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【台湾の面白い建物】921地震教育園區

台中に、1999年に起こった921大地震の災害の記憶を残すための施設があります。2018年の秋にこの施設、921地震教育園區を見学に行ってきました。

これは、ちょうど断層の上に建ててしまっていた中学校が、地震により破壊された状態をそのまま保存して、災害の大きさ・建物の脆弱さを後世に伝え、合わせて地震や水害に対しての啓蒙も図ろうという教育施設です。

学校のグラウンドのトラックが、実に2.5mもの断層の発生によりにずれてしまった様子が、そのまま残されています。校舎も凄まじい惨状のまま保存されています。建築の技術者としては、あまりのひどさに目を背けたくなるほどのものです。

施設自体のHP

日本語のWikipediaの紹介

タクシーの運転手から聞いた話

この施設は台中でも山の麓、霧峰區に入ったところにあります。そのため台灣高鐵の台中駅からここに向かう際にタクシーを使いました。 その時の運転手さんが、僕が"921地震教育園區"に行くのだと伝えると、彼が体験した地震の話をしてくれました。

1999年に、この921大地震が起きた際、まず起こったことは通常の携帯電話通信が全て止まってしまったことだそうです。そして電気も止まったので、外部との連絡が全く取れない状況になってしまい、彼の住んでいる村は陸の孤島になってしまった。その時活躍したのは、農業組合で有していたトランシーバーだったとのこと。これを使ってかろうじて外部との連絡をとり、対応をすることができたそうです。

また、とても多くの死者が出て、そのうえで山崩れが起こった場所から新たに行方不明者の捜索をしなくてはならない。この作業をしていたのは中華民国の軍人たちでした。特に徴兵制度で軍隊に来ていたような若者は、この作業の精神的負担に耐えられず、精神を病んでしまったものも少なくなかったそうです。

そのようなことを話してくれました。彼は一般人だったので、そのような過酷な状況に直面せずにすんだそうですが、見ていても可哀そうだったと言っていました。

この学校の残骸が残された理由

この、地震のために崩壊してしまった中学校の建物がこの様な形で残されているのは、とても異様な光景です。初めてこの場所に来た時に、これは映画のセットかと感じるほどに、衝撃的でした。建物がつぶれてしまったそのままの状態が、まるで冷凍保存されたようにそのまま残っているのです。(この様な形で残すために、危険がないようにあちらこちらに補強が入れられています。)

この様に残された理由は、公式にはこの様に説明されています。

經許多專家評估後,決定以光復國中校地為地震博物館,保存震後地震遺址及蒐集相關文物、圖像、圖書等資料,作為認識、暸解及體驗大自然力量的活教材

中文wikipediaより

「専門家の協議の結果、光復國中のキャンパスを地震博物館として残すことに決定した。地震の被害を受けた建物、関連する文書、図版、書籍を保存し、大自然の力を体験し、理解するための教育の材料とする。」

確かに、この施設に来ると地震の力は巨大で恐ろしいということを如実に理解できます。そして、建物の構造に根本的な欠陥があったことが丁寧に説明されています。例えば、柱が細く、鉄筋の太さ・密度・被り厚さ・あばら筋の少なさなどが指摘され、その結果柱が無残に砕かれ崩壊した様子が実物として残されています。

しかし、そのような表向きの理由だけではなく、この様な決定には、多分に政治的意図が隠れているのだと僕は想像しています。

921大地震が発生したのは、1999年9月21日です。この年の政権党は国民党、李登輝政権の最後の時代です。そして、その後2000年5月20日に民進党の陳水扁政権が発足します。2001年2月13日、民進党政権のもと、この中学校の被災状況と建物を、921地震教育園區として保存することが決定されます。

国民党政権というのは、大陸への反攻を政治目標と掲げ、台湾国内への投資、国土整備といった面にはずっと消極的でした。そのため公共施設への投資、建築技術の法的整備等の面でとても遅れていた。その様な歴史的事情があるために、この様な建物が建てられ、それは地震に対してとても脆弱なものであったのだと考えられます。

何というか、このような歴史的事情を、地震災害という事実を以て示し、国民党批判をしているように感じられます。仮に、この地震が国民党の長期政権下で起こっていたら、この学校の廃墟はこの様な形では残されず、撤去されてしまい、物としては何も残されず、写真の記録として保存されただけだったでしょう。
そして、仮に日本でこの様な建物の崩壊が起こったらどうでしょう。それはやはり撤去されて新しい校舎が断層から離れたところに建てられるのではないでしょうか。

そのような意味で、この様に地震のために崩壊した建物がそのまま保存されているのは、とても稀有な事なのだと考えています。ここに政治的な意図を感じるのは穿ち過ぎでしょうか?

写真

この施設を見学に行った時の写真はあまり残っていないので、手元にある一部だけを紹介します。Wikipediaにもたくさんの写真が紹介されているので、そちらもご覧ください。

亀裂の入った柱と壁・床。
1階足元の構造が崩壊してつぶれている様子。
崩壊した建物に大きくテントをかけて保護しています。
崩壊寸前の建物をアクリルの柱で補強しています。
無残に倒壊した建物。




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