イラミー キャリコンなったみたいね

初めてのNote投稿になります。
何名かから要望があったイラミーがキャリコンになった理由を書いてみます。
読みづらい部分も多々あるかと思います。イラミーが苦手な自分語りです。

子供のお遊戯会を見るように暖かく見ていただけると嬉しいです!

唐突ですが、僕の理想は
「私の周囲の方が人生丸ごと幸せになっていただきたい」です。
そして「『仕事』のことだったら、自分がプロ目指してもいいんじゃね?」
と思ったのが、キャリアコンサルタントを目指す理由です。
なるべく経験部分を書いているので、
僕を知らない人からしたら
「どうでも良い内容」です。
読みたい時に必要に応じて読んでくださいませ。


日本人の働いている人のほとんどが仕事を楽しめていない

日本人の中で仕事に情熱を注げている人の人数を知っていますか?
2017年ごろのとある調査では、6%ちょっとということでした。
私が調査されたわけではないので、どのような基準をもって調査をされたのかなどは分かりませんが、この数字に対して(めちゃめちゃ少ない)という印象を受けました。
今の日本の労働人口が6500万人に対して400万人です。
※ 日本の企業数も400万社くらいなので、1社に1名の人しかいないかもしれませんね。
6000万人以上が「なんとなーく」「いやいや」仕事をしているということですね

そのほとんどの方が1日に10時間程度は仕事に向き合っているはず。
その時間を無駄な時間にしてしまうのはシンプルにもったいない!
と思ってしまっている自分がおります。

親の職場に入り浸る子供時代
~父との共通点が仕事(ビジネス)だった~

こちらから少しずつ私の価値観形成などのエピソードを混ぜていきます。
私は1989年12月沖縄県に生まれました。
父母姉2人私の家族、姉とは6つ4つと年が離れており生粋の末っ子長男で、小学校の頃はめちゃ甘ちゃんで苦労から逃げまくるような生活を送っておりました。
全体的には普通の家庭だったのかもしれませんが、少し変わったことがあります。
それが父と私の関係性でした。
(決して同情を引く内容だとは思っていません)
私は父と家の中で夕食を一緒に取ることは、ほとんどありませんでした。
おそらくですが、私が実家にいる期間(0~19歳)、片手で数えられるほどだったかと思います。
また、父は少年野球のコーチをするほど子供や野球が好きだったはずですが、私はキャッチボールをすることはおろか、ボールの握り方を教えてもらったこともありません。
理由としては、父が自営業をしていたので帰ってくる時間が遅く、休みなしで働いていたからかと思いますが、一番は父が私にその分野で期待していなかったのも理由かと思います。
こうしてみると『関係性が薄い親子』な印象を与えてしまうかもしれません。
ただ、そういうわけではないのです。
前述でも書いたように父は自営業を行っており、仕事としては美容室・理容室の店舗を構えながら、中古車のディーラー、携帯電話(ポケベル)の代理店etc.をやっておりました。
美容室・理容室を事務所に使っておりましたので、待合室もあります。
私は少年ジャンプを読むためやカートゥーンネットワークを見るために事務所に入り浸っておりました。
意図はしていませんでしたが、そこで父の仕事を見て、父の仕事仲間の方々ともお会いしておりましたので、仕事に対する父の姿が印象付けられました。
また、何もせずに遊ぶのは認められなかったので、幼いながら店の手伝い(掃き掃除だったり、連絡係だったり)をたまにしていました。私が車の免許を取ってからは、ディーラー関連の仕事の手伝いをしたりしていました。
長くなりましたが、少し変わった環境だと思っております。
一般的な家庭であれば、父親の家庭の顔を見ることの方が多いですよね。
私の場合は、むしろ家庭的な父の存在を知りません。
(もともと境界線がない可能性もある)
そんな父の仕事に対する印象は
「シゴト、タノシイ」でした。
そりゃ、朝から晩まで毎日仕事をしていて嫌々できないですよ。
(私の我慢しない性格は父親譲り)
父は私に「金持ちになれ。お金を稼いで裕福な生活を送るんだ」と話しておりました。
(今思い返せば、その言葉を「俺が仕事をしたら、周りが幸せになるでしょ。」とリフレーミングしていた気がします。言葉以上に父の仕事に対する行動の方が影響あったかと感じております。)

