東日本大震災を経て、無力から微力へ。
震災を思い出す時期ではないけれど、災害はいつか起こるものではなく、いつでもどこでも起こるものなので備忘録として。
2011年3月11日、東日本大震災当日。
わたしは、福島県郡山市にいました。
福島県は、わたしの第二の故郷です。
福島県では、地震に加え原発事故もあり、水道水の飲用が禁止されたり、収束しない原発のニュースを見聞きしたりと、おっかなびっくり暮らす毎日でした。
それでも、友だちや同僚たちと連絡を取り合い、励まし合いながら、日常が戻る日を待ちました。そう。あのときのわたしは、ただ待つことしかできなかったのです。
災害発生時から日常生活を取り戻すまでの長い間に、病院、消防、警察、自衛隊、料理人、美容師、建築士などなど、さまざまな職業の方が各地で活躍していました。でもわたしは、助けになる技術も職もなく、とてももどかしく感じました。
ライフラインに一切関わりのない仕事をしているわたしは、これから先も有事の際に役立つことはありません。ただ「役に立たない」職についていると知った体験は、とても貴重でした。
震災当時、まだまだ大きな余震に怯えていたころのこと。ふと、煙臭さを感じてベランダへ出てみると、隣のご家族が庭でバーベキューをしていました。
え、災害時にバーベキュー!?!?!
と思ったのですが、ふしぎと安心してしまい、気づけばたのしく笑っていました。遠くへ行ってしまった日常を思い出して、急に元気が出たのです。隣に人がいて、おいしくごはんを食べている。たったそれだけのことで「なんとかなるか」と思えた瞬間でした。
有事の際、わたしは自分の技術や知識で誰か助けることはできません。でも、手が届く範囲で、バーベキューをしていた家族のように、日常を保つ努力はできると思いました。わたしが怪我をしなかっただけで、救急隊は別の誰かを助けに行けるし、わたしが自分の食事をしばらく用意できるなら、その分他の誰かに物資が届く。ついでに、少しでもわたしがこころにゆとりを持てたなら、バーベキューをする姿に笑ってしまったように、わたしを見て誰かが和むかもしれない。
自分にできる準備を、できる分だけ整える。たったそれだけのことでも、有事の際には大きな助けになると気づきました。だからほんの少しだけ、災害が当たり前にある世界を覚えておこうと思います。
平時が続く毎日でいてほしいけれど、日本は災害大国です。災害は、忘れたころにやってくるのではなく、いつでもどこでもやってくる。日常に溶け込むくらい、災害を身近に感じながら、少しだけ日々の備えを手厚くしてきます。
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