腰痛から、極度のメンタルダウンに至った、この一ヶ月間のお話

9月の初めに、ぎっくり腰的なものをやらかしてから、もうすぐ一ヶ月。この間、自分の体とめちゃめちゃ向き合ってました。正確に言うといまも継続中。そこで見えてきたことについて書いてみようと思います。

腰痛、首筋の激痛、そして慢性頭痛へ。

今回、トレーニング中に腰を痛めて、実際にわたしを悩ませたのは、腰痛そのものではなく、そのあと一週間ほど遅れで始まった頭痛でした。
起きて仕事していると痛くなる。そもそも生理前後や低気圧時などには頭痛が起きる方なのですが、今回のはちょっと違ってて、横を向くとビキッ!と激痛が走る。それを押してしばらく仕事してると、そこからだんだん頭痛がひどくなってくる。でも横になって肩をもんで、背中を伸ばすと楽になってくる。
仕方ないので、オンライン会議でモニターに映る時以外は横になり、スマホでチャット返信したり、しながら仕事していました。(すいません、関係者の方、最近電話で打ち合わせが増えていたのは、外出先だったこともありますが、痛さゆえ、寝転んだ横柄な状態で会話していたことが多かったからです…)

パソコンが商売道具なので、座って仕事できないのはホントにつらい…。まさに商売あがったり。それでなくても今ありがたいことにご依頼が増えているのに、企画のスピードも落ちるし、一件一件、頭痛と戦いながら、絞り出すように企画したり、ライティングしたりしていました。

先の見えない体調不良、そしてメンタルダウンへ

けっきょく37週?38週?だったかな、続けてたブログも途絶えました。寝ては起き、寝ては起きしながら大事な仕事をやっとこ続けているレベルだったので、ブログ書く時間もとれない。ブログ書く時間あったら、仕事しなきゃ…、そんな焦燥感に襲われたり。
月半ばになんとかnote一本は投稿しましたが、それ以外はTwitterすら数日に1投稿がやっと。そもそも発信する気力がおきなくなりました

早朝、効率よくできていた仕事もできなくなりました。とにかく横になってないとすぐ頭痛になったから。せめて息子と朝ごはんを食べる時は、そして保育園に送り出す時までは、できるだけ元気でいてあげたい。頭痛がひどくならないよう、体力を温存する。
頭痛が起きるのを恐れる毎日。でも恐れても頭痛になる、朝起きた数分後には頭痛になってる。なんというか、やる気のすべてが消えていった、そんな感じでした。
「この大事な時期になにやってんだろ…。」経営者としての自覚の有無を自問したり、鎮痛剤が効くまでの間、なんともいえない自責の念にかられながら、ただじっと寝ていたり。

「病は気から」ともいいますが、その逆もしかりで、体を壊したことがキッカケでメンタルが壊れていくこともあるよなーと。病気そのものも辛いですが、その病気がいつ治るのか、どうしたら治るのか、先が見えないっていう状態が一番メンタルにくる。今回は、その片鱗を身を以て体験した一ヶ月でした。

「47歳の自分」を見つめてあげてなかった。

もちろん、頭痛外来にいってCTをとってもらおうかとも考えました。でも頭痛の種類からして脳梗塞とか、腫瘍系ではなさそう。ひねると首筋にビキッとくるあたり、体の歪みからきている神経痛だろうなと。
だったら治せる、いや絶対治さねば。
この一ヶ月はとにかく焦る気持ちを必死で抑えて、「治療」の時間をとっていました。
長年通っている整体の先生にみてもらったり、人に紹介いただいたりした先生に見てもらったり、ヨガを再開することで自分で柔軟性をたかめたり、
長時間同じ姿勢で座らないようにしたり。
そうしたらちょっとずつ、ちょっとずつ、治ってきました。おかげでいまはこうして鎮痛剤なしでも、PC前に座ってブログ書いていられます。

でも今回、こんな事態になったのは、私が私自身を見つめてなかったからだなーとつくづく。

まだまだ働かなきゃ、子ども大きくなるまでに健康でいなきゃ、カラダ鍛えなきゃ!までは良かったのですが、鍛え方が若い頃と一緒だった。若い頃と、もうすぐ47歳の今では、筋肉の柔軟性があきらかに違っているのに。「まだまだ若い!出来る!」と、そんなどこかのガンコジジイと同じように、がむしゃらに鍛えてた、自分をいたわりもせず。

整体の先生に言われました

「筋肉をつけることはいいことだけど、同時に柔軟性もつけないとね。
柔らかくて伸縮性の大きい筋肉なら出来ることを、硬くて伸縮性の小さい筋肉でやろうとすると、そりゃ怪我するよね。」

年齢を重ねて、若くカラダを保とうとするなら、若い頃以上のケアが必要。「自分はずっとスポーツしてきてたから鍛え方は知ってる!」なんてどこかエゴがあったんだろうなと。

でもこれって、ホント仕事でも一緒ですよね。若い頃の仕事の仕方と、老いてからの仕事の仕方は違う。違って然るべき。
同じ良質のものを生みだすにしても、パワーで乗り切れていた若いカラダ、若い脳と、いまでは生みだす源もプロセスも違う。そりゃメンテナンスの仕方も違いますよね。

でも若かった頃の自分も、老いた自分もどちらもわたし。まだまだ完治は知てないけれど、これからも長く付き合っていく自分を、もう少し認めて、癒やしてあげながら、しなやかに生きていきたいと思います。

次回は、このカラダを「治療」をするためにした、いろんことがらについて備忘録がてら書いてみようと思います。

ではまた。

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