自分の興味の発見

そんな仕事に対して特殊な環境にいた私は
お金を作る方法を知るために経営学を勉強することになりました。
しかし、マクロ的な経済や会計は勉強すればするほど「自分がそこに興味がない」ということを感じてしまいました。(余談ですが、日商簿記2級を持っておりますが、それは会計の知識を割り切るためでした)
私の中でお金を計算する、流れを読み解くことよりも自分の生んだ(育てた)商品やサービスが世の中のためになる方が興味深かったのです。
この考えに行きついたのが、大学生の頃でした。
大学生のころ暇を持て余していた私は大学生という肩書を利用して県内の経営者層の方々からいろいろな勉強をさせてもらっておりました。
はじめは純粋な経営をされている方々から仕事を創っていく考え方や、従業員との関わり方を重点的に教えていただいてきたのですが、恩師のプロマーケッター(世界的超大手メーカー出身)の方に出会い、
「俺はマーケティングをするために生まれてきたんだ!」
と勘違いしてしまいました(笑)

ちょっと休憩
少々マセていた(爺くさい)
小さいころから年上ばかりに囲まれて、
大学時代には還暦の方々からご鞭撻いただいていた私は
年相応ではなかったようです。
学生時代(就職活動をしている際)に
リクルーターに間違えられてしまったり、
22歳のころから熱燗を嗜んだり、
仕事着を着ている時は実年齢よりも
10~15歳老けて見られたりしてきました。

童顔にも関わらず、そのような印象を与えてしまうのは
相当行動がマセていたと感じます。
童顔エピソードとしては、27歳の時に理容室に行った際に中学生料金で請求をされたり(もちろん訂正しました)、
30歳になってお酒を買うとき年齢確認をされたり、
3・4つ年下の女の子に年下だと思われたりしました。
私の長所であり、プチ悩みですね。
~見た目は若者、中身はおじいちゃん 名キャリコンイラミー~目指そ。

マーケティングの方に興味があった理由

アイデアを発散して形ができる計画しているときにニヤニヤしてしまう自分がいることに早い段階から気付いていました
(大きな活動は行っていなかったのですが)計画後の実際の行動は、計画通りに進める作業にしか感じておらず、出来上がったサービスのお客様からのフィードバックは自分のほぼ想像通りで感動はあまりありませんでした。
(⇈自分で書いててあれですが、めちゃめちゃ生意気!)
大人たちからの評価も(学生の割には)高く、調子に乗っていた部分もあるかと思います。
ただ、求められていることに応えられることは自分の中で自信になりました。

メーカーへ就職

そんなマーケティングを自分の武器として進めていきたい私だったので、商品開発などに携わることができる企業に就職したかったです。
新卒の会社を簡単に紹介すると「沖縄愛強」「食品メーカー」「直営店舗割合多」「ノリに乗っていた」感じです。
企業説明会の時に社長の理念に共感しており、社長がマーケティング的にもイケていると感じましたので、入社を決めました
入社したばかりの時は3ヵ月ほど当時一番ノリに乗っていた事業部の現場で研修を受けており、店舗の作り方を勉強させていただいておりました。
その後、会社としても新規事業に大抜擢されました。そこでは、地元を盛り上げるようなイベントの計画や商品開発をさせていただく予定でした。
予定だったというのは、新しい事業だったので通常業務でめちゃめちゃ忙しく、手が回らなかったです(通常業務で残業150時間程度)。
そんな過酷な環境だったので、「新卒を育てる環境ではない」という理由から異動となりました。
(自分の中では戦力外通告だったので、悔しかったですね)
ただ、移動した先が製造本部長直属のチームでした。そこで私はチームを運営していく上での考え方と仕組みをたくさん教わってきました。
私が製造部へ異動となって半年ほど後、新商品開発会議がおこなわれ始めました。もともと商品開発をしてみたかったので、通常業務よりも楽しんでいたかと思います。

人事への異動

製造部内でもやりたいことが実現しつつあったのですが、突然転機がやってきました。
それが、管理本部 総務人事課への異動でした。
前任の人事担当者が退職し約5ヵ月間空白だったポジションに私が入ることになったのです。
間接部門に興味はなく面談をした社長に駄々をこねてみましたが、
「拒否権はない」といわれました(笑)

