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アイデンティティーは「治療」できるのか?

 できるわけねーだろ、と毒づきながら
火元に燃料を投下してみる。

 またいつもの通り、同性愛という「アイデンティティー」を
「性交中毒」と勘違いして、誤った発言を行うえらい人たちがわいてきて、
その反応に対して「味噌と糞を一緒にしないで」と抗議・反撃の
アクションを起こす、という日本特有の恒例行事がやってきた。

 アイデンティティーはどこから産まれて、どういう風に育つのか、
「当事者ではない」私たちは考えたことがあるのだろうか?
アイデンティティーを持っている「当事者」が持っている生育環境を
土台にして、生育環境から発生したトラウマの重たい軽い、その他多くの
心理的な活動によってアイデンティティーは形成される。

 この生育環境やトラウマ、心理的活動に寄り添わないとどうにもならないというのに、寄り添いたくない、向き合いたくない、関わり合いになりたくない「その他大勢の方々」は少数アイデンティティーを持っている人たちを
こういう風に「精神の障害」とひとくくりにして社会から排除しようと
試みる、けれどもこの試みはある一定の時期までは通用するけれど、
ある特定の時期を経過すると逆効果を起こしてしまう。
この流れを四字熟語で言うと「栄枯盛衰」や「盛者必衰」、ひらがなで言うと「はやり・すたり」、もっと簡単に言うと「革命」になる。

 性交を伴った「同性愛」は私たち上流階級の嗜みなのだから、
下流階級は手を出すな、という刷り込みを続けたい旧勢力の
意図もよくわかる。
 けれども、それを行うことで家庭や人間関係を破壊したら
その因業因果は大きくなる、というのに。
その因業因果に向き合わないで、異者を虐めるな、以上。

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