ユダは最愛の君だった②

  お久しぶりです。さてさて、妹はどうなったのか、そして、とりあえずメンヘラってからの生活は少しスキップして、今の状態について書きます。

 妹は第1志望の大学に「補欠」で受かりました。補欠でも合格は合格。しかしこの現実はしっかり頭に焼き付けて欲しいと思います。
「補欠入学とは、ビリで入るということ。」
結果妹は自宅通学で、大学に通い始めました。趣味も楽しんでいるようでした。今現在私は真昼間にも関わらずお酒を飲んでます。涙が出ますね。

  私に大きな変化があったからです。

  私は、2021年3月30日付でD大を退学しました。無試験で戻れる期間があるので、それに向かって療養をしたいと思います。
  私は3つの障害を抱え、ハードモードすぎる人生送ってるなぁって思うんです。だけど、逆にいい意味の自己中心的な気持ちが現れました。
「どうせ生きづらいならやりたいことを全うしたい」
私のやりたいこと
・撮影会モデル活動
・復学→卒業で深緑の袴を着ること
他にも何か創作でも出来たらなと思います。

  妹は通学時間長くなって推しの配信が見られないと言っていましたが、私の思ったことはこれです。
“How dare you say such a thing “
  いつか彼女は挫折するんじゃないか、と推測しています。彼女が必修落としたら退学、というのは、「母が私に約束した」ことです。

  母も母で、なぜ私が妹の受験に対する姿勢を見て憤りを感じながら口出しをするのかが全く理解できなかったようです。妹が大学進学を決めたと本人の声から聞いた時、私はこう言いました。
・補欠入学とは最下位で入るということ
・バイトも遊びも何も出来ない選択であること
・私の愛情を裏切ったことは重く受け止めて覚えて欲しい
  最後の言葉を言ったら妹が「そんなの分かってるよ!!」と泣き出したんです。そして隣にいた母が私に放った言葉はこれです。
「あら、泣いちゃったじゃないの。」
  私は自分の立てた目標なんだからそれに向かって努力し続ける姿勢があるにも関わらず退学を余儀なくされた。色んなことを知りたいと思います。でも、鬱状態の時って、欲求が消えますよね。そこまでど鬱にハマってなくても知的好奇心に溢れていたはずの私は色んなことに、そして好きだったことに関しても無関心、無感動の状態から抜け出せていません。
母が妹を庇う発言がどれだけ私にダメージを与えたのか、説明して退学届け出した際に謝ってもらいましたが。少し想像すれば、私が傷つくことは分かるはずです。でもそれが出来なかった母をある意味哀れんでもいます。

  私は問いたいのです。
「ねぇ、君。君は私をどういう人だと思っているんだい?私は勝手に君とは唯一血が繋がってる家族としての絆を感じていたのだけど、君は、違うのか?」
  もしそうなら私が出過ぎたことをしたということで構わない。でも私は、君がハッキリと望んだことにしか、動かなかったと思うんだよ。君は何を考えているの?

  人は「分からない」物事を恐れます。「分からない」ということを、極端に不安に思う生き物です。だから知りたい。今度、妹に声をかけてみようと思います。

  私はしんどい中、実家から彼女を解放するために色々なところに連絡を取りました。私が1番辛いと思ったのは、「どんなに努力しても出来ないことは出来ない」人間。それが私だからです。発達障害の話です。でも妹にそれは見受けられません。今のところは。私は恩の押し付けや見返りなんて求めません。逆に何を求めることがあるというのか…?何も思い浮かびません。大切な、大好きな妹が自分で目標を立てたのだから、努力をして、それが実を結び、可愛い服を来て楽しく東京の街を歩いて欲しい。
  そんな、素朴な願いがあっただけです。そして私は病状が悪く退学しました。沢山学びたいのに。

  妹の話はこれで今のところ終わりにします。

 私は彼女が不幸になれ、と思ったことはありません。でも、挫折を味わって欲しい。今後生き抜くために苦労する。生きることに対して頑張らなければいけない状態に1度身を置いて欲しいところです。

  次は時を遡って、文章を綴りたいと思います。
  私の闘病生活についてです。大きな出来事に絞って書くつもりです。

  さて、妹とまた話が出来るようになったら、黄色のワンピースをプレゼントしたいと思いますね。

  それではまた!

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