ただ、運が良かったのか。
そのころには大学生の時の自分の実力に過信していた(小さな挑戦しかしていなかった)私はいませんでした。
直売店舗では、自分一人では無力な事や周囲へのコミュニケーションの難しさを知り。
製造部では、チームを運営していく上での仕組みづくりを教えてもらいました。
最低限の『独りよがり』からの脱皮が人事への抜擢だったかもしれません。
抜擢をされていたので、素質はあったのかもしれません。
自分の興味とは異なる分野だったのですが、
間接部門ということで今までお世話になった方々のための仕事ができると思って、業務に取り掛かりました。

しかし、これまで手とり足取り教えてもらえた環境とは一変、前任もおらず、会社全体を巻き込まないといけない無茶ぶりのオンパレードで精神的にきつくなりました。
採用はマーケティングの経験が役に立つことが多かったのですが、
教育は全くダメダメでした。前年と同じカリキュラムで育成方針を立てるとめちゃめちゃ怒られました。自分で考えた新しいカリキュラムを提出すると「これで成長した社員の姿カラーで見える?」と聞かれて、即答できなく何度もやり直しを命じられました。(初めて1つの研修で10時間以上考えて提出した時に、即却下されたときは軽く心が折れました)
あまりのプレッシャーで頭が真っ白になるような経験も幾度かありました。
そして、人事として悩みを抱えている社員の面談をしないといけないことも多々あったのですが、忙殺されていた際に寄り添えていなかったこともありました。
(当時頼ってくれた方ごめんなさい。。。)

そんな私を支えてくれたのが、
① 自分自身のビジョン(理念)、そしてこの会社に貢献することで理念の達成に近づけるとおもえたマインドと
② これまでの部署でお世話になった先輩方
でした。
目先の身体的・精神的な疲労を感じることがあり、何度も心が折れてしまいそうでしたが、
自分の最終的な目標の通過点であることを感じることができました
これは、『大学生時代の意識高い系』と『厨二病』が役に立ったかと思います。
そして、部署異動が多かった分、顔見知りの方は多い方でした。
特に事業部長クラスは私のことを可愛がってくれて私の突然のお願いに協力的で、私の悩みや愚痴を聞いてくれました。
「この方々のためになる仕事をしたい!」
という考えは強かったですね。
このように四苦八苦していた私ですが、
私の努力以上に周囲の方が認めてくれました
そんな実力以上の環境と死なないように守ってくれていた先輩方に囲まれていたおかげで、普通では経験できないことを経験することができたかと思っています。

新卒2年目で採用関連に携わっていたので、
少し物珍しさもあったかと思います
就職活動をしていた際にお会いした人事の方から驚かれ喜んでいただきました
インターンシップの受入担当をしている際に、インターンシップの事務局やキャリアセンター長の方に考えを共感していただき、母校での講演会をさせていただきました。
(私の予定では40歳までに講演したいと思っていたのですごく前倒しでした)

めちゃ大変ですが、裏を返せばめちゃめちゃ恵まれているんです。

ちょっと休憩
人事になって一番鍛えられたのは、
配慮の部分かもしれません。
人事でも採用・教育、
社外のお偉いさんの接待、
メディア対応をおこなっておりましたので、
社長からの直接的な指示が多くありました。
その内容のほとんどで周りへの確認、発信が必要でした
(社会人としては当然ですが笑)
その周りへの関わり方でいっぱい怒られました。
例えば、
店頭の方へ連絡の際にメッセージのみのやり取りをしていると
「本社の人のようにPCの前にずっといるわけではない」と言われ
会食の予約のために夕方7時ごろに会場に電話したところ
「相手の忙しい時間に連絡をするな(自分都合の仕事をするな)」と言われ
会食の際にとりわけ等を行い、食事をとっていなかった際に
「相手が気を遣うから、あなたも食べなさい」と言われ、
空港に社員を迎えに行く際も
「リアルタイムの離発着の時間を調査するようにしておいて。」と言われたりしました。
当時は、(そんな細かいことまで言われて面白くない)と感じたこともありますが、
会社の代表となる方の配慮については大変勉強になりました。
時々『細々した仕事(雑用とも言う)』を自分ができないから
部下にさせていると思わせる上司が
いらっしゃるかもしれませんが、
私の周りの方は私の何倍何十倍も
そのような仕事を素晴らしい手際で行っておりました。

