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【台湾の面白い建物】寶藏巖の物語(その三)

最後に、現在の寶藏巖がどの様な場所かを紹介しておきます。

イタリアの山岳都市の様な

僕が初めて寶藏巖に来た時は、この場所に対する知識は全くありませんでした。日本の雑誌に、面白いリノベーション施設があると紹介されていて、公館駅から歩いて行けるというので行ってみました。

汀州路を左に曲がると基隆路になり、永和に向かう福和橋につながります。その脇に寶藏巖に向かう細い道があります。この道を歩いていると、あまり多くはありませんが同じく寶藏巖に向かうと思われる観光客に出会います。ここまで来ると他に観光スポットもお店もないので、恐らくそうなのだろうと想像できます。
その道をずっと歩いてゆくと、寶藏巖觀音亭に入ります。このお寺の側面からアプローチするイメージですね。ここから境内を通り抜けていくと、寶藏巖國際藝術村に入ります。

この場所を歩いていると、台北の街中を歩いているのとはとても異なった印象を持ちます。恐らくそれは、寶藏巖のこの集落が、斜面の上にできているからだと思います。台北の街は基本的に平らで、この様な古い住宅地があったとしても、ほぼ平地に建っています。
それと比べると、寶藏巖のこの場所は、どこを歩いても傾斜地の一部になっていて、道路が上下に変化していて面白い。そして、住民がセルフビルドで作った場所なので、道路も恐らく自然発生的にできたものなのでしょう。政府の機関が作った公道とは大分様相が異なります。それなので、正式な道路認定などは取りようもない、狭くてアプローチしにくいものです。

しかし、それがために、この場所は独特の雰囲気を持っています。僕は、この場所はまるで中世イタリアの山岳都市の様だと感じています。近代国家が法の網をかけ、全国を同一の基準で開発し、道路を作るといった時代よりも前、中世に作られた都市は、それぞれの街で独自に建物や道路を作っていたはずです。そういう時代の道路は幅も狭く、地元住民だけで建設できる技術力の範囲内で作られていたでしょう。
そして、それが傾斜地に作られた場合には、路地が入り組んで、まるで迷宮の様になっている。僕はイタリアのシエナを、歩いたことがありますが、その様な印象を持ちました。そして、それに似た雰囲気を寶藏巖の佇まいから感じたのです。それは台湾のどこでも感じたことのない印象です。
あらためてその理由を考えると、それはこの公道にはあるまじき、狭くて入り組んだ道路にあるのではないかと考えています。キチンとした道路を作ったら、この様な風景にはならないはずだと思います。

以下、写真に即して、この寶藏巖の佇まいから感じたことを説明していきます。

階段の風景

高低差がある土地なので、あちらこちらにこの様な階段があります。どこまでが道路で、どこからが私有地なのか明らかでない。しかし、その様子が独特の風情を作っています。

山の中にある街

ここは傾斜地の上ですね。そして傾斜面が南に向いています。そのため、一日中とても日当たりが良い。住環境としても、それはとても良い条件なのだと思います。

街中の休憩スペース

これは建物の中ではなくて、屋根のついた半屋外スペースでした。この様な空間がとても印象的でした。ここにはたくさんの人が集まって、日差しを避けながら、おしゃべりをしていたのでしょう。

祠の様子

確認したわけではないのですが、これは神様を祀る祠なのだと思います。ただし、セルフビルドで作ったので、それほど様式にこだわってはいられなかった。最低限の柱とコンクリートスラブで雨除けを作った。そんな様子に見えます。

家庭電影院

この様に書いてあるからには、これはスクリーンなのでしょうね。ここに映写機で映画を映して、それを子供たちが見ていた。そんな風景が思い浮かびます。

緑に覆われたテラス

寶藏巖には、この様な人の集うことのできるスペースがたくさんあります。これは最近になって整備されたのか、昔からあるものなのかそれは定かではありません。しかし、この植物の茂り方からすると、それなりに時間の経っているものの様に見受けられます。
すると、寶藏巖の人々は、建築家もいない状況で自らのニーズでこの様なスペースを作っていたのでしょうか。この様な生活感のある空間の数々が、この場所の特徴です。

河岸の公園を見下ろす

寶藏巖の脚元は、元あった住居は撤去され、公園として整備されています。南面した斜面なのでとても明るい雰囲気です。

壁面アート

この様な壁面アートは、台湾全土にいろいろな規模のものがあります。寶藏巖のこれも、最近描かれたものの様です。少しグロテスクな人物たちですね。

明るい斜面

南面する斜面なので、陽の当たり方がこの様になります。どこに建っていても明るいイメージです。

山岳都市のような

現在の宅地の区画ではこの様な風景にはなり得ない様に思います。そして、この様な階段の重なり合いに、僕はイタリアの山岳都市の様なイメージを感じます。

日当たりの良いバルコニー

このスペースは芸術村の部分なので、今は人は住んでいません。しかしこの様な南面したテラスは、とても良い生活空間だった様に思います。

コミュニティーが生きている

実は、僕に寶藏巖のこの様な歴史を教えてくれたのは、元々ここに住んでいたが、川沿いの最も低い位置に家があったため立ち退きを余儀なくされた、台湾の友人です。彼女はここに子供の頃から成人するまでずっと住んでいました。そして、自分たちの家が壊されるのも見ている。しかし、この場所と今も住んでいる隣人達のことを懐かしく思い、折に触れこの場所に戻っています。
この日は、特別な催しがあったわけではありませんが寶藏巖の住民が集まって、餅を作っていました。僕ら外部の人間も自由に参加できる雰囲気でした。

龍應台が残そうとした人の営みは、この様にして今も健在です。僕は建築技術者として建物の設計をし、それをクライアントに渡すという仕事をしていますが、その建築というハードは、この様な生活を支えるハコとして、ようやく意味を持つものなのだとあらためて考えさせられました。

餅作りのイベント

地元の子供達も、外から来た子供達も一緒に餅作りに励んでいました。

お年寄りも楽しそうです。

この世代の人たちが、自ら汗水を流して寶藏巖を作ったのだそうです。ここでは昔話に花を咲かせているのでしょう。

コミュニティーのイベントは夜遅くまで続いていました。

人が集うのには贅沢な施設はいらないのだ。雨風と日差しを避けられる簡単な屋根さえあれば良い。そんな風に感じます。

寶藏巖をモチーフとしたアート

新店溪から見上げた寶藏巖

これは、寶藏巖の建物群を表現した印象画です。斜面の上に建つ住居が、とても雰囲気を持って描かれています。僕も無意識にこのアングルの写真を撮っていました。

ここは、芸術家にとっても創作意欲をかき立てる風景を有しているのですね。そして、それは人々の記憶と強くつながっています。

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