短歌随想㈥『重信房子と宮沢賢治』
銃 口 に
ジ ャ ス ミ ン の 花 無 雑 作 に
挿 し て 岩 場 を 歩 き ゆ く 君 重 信 房 子
作者は言わずと知れた女性テロリストで、日本赤軍の元最高幹部。
服役中にがんを患い、昨年5月に懲役20年の刑期を満了して出所した。
拘置所の房の前にある桜を花守のように愛でて短歌を詠み出したという。カリスマ革命家は、被害者への謝罪や闘争方針の誤りを述べたが、胸のどこかに道半ばの無念の想いを抱えているようにも思える。
「連帯せよ!御茶ノ水駅から市街戦、砦の友らに向けて進撃」
は、東大安田講堂陥落の日の40年後の同日に獄中で詠まれた。
彼女の革命は終わっていない。
歌集に『ジャスミンを銃口に』と『暁の星』がある。
方 十 里
稗 貫 の み か も 稲 熟 れ て
み 祭 三 日 そ ら は れ わ た る 宮沢 賢治
賢治の絶詠の歌は二首。
続いて「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」と詠い、稲の豊作をことのほか喜んだという。
また、「みのり」は仏法の御法のことを尊んで言う言葉でもあり、「稔り」と法華経の御法との掛詞だと解釈する研究者もいる。賢治というとすぐに童話や詩が思い浮かぶが、賢治が文芸にのめり込むきっかけは、石川啄木の『一握の砂』に触発され、十五歳で始めた短歌だった。
賢治の最も身近な表現手段は短歌であり、生涯に三千首余りも作った。始めも、そして最後も短歌であった。
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