職能の気づき 性質を受け入れる

一人で粛々とモノづくりをしたり、作戦を立てる時間が好きです。
自分が価値あるものを生み出す方が世のためだと思っていました

「人の面倒を見ている暇があれば、自分が成長する時間にしたい」

私の本質は自分の見えないところの人間なんてどうなっても構わないと思っている冷めたサイコパス度高めな(⇐犯罪者の意味ではない)人間なのかもしれません。

端から見ると割と順調に思われていた私のキャリアパス※でしたが、時折周囲が求めること(期待)と自分の興味との間に違いがあることを感じていました。
※当時は新卒2年目の人事は大抜擢で、若手で人事担当になることは出世のエスカレーターと言われておりました。

ただ、根がシンプルな性格をしていたので、結果につなげられるような行動を最善に毎日を過ごしてきました。
すると、自分の「当たり前」の感覚がおかしいことに気付きました。
例えば、採用をしている時に「人を見る」と同時に「相手の中にいる自分も見る」ことに集中していました。
相手は私のことをどう思いながら、どういう言葉を発しているのか?と考えるようにしていくと。すごく内省できるんですよね。
「相手の素の状態を出した方が良いのか。」「そこそこ緊張させた方が良いのか。」それらを使い分けながら相手の中にいる(写る)自分を微調整していました。
ギャンブルで言うブラフ(はったり)も割と得意になりました。

その観察(行動)は誰もができることだと思っていましたが、普通ではなかったようです。

そして、その異質さは、自分の観察・行動で鼓舞される方や、ショックを受けてしまう方の存在に気付き始めました。
単純に露出が高かった(接触回数が多い)ことでの影響かとも思いますが、
私が思っている以上に私の言葉と行動に影響されている人がいました。
その影響は悪いことにも働きます。
(私は新規事業部の時に1名辞めさせてしまっています)
そのため、この力のコントロールは急務であると感じました。
自分の性質を受け入れざる負えないきっかけでした。
※性質に対する内省や考え方は番外編でもう少し記載しておきます!

対人支援職が、興味があることを捨てるわけではなかった

自分の性質が人へ影響を与えてしまうことだと知り、一人で粛々と企画・行動することをあきらめたかというとそうではありません。
対人支援職である以上、人と接している時間をおろそかにするつもりはありませんが、それと同じだけ必要なことが支援対象群の成長の姿を想像しながら支援方法を考えていくことや面談などを行った後の未来の姿を想像する力(⇐必要でなければ相手には伝えませんが)は重要になってくるはずです。
面談を通して相手の声なき声を聴き、具体的な施策を提案する場合には、ものすごい情報収集と発信(方法、タイミング)は重要不可欠であり、その分野にめちゃめちゃ興味があるので、そこを極めていきたいと切り替えることができました。
また、行動(対外側)と思考(対内側)を繰り返すことが行動の速さ・精密性、思考の深度を高めることを確信できました。
(マルチタスクが苦手なので狭い領域なんですけどね。)

対人支援職のスキルを伸ばすためには何をしたらいいのかな?

対人支援職で重要なのは、
相手自身・状況・環境を理解し、行動できるように作戦を立て、相手に行動していただくことだと思っておりました。
(シュロスバーグの4Sが出てきたときに色々と腑に落ちました)
しかし、もう少し細分化した場合
一番初めは「信頼を得られること(ラポール形成)」が重要になってきます。
企業内人事をしている際は、実力以上に社内での発言力(政治力?)があり、
信頼関係を築きやすかったです。
ただ、これってポータルスキルではない場合が多いのです。
他のグループにコンサルなどの立場で行った際に役立つ知識やスキルを勉強したいと思っておりました。

