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【流儀】過去ではなく“今”が一番大事。簿価ではなく時価ということ

アルバイトなどの短期雇用や正社員雇用において、履歴書不要のケースが増えてきました。このような場合、仕事内容は誰でもできるようにマニュアル化されている部分が多く、そのため学歴や経歴に何か求めることがないのだと思われます。加えて、昨今の人材不足によって人の確保がむずかしいので、煩わしさを排除して双方にとって手軽に進めようと考えているのかもしれません。

このような求人からわかることは、“人”であれば誰でも良いということです。ロボットなどを導入するコストと比べて、人の方が安く済むという経営者の考えが浮かび上がります。後述しますが、私と同じ考え、或いは近い考えから履歴書を不要としている企業もあると思いますが、多くのケースでは人をコストと見ているはずです。

非常に残念なことですが、人をコストとしか見れない経営者はたくさんいます。これは資本主義経済が行き過ぎてしまった結果だと思われますが、これで世の中が幸せになるとは到底思えません。だから、「働くことが苦しい」と思う人たちが増えているのではないのでしょうか。

私は会社を立ち上げて今までの間で、面談時に履歴書を持ってきてくださいとは言ったことがありません。今、所属するスタッフの中で履歴書を持ってきた人は一人もいません。たまに履歴書を持ってきた人もいましたが、なぜかそのような人ほど社風に合わなかったような気がします。

と言うのも、応募者の学歴や転職の回数などはどうでもいいと私は思っているからです。大切なのは、その人がこれからどんな未来を築きたいのか、この会社で何をしていきたいかその想いです。履歴書とは読んで字の如く、その人の歴史(過去)が書いてあるもので、未来については何一つ書かれていません。重要なのは、これから何をしたいかに尽きると思っています。

学歴や仕事の経歴などで評価をするということは、過去に価値を置くことと同義で、つまり簿価です。不動産で言えば、購入時の価格で資産をずっと評価しているようなものです。しかし実際は、買った瞬間に値段は下がっているものですし、その後も上がったり下がったりするものです。

日本ではこのようなことが往々にしてあります。全国に蔓延る既得権益がそれで、過去の栄光でいつまでも飯を食おうとします。時価で評価しないためにいつまでも古いままで何も変わらず、世界から取り残されてきたのです。

私自身、人に見せれるような経歴はありません。そのため、過去には履歴書だけで判断されることもあり、非常に息苦しく感じていました。どんなに思いがあっても評価されません。社会人になってから、やりたいことのためにどれだけ勉強したとしても、それは学歴にはなりません。

このようなことから、私はいつも時価でその人を見ます。「今、ここで何をやりたいのか」「どんなことにチャレンジしたいのか」「自分の未来をどんなものにしたいのか」など、そういう部分を見てます。逆に言うと、そのような部分が見れないと採用はしません。どんなに高学歴だとしても、どんなに経験が豊富だとしてもです。


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