同年代が苦手

「大学生」が苦手だったのかもしれない。
これにたどり着くまでに、何度もつらい思いをしてしまった。
高校の友達がみんな、大学に入学してからパフォーマンスサークルに入ってキラキラしていたり、飲み会にしょっちゅう行っていたりしたので、普通そうするものだと思って頑張ってしまった。

大学1年生の時は2つのサークルを兼任した。
1つ目の文化系のサークルは、活動自体に楽しさを感じていないのに、大学でやるような遊び、飲み会に旅行に合宿をやっていたので、普通の大学生にならなくちゃいけない、という考えから、2年生の終わりごろまでずるずると続けてしまった。エアビ飲みが多く、参加してはへとへとに疲れていた。でも、そのサークルのおかげで、大学生活の中でできた友達の中で一番仲の良い子と出会えた。それに、大学生がやるような遊びを体験することは私には必要だった。ドライブにも行ったし、男女数人での旅行にも行ったし、私が大学の間で参加した飲み会はほとんどすべてそのサークル関係のものだ。でもそれらの遊びを心の底から楽しめない自分に嫌気がさした。社交的なサークル員と自分を比べては落ち込んでいた。

2つ目のサークルは、4年生になるまで続けていた運動系のサークルだ。比較的自分に合っているサークルだったと思う。でもそこでも練習に打ち込むサークル員と、サークルに所属できていれば技能はどうでもいい自分との間にギャップを感じてしまい、常に罪悪感を感じていた。そして、一つ下の後輩たちと、険悪なわけではないが、私は仲良くなれなかった。単純に気が合わなかったのだと思う。それでも人数の少ないサークルなので、どうしても後輩と練習したり、密にコミュニケーションをとらないと、上手くいかない瞬間が出てくる。結果、自分がつらくなって引退まで半年を残して、役職まで持っていたのに、辞めてしまった。

今日、大学の文化祭に行ってきた。
同年代がキラキラしていれば、そういうキラキラさのない自分に嫌気がさす。文化祭のために髪の毛を派手な色に染め上げ中身のない会話をしているのが聞こえると、自分のことを棚に上げて、嫌な気分になる。そもそもうるさいのは苦手だ。人が多いのも苦手。それを楽しんでいる人も苦手。全部全部、私とは違うものだ。もしかしたら同年代が嫌いなのかもしれない。自分と比べてしまって。自分は自分でいていいと思えない。
結局はそんな自分が嫌いだ。

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