キャリアコンサルタントって国家資格があるらしいよ

そんな私の前に「キャリアコンサルタントという職業に対する対人支援職が国家資格になったらしいよ。」という話が流れ込んできました。
はじめ乗り期じゃない自分がいたので、
「勉強したいけど、資格とかじゃないんだよな~。」
と片目を瞑って生活をしておりました。
ただ、心のどこかでキャリアコンサルタントという名前が反芻されます。
その中で「キャリコンというコミュニティの仲間になればより知識は深まる」「国家資格ということは将来性あるのかな?」「そもそも資格試験があればなぁなぁにはならないよな」「そういえば、コンサルタントになりたかったよね俺」と2度ずつほど出てきました。
上記でも書いたように思考に偏ってしまうと深度が浅くなってしまうと思っているので、『だったら一度説明会に行ってみよう』と行動に移すのでした。
行動に移せば移すほど自分のキャリアパス上で、この資格を持ってた方が良いとイメージがわいてきました。
そして『今、自分が、キャリコンを目指さなくて、何になるの?』という使命感も出てきました。
だって子供のころから父親に職業観を見せられて、出会った先輩方からも仕事に対しての考え方を教えてもらい、若手人事担当として四苦八苦し、日本人の仕事に対するイメージに不安を感じており、コンサルタントという言葉に憧れがある(笑)。そんな自分のために神様が用意してくれたチャンスなのかもしれないのです。
すごく厨二病くさく、大げさなことを言っていると思われるかもしれませんが、
「資格よりも実力(経験)でしょ」というマインドがあった当時の私が、
自分のために用意された資格だと思い込んでしまうのは
言葉に表しにくい引力があったかと思います。(これまた厨二くさい!)

あと、そんな対人支援職を目指したいとこれまで出会った方に話した際に、
「間違いないね」「また話聞いてね」「その分野の能力まだ伸ばすの⁉」と応援されたり、煽られたりしました。
そのことも勉強が飽きてしまいそうなときに(もう少し頑張ろ)と思えるきっかけにもなったと思います。

そんな私も無事キャリアコンサルタントになれました。
なったらなったで考えていなかったやるべきことが見えてきたのですが、
一度足を踏み入れてみると、出会える人が変わり得られる情報の質も変わってきました。
国家資格を持っていることもあり、初対面の方にもほんの少し安心してもらえる気がしました。
『人の成長に携わることが自分の成長に直結する』
『(早くいくならひとりで行け)遠くに行くには大勢で行け』
キャリコンになってより実感している言葉です。

大風呂敷を広げてしまうと
『日本人の若者の半分くらいは仕事タノシイ』
という世界にしたいな。
と思っております。
AIや自動化が進み人間は労働から解放されるかもしれませんが、それはもう少し後の話しですし、働くことは「お金をもらうこと」よりも「人の役に立つこと」が根本にあると思うので、そこに寄り添っていけるような専門家を目指したいと思っております。

以上

個人的に超長文でした。
途中一人称が変わってしまったり、エピソードが長くなってしまったりで読みづらい部分もありますが、なるべくそのままの自分の表現方法を残しております。
最後まで読んでいただけたあなたがいてくれたおかげで、書ききった甲斐がありました。ありがとうございます!
もしお会いしていない方でここまで読まれた方がいましたら、どこかでお会いできることを心より楽しみにしております!
敬具

番外編
どうして人への影響力が培われたのか
尊敬する人がいた際に
自分がめちゃめちゃ影響されていたからだと考えています。
(芯が弱いかもしれませんが)
日常生活でのモデリングの試行回数が多かったです
また、モデリングをする際にその対象の方の
好きなものや言動までまねるのはもちろんですが、
相手の行動に疑問を感じた際は
その背景にある価値観や考え方まで聞き出しておりました。
好奇心というかもしれませんがその部分が人一倍強かった。
そして、尊敬する人は常にある程度の影響力を持っている方が
多かったので、影響力の表現をマネしたのでしょうね。
(書いててめちゃめちゃミーハーな感じがしてきました笑)
影響される方の中には
情熱だけをもって熱く語りモチベーションを上げる方も
いらっしゃいましたし、
道具や仕組みを用いてわかりやすく聞き手に落とし込む方も
いらっしゃいました。
多分無意識のうちにその時に関わってくれている方に合わせて
過去にモデリングした方を選んでいるかもしれません。
ちなみに、金もうけを学んでいた方から(職業マインド)を、
マーケティングを学んでいた方から(Visionの描き方)を、
製造や情報発信を学んでいた方から(仕組みや熱量の表現方法)を副産物的に受け取っていたことに最近になって気付きました。

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