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コロナ禍における在宅医療の意義




こんにちは、医師&医療経済ジャーナリストの森田です。



最近はコロナ感染が急拡大し、「過去最多の感染者数」、「救急搬送増加・入院医療が逼迫」というニュースが毎日のように飛び込んできます。

「入院出来ないなんて大変!」

と思われる方もおられるでしょう…。確かにそのとおりかもしれません。

でも、コロナ患者に対しては入院医療ではなく、在宅医療という選択肢もあります。そして実はコロナの治療には入院医療でも在宅医療でも大きな差はなく、かえって在宅医療のほうがメリットが大きいことの方が多いのです。特に今コロナで入院されているような多くの高齢患者さんたちにとって、在宅医療の意義はとても大きいでしょう。


「え?やっぱり入院したほうが安心なのでは‥?」

そう思いますよね。でも、あまり知られていませんが、在宅医療はコロナ治療のほとんどをカバーしています。

・酸素投与
・点滴
・抗生剤
・コロナ新薬

これら酸素・薬剤投与は在宅医療で全て出来ます(当院でももちろんしています)。一方、在宅医療で難しいのは人工呼吸器・ECMOの導入です。

では人工呼吸器・ECMOとはどんなものでしょうか。

人工呼吸器は、口からノドを経由して気管に太い管を入れ、外部から強制的に空気を肺に吹き込んで呼吸を補助する治療法です。想像するだけで痛そうですよね。なのでもちろん強力な睡眠薬などで鎮静をしての治療となります。ただ、もちろん人工呼吸までするのはかなり呼吸状態が悪化した場合ですので、高齢患者さんの場合、その鎮静から覚めずにそのままお亡くなりになることも十分に想定しておかなければなりません。
ECMOは、酸素・二酸化炭素交換が機能しなくなった肺の代わりに、血液を体外に取り出して機械で酸素・二酸化炭素交換を行い、また血液を体内に戻す治療のことです。人工呼吸器同様、かなり呼吸状態が悪くなった段階でないと選択されない治療法です。またECMOは全国どこの病院にもある治療機械というわけではなく、8月24日現在では日本全国で13例しか実施されておりませんので、かなり特殊な治療と言えるでしょう。



これら、人工呼吸器・ECMOなど侵襲的な治療を望むのか望まないのか、そこはまた別の問題で、患者さんご本人とご家族と信頼関係を築きながら、正解のない答えを一緒に模索してゆくこと。これも在宅医療の大きな役割です。

答えは決して一つではないし、決めたあとに答えが揺れてもそれは全く問題ありません。どんな答えに対しても「味方になって寄り添う」これが在宅医療の役割です。

とは言え、現実問題として、在宅医療を受けられているような高齢患者さんやご家族が最終的に人工呼吸器やECMOを希望されるケースは殆どありません。

となると、実質的に在宅医療でも 病院での入院医療でも、治療についてはほぼ何も変わらない、ということになります。



一方で、入院医療には大きなデメリットが存在します。特にご高齢の方の場合、このデメリットはより重要となります。

それが「フレイル」そして「認知症の進行」です。

フレイルとは筋肉量の低下のこと。
入院中、特にコロナ病棟では院内を自由に歩き回ることは出来ません。それどころか、多くの病院では転倒防止のために歩行も禁止されることも珍しくありません。なかには手足をベッド柵に縛り付けられる「身体拘束」の例も散見されます。


病院で身体拘束される高齢者



筋肉を動かさない期間が1週間続くと人間の筋肉は15%減少、1ヶ月続くと50%も落ちると言われています。


また、認知症の方々にとって生活環境の急激な変化は大きな混乱を招きます。認知症がありながら自宅でそこそこ生活が出来ていた方々が、入院した途端に認知症の症状が悪化してしまうことは非常によくある、ありふれた風景です。

