私の人生③受験後~センター&D大~

  どうもこんばんにゃ。猫不足のひーです。受験後、私の黄金期は終わりを告げた、と言う感じで②を終わらせましたね。地獄編と言ってもいいW大合格後より、もう少し救われる話を、挟みたいと思います。

  D大の受験は、わざわざ京都に行かずとも、東京で受けることが出来ました。宝塚観に行くとか、観劇出来なくてもお年玉貯めて舞台写真買い漁るとか、有楽町辺りには出没していた私なのですが、トンデモ方向音痴+(道の)覚えの悪い私は受験がどうよりも「遅刻しないで辿り着けるか?」が心配でしたが、何とか辿り着けました。

  会場はやはりピリピリしていました。当たり前です。第1志望だったので、私もかなり動悸を抑えつつひたすら落ち着いて、大丈夫、と自分に言い聞かせました。
  大学受験って、判定がAだとしても結局本番を受けるまでどうなるか分からないのです。母が「滑り止め全落ち」という実体験を教えてくれていたので。ですが志望校です。しっかり対策はしました。後は他の受験生同様、気を張って臨むだけだ、と思って問題を解きました。因みに、2日間同じ大学の違う形式で受けたので、2日連続で東京に行くのがしんどかったです。田舎の広がる田んぼーーー!!!広い空ーーー!!!に慣れていた私は「東京は空が狭いなぁ…」と思いつつ、受験したのを覚えています。

  結果は前回書いた通り、合格出来ました。一安心!

  ここで書きたかったのは、頑張った私へのプレゼントがあった、という話です。

  1日目終了の夜。体調を崩さないことを第一と考え、帰ったら私はさっさと寝ようと思っていました。家に帰ると、いつも通り母から「おかえりー」と言われ、その直後、封筒を渡されました。
「なんやこれ?……!!!」
な、な、なんと毎月購入している『宝塚GRAPH』で、芹香斗亜さん(愛称:キキちゃん)の直筆サイン入りの写真が!送られて!来ていたのです❗❗❗
マジかーーーーー!!!!!!うわーーーありがとうーーー😭❤✨
  実は毎月購入はして読んでいても、抽選の応募を毎月出しているわけではありません。殆どないです。これはもう明日も頑張るしかないっしょ!と気合い入れて寝ました。そして2日間の試験が終了し、結果で言うと両方の形式で合格していました。やったね☆(欲を言えばキキちゃんのサイン入り写真入試2日目終わった後に届いて欲しかった←おい)
  そして母校へ。職員室に行き、まず報告とお礼を済ませ、美術部で(人がいなかったから)部長だったこともあり、役職とか関係ないのは当然ですが、部活に入っていた以上、勿論顧問の先生を探して、美術室の奥にある準備室の扉をノックしました。先生が扉を開けて私の顔見て一言。
「あら、ひーちゃんおめでとうo(^▽^)o」
「えっ(まだ何も言うてないぞ!?)」
「受かったんでしょ?」
「は、はい!無事合格致しました。3年間お世話になりました。本当にありがとうございます。とりあえず安心しました。」
と慌てながらも返しました。これで落ちてたら私多分死んでましたね。真面目に。職員室にいらっしゃらなかったから準備室に行ったので、先生が完全に私を信頼してくださっていた事を実感し、胸が熱くなりました。

