見出し画像

コロナ禍を生きる上で旅が教えてくれること


今回の新型コロナウイルスによる一連の影響を経て、改めて人生と旅の類似について考えています。

旅には様々なスタイルがありますが、僕の好きなスタイルは、自由気ままなもの。文化も言葉もまるで違う行ったことのない国へ。最低限だけ調べて決めて、あとは流しで楽しむ。そんな旅。

このスタイルで旅をすると、思いがけないことが次々と起きます。一人旅では荷物を盗まれたり、怖い思いをすることもある。フリースタイルの旅では、それを防ぐことは期待できない。大事なのは、その時にどう適応するか。

ここで、旅と人生は同じだなと思います。今回のコロナ禍は確かに大きなインパクトがあり、生活スタイルの変更を余儀なくされていますが、そもそも、こういう想像もしないことが起きることが人生のはず。人生はフリースタイルの旅と同じなのだと考えれば、良い意味での諦観というか、肩の力を抜いて生きていける、そんな気がします。

起きることはアンコントローラブルで、それを怖がったり悩んだって仕方がない。他の人を攻撃しても解決しません。今起きたことに自分はどう適応していくか。報道を見るたびに息詰まる状況下ですが、自分がコントロールできることだけに意識を向けることで、少し楽になると思います。

画像1

ところで、何かの行動をすると、必ず何かの結果が生まれます。良い結果なこともあれば、良くないこともある。それでも、やれば何らかの学びがあるので、後悔にはならない。だからやらないで、後からやればよかったという後悔だけはしないようにしよう。昔からそう心に留めていて、やらないで後悔していることはほとんど無いのですが、実は最近、ひとつだけあります。

それは、子どもたちと海外旅行に行けなかったこと。初となる家族での海外旅行。どこに行くか計画を立てて、パスポートを取った矢先に、新型コロナウイルスの感染が広がってしまいました。

あと1年、あと半年、早く計画していれば・・!!


また海外旅行に行ける時はいずれ来るとは思いますが、人の国外への往来、しかも順番としては、海外生活者、ビジネス関係から段階的に解除でしょうから、観光目的の人の往来はおそらく一番最後なはず。向こう1年とかで解禁になるとは思えないですし、そもそも、コロナ以前の自由気ままな感覚で行けるかどうかも疑わしい。

一方で子どもはあっという間に大きくなり、親と一緒には旅行に行く年齢じゃなくなるかもしれません。すみません、少し愚痴っぽくなってしまいました。

しかしこれも人生なんですよね。まさに、旅そのものと同じ。不可逆的なことが発生し、元には戻れない中で、その中でも、自分が一緒にいたい人と、幸せや楽しみを見つけていく。そっちに意識を向けて、実際に海外旅行には行けずとも、やれることを考えていこうと思います。

これ、プライベートも仕事も同じだと思います。自分が一緒にいたい人、
自分がいたいと思える職場、グループ、コミュニティ。

今回のコロナ禍、自らそして周知の人の感染を防ぐためには、人との濃厚接触を抑えることが重要と言われています。

お盆に、両親の顔を見るために田舎に帰省をすることすらリスクとなり、
飲み会も制限され、仕事も完全テレワーク、大学も完全にオンライン授業、バイトもできない、となると、一人で自宅に籠もりっきり。そのような状況下が続けば、人は精神的に安定した社会生活は送れないでしょう。

確かに3密な空間に足を運ぶことはリスクとなることは変わらずとも、
コミュニティはリアルに限らない世の中。人との接触が制限されているこのような状況下だからこそ、今後は、人とのつながりがこれまで以上に自然に求められるでしょう。

職場や地域や(私が運営している勉強カフェでいうと)所属スタジオといった括りのコミュニティではなく、自分が共感する、自分がそこにいたいと思えるかどうかが軸となるコミュニティ。一層分断化した社会において、心理的安全性があると思えるコミュニティ。前を向いて自分の人生を生きていけるコミュニティ。こういったものが次の5年、10年では求められてくるのかなと考えています。

その中で勉強は、与えられた状況下で、自分の人生を、他人が敷いた道を行くのではなく、自らが歩むためにドライブを効かせられるものだと思います。学びを生涯に渡って自分の人生にポジティブに取り入れる、そんな人たちの集まるコミュニティを作っていきたいと考えています。

この記事が参加している募集

オープン社内報