ただでさえ高齢になって筋肉量が落ちてきている方々や、認知症でギリギリの生活をされている方々を、良かれと思って安易に入院させてしまうのは、非常にリスクの高い行為である、ということはあまり知られていない事実だと思います。

また、今回のコロナ禍では一度入院してしまうとなかなかご家族との面会の機会も持てません。酷いときはお亡くなりになってから初めて面会…というケースさえあります。


その点、在宅医療であれば特に生活の制限はありません。それまで通り、ご自分の生活を継続しながら療養していただくことが出来ます。

もちろん、在宅医療は全人的で計画的な医療ですのでコロナに罹ってから急に、というわけに行きません。また、当然ですがご家族の協力や理解も必要でしょう。

ただ、新型コロナ感染症で特にリスクが高いのはご高齢の方々ですので、

「入院出来ないなんて不安…」とそうした方々がもし思っていらっしゃるのであれば、「在宅医療」という選択肢も選択肢の一つとして大いに意義のあるものだと思います。

逆に言えば、しっかりした在宅医療さえ整備できていれば、入院医療はそれほど必要ない。ということも出来ます。僕が以前いた夕張市では、財政破綻により市に一つしかない総合病院171床が19床に縮小され医療崩壊が起こったのですが、在宅医療の整備によってそのピンチを免れました。結果として死亡率は上昇せず、救急搬送は半減。市民は最期まで自宅でのびのびと生活を継続しながら人生を全うできるようになったのです。(もちろん、必要時には総合病院に搬送します)



いま、「救急搬送増加・入院医療が逼迫」というニュースの裏ではこんな事も言われています。


問題の本質は病院医療・救急体制の整備というわかりやすいテーマにもまして、老いや死と向き合う「人生観・死生観」と、それを支える在宅医療の整備という問題なのかもしれません。


日本人全員でしっかりと議論して前に進みたいところです。




注1)在宅医療はご自宅だけでなく、高齢者介護施設に入居中の方々に対しても提供されます(特別養護老人ホーム以外)。


注2)この記事は投げ銭形式です。

医療は誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」、
という信念なので医療情報は基本的に無償で提供いたします。
でも投げ銭は大歓迎!\(^o^)/
いつも一人で寂しく原稿を書いているので、
皆様の投げ銭から大いなる勇気を頂いております!
ありがとうございますm(_ _)m



■新刊




■内容(はじめにより抜粋)■
2019年に始まった新型コロナウイルス騒動。
医療業界をはじめ行政やメディアに先導されたこの騒動は、残念ながら「経済を壊し」「人々の絆を断ち切り」「自殺数を増加」させてしまった。
私は経済学部出身の医師という立場から、このような過剰な感染対策によるデメリットを憂いていた。そしてそれを問題視する発信を続けてきた。だが、この「過剰にコロナを恐れてしまう風潮」は2022年になっても依然として継続している。
2022年1月の全国高校サッカー選手権の準決勝では、選手2人に新型コロナ陽性反応が出たとのことで関東第一高校が出場を辞退した。
まるで「コロナに感染したら社会の迷惑・厄介者」と言わんばかりの対応だ。感染してしまった当該生徒の気持ちを察するに余りある。
コロナ騒動が始まってもう2年も経っているのに…コロナウイルスが日本社会に与えている健康被害は非常に小さいことが統計的に判明しているのに…
社会の過剰反応は当初と何も変わっていないように感じる。
今後もこのような風潮が続くのであれば、それこそ「新しい生活様式」となって社会に定着し文化になってしまうのだろう。
私はそんな「家畜」のような生活を、感染を恐れて人との絆や接触を断ち切るような社会を、絶対に子どもたちに残したくない。
そんなやりきれない思いが日々高まってゆき、我慢できなくなったのが、本書を書こうと思ったきっかけだ。
■タイトル・内容の過激さから数々の出版社から書籍化を断られクラウドファンディングによる自費出版となった本書。
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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)