 こぼれ話
  全然受験とは関係のない宝塚トークになるんですけど、『宝塚GRAPH』を購入し始めたのが2011年1月からで、その時は、抽選のプレゼントの中に各3人ずつで当たるトップと2番手と轟悠さんのカレンダーが当たるよ!という月でした。1月号(12/20発売)はいつもそうですね。初めて買った月に、当時まだ2番手だった壮一帆さんの直筆サイン入りカレンダーを勿論ダメ元と分かりつつハガキをカラフルにして必要事項と感想を書き、応募しました笑。
  当時中1?くらいで、友達の家に遊びに行き、もう少し遊んでいたかった私は家に電話をかけ
「もう少し帰るの遅くなっていい?」
と母に聞いたら
「いや、今日は早く帰ってきて」
と言われてしまいました。えー!ちょっとくらいいいじゃ〜んと思いながらも帰宅。
「××(本名)宛で届いたよ」
と母が取っておいてくれた封筒に目を移しました。開けよう。ん?もしや?これは!?え!?
そこに入っていたのは壮一帆さんの直筆サイン入りカレンダー。マジか。現実かこれは?
  何度目を擦ったでしょう笑。なぜ実家に置いてきたんだ私は。そうそう実家に帰る機会がない(というか世間的にも家庭の事情的にも帰れない)実家に置いてきた!?壮さん&愛加ちゃんのトップコンビ時代は短かったですが、母も壮さんの魅力に撃ち抜かれていたので、東京で3作品しっかりと観ました。(別箱は母だけ行ってたな、くぅぅ)
  大学入学後、京都ということでヅカファンおるやろと思っていた私は観劇バッグに教科書を入れて登校していました。やっぱりいますね!そこで、私よりも自分からチケットがんがん取りに行ってた子に聞くと「私の周りには当たった人いない」と言っていました。その瞬間運使い果たしたかも知れへん……と思いました。毎月読むけど抽選のハガキ出したのは片手に収まる回数でしたから…まぁラッキーなことが全くないのかと言ったら今もあると思います。多分これからも。

  はい、受験の話に戻ります。センター試験が先だったの忘れてたのですが、正直もう受験しに行く!って顔で家出た訳じゃありませんでした笑。もうやる事やったし、何が起きても恐れないぞという意識で。多分周りの大人たちからは「受験生だろうけどそれにしてはお気楽そうな奴」に見えたと思います。受験より遠足気分でした。試験時間外に見直しはしても多少気持ちの切り替えはした方がいいだろうなーと思っていました。文系3教科の民は1日で終了。文系と理系のバランスがあんまりにも悪かった私としては、国公立に行った人には頭が上がりません。今もそう思います。
  友達が近くにいたので、休み時間キットカット食べてました。チョコ美味しい😋私の年は古文漢文が童話レベルだったので、ガチ進学校の生徒や先生は激おこだったと思います。「誰でも読めるわ!差がつかねぇじゃん!!」って。まったく、彼氏が受験生の時は源氏物語とかその辺の、進学校の先生ですら「誰がこんなもん読めるかよ出すなよ😡」って文が出てしまったと言うのに。英語長文1個ミスったくっっそー!!とか思いながら帰って後日高校で自己採点しました。悪くはなかったのですが、ずっと席替えしても誰も希望しない最前ど真ん中の席を親友と取り続けていて、日本史はその子に負けました。でも彼女は、進学後、史学科で大変熱心に勉強をして、考古学を研究し、今は院にいます。なので、悔しかったけれど、お互い9割くらいの得点だったし、彼女の大学進学後の熱意を聞いていたので納得しました。彼女がいなかったら、私はここまで勉強しなかったんじゃないかと思うくらい、切磋琢磨できたと思います。今でも私の事は知ってくれています。ありがとう。
  滑り止めは1つだけで、それはセンターの結果送るだけだったので楽ちん🎵→合格。

  そして後は、「母校への恩返し」と「私の実力がどこまで通用するか」で受ける決心をしたW大の話です。
  これを読むと「めちゃくちゃイージーモードな人生送っている人のキラキラ☆彡自慢話」と思うはずです。今は寧ろそう思っておいてください。

  何がメンヘラだ、何が人生しんどいだ、高校は楽しかったんじゃねぇか!いくら努力したって言ってもアピールしてるだけだし「豚もおだてりゃ木に登る」の豚でしょ?受験もルンルンで第1志望受かって良かったじゃん舐めてんじゃねぇ、持ち直してるやんか、と。
  次の記事の投稿まで、皆さんにはそう思って貰いたいのです。

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