしてダイエットするよりは、若い時から運動と食事習慣を付けておいたほうがきっと良いのではないでしょうか。これもバックキャストで考えるからこそ出てくる発想です。

そして、たとえ優勝できなかったとしても、自分のポーカーキャリアの中のひとつのチャレンジと捉えることは有意義だと思います。何かを極めよう、達成しよう、習熟しようと思った時にはまず先にチャレンジ・目標を決めてしまうのが良いアプローチです。

私も2016年頃、社会人になって運動不足を感じていた時、半年後のハーフマラソン大会にまずエントリーしました。そこからジョギングを習慣化し、20km走り切りました。ツイート検索で引っ張り出せなかったのですが、delyの社長の堀江さんも「何も始めてないがトライアスロンの大会にエントリーした」と発信していた記憶があります。人はエントリー費を払うと、それをサンクコストにしないようにする傾向がありますし、その日から逆算して自分の活動を考えるようになります。

もちろんそのチャレンジがJOPT PLO Championshipでなくともよいですが、そういったチャレンジにふさわしいようにJOPT PLO Championshipは本格的なロングストラクチャーを用意しているつもりです。

最後に

ポーカートーナメントとの向き合い方をまとめます。

1.「"いつか"スキルエッジが出せるようになったら参加」は多くのプレイヤーにとって一生訪れない。「"いま"のスキルをぶつけて戦う」ほうが趣味として健全。
2.「1回のポーカートーナメントで自分のスキルが反映されて報われる」という幻想を捨てる。スキルが報われなくて当然。
3.「ポーカートーナメントにどのような価値を求めているのか」を自分の中で明確にする。金銭でも名誉でも、余暇でも暇つぶしでも何でもよい。

これらはすべて自分の趣味に使えるお金の範囲で、人に迷惑をかけない範囲で、ということだけ最後になりましたが断っておきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。皆さんが良いポーカーライフを送れることを心から願っています。

Enjoy Folding.

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ヒルマ

Photo by David White, Luciani K., Stone Wang, Eliobed Suarez, Gary Bendig  on Unsplash

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