見出し画像

【提言】世界40位の低幸福国で、生きている実感を得るために必要なこと

欠乏する家族愛と失われた地域コミュニティ

私たちが活動する大崎下島や周辺の島々では、高齢化や人口減少によってコミュニティが希薄化してきていますが、それでも都市部と比べると残っています。まちの中ですれ違えば、誰もが挨拶を交わしますし、困ったことがあれば普通に助け合います。まち独自のルールというのも存在します。

特に久比の住民の多くは農床と呼ばれる畑を自宅に構えており、季節毎に野菜を育て、余った分は隣人や知り合いに分けています。また、私たちが空き家を探していると言えば、心配して人伝に調べてくださることもあります。家族である息子や娘が島を離れて暮らしていることも助け合う理由にあると思いますが、昔は離島で物資の入手や病院までの交通不便などがあったため、元から住民同士で助け合う土壌があるのだと考えます。

一方、東京などの都市部では核家族化が進み、地域コミュニティはほとんどの地域で残っていません。隣人の顔もわかりませんし、地域のために活動することもないでしょう。行政サービスを受けることは我々の権利だと言わんばかりに文句やクレームを入れます。ここに、自分たちの手でまちをつくるという精神は見受けられません。

そして、核家族の場合、子供にとって頼りの両親は多くのケースで共働きであるため、子供だけで留守番をしなければなりません。子供は自宅や学校、習い事のときにしか大人とは関われません。子供たちは近所の公園でボール遊びもできず、にぎやかで微笑ましい遊び声すら、自分勝手な大人たちから「うるさい」と言われる始末です。

このように子供たちは、おじいちゃんやおばあちゃん、地域の大人との世代間交流がないので、世代毎の問題に目を向けることなく育ってゆきます。小さな頃から自然と触れ合うことも少なく、さらに育児が楽になるとタブレットを与えられ、人との関わりそのものが失われています。

大袈裟だと思われるかもしれませんが、人とのコミュニケーションが少なくなることで、人間関係はそもそも面倒くさいものだと学ぶことができず、人間性が失われていきます。そして、他人のコントロールができないとわかると、コントロールができて居心地も良い「メタバース」に飲み込まれてゆくのです。

このような環境で育つ子供たちは、どのように社会を学んでいけばいいのでしょうか。人と関わり自分たちのまちをどうするか、自分たちで考えることが民主主義であるはずが、手間のかかることや人間関係を面倒くさいものだと考え、お金で解決したり、目の前から排除してきたのです。これが多くの都市部にある日常なのです。

既得権益層が蔓延り、更新されない社会

近頃は早期退職やダブルワークを促す企業も増えてきました。それだけ、昇進や給与の増額が見込めないということです。これは、「生産性を高められない」や「イノベーションを創出できない」、「慣習を変えられない」などが主な理由だと考えますが、私は、企業の中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、組織の若返りがいつまで経っても行われないことに大きな要因があると思っています。

コロナ禍においても、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進が叫ばれていますが、その推進を図ろうとする多くの組織図を見ると、如何に掛け声だけのものかよくわかります。どう考えてもデジタルに疎そうなお年寄りたちが代表などのポジションに就いており、名誉職なのか何なのかわかりませんが、これでDXが進むとは到底思えません。

また、たとえDX化が図られ効率よく仕事が行われたとしても、人がコストと見られる企業においては、その生まれた時間に新たな仕事が詰められるだけで休みが増えるわけではありません。余計に忙しくなるだけです。ですから、そのような企業の場合は、DXよりもまず体制や根本的な考えから正していく必要があります。

多くの人が感じている通り、(政治においても)組織の新陳代謝が行われることなく相も変らず腐敗していますが、これは地域コミュニティの希薄化とも繋がっていると考えています。

なぜなら、年功序列によって得られた地位にいつまでもしがみつき、時代にそぐわない古い考えや強権的なやり方を貫いてきたせいで、地域から多くの若者がいなくなり、その結果、高齢化によって住民の間のつながりや相互の協力が維持できなくなったという背景が一部にあることを知っているからです。

社会を形成する一部になる

コロナ禍において、うつ病や自殺はさらに増加しました。日本は世界3位の経済大国でありながら、幸福度の数値は世界40位と驚くほどに低いのです。このような時代に私たちはどうすれば良いのでしょうか。

私は、地域コミュニティを取り戻す必要があると考えています。地域コミュニティの中で、自然の大切さや地域のための活動、同じ目的を持つ仲間との協働などを体験して感受性を育み、価値観を持つことです。消費ばかりの生活ではなく、自然との共生や多様な世代との交流を通して生産活動を行い、地域の未来をより良いものにしていくため、物事を誰かに任せるのではなく自分たちで決め、自立していくのです。

その良い事例が岡山県の西粟倉村や広島県の大崎上島です。これらは過去に合併しないことを選択した地域です。しかしながら、地域コミュニティを取り戻すことは人口が多い都市部ではなかなかむずかしいことかもしれません。人の流入出も多く、一人当たりの関わり代も小さいからです。ですから、自分の拠点をコンパクトな田舎にもう一つ作ることをおすすめします。

その際、高齢化の進展が著しく、住民の顔がわかる規模であれば理想的です。なぜなら、そのような場所だと「若者」というだけでも頼りにされ、リーダーシップを執ってほしいと考えているからです。人口も少なければ、住民の考えを一つにまとめることも比較的容易です。そして、自分たちの手でまちをつくると腹を括ればどうにかなってゆくものなのです。

私たちも大崎下島の久比で地域コミュニティの再構築にチャレンジしており、そこに若者から年配者まで様々な方々が多く集まり始めています。瀬戸内海の真ん中にある島までわざわざ訪れる理由は何なのか。それは、彼らはここに来ることで人間性が回復され、社会を形成する一部になっていることの手触りを感じているのだと思います。彼らは、これまでの生活や都市部では得られない“生きている実感”をここで得ているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?