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生涯【障がい】スポーツ


#私のスポーツ遍歴
私は、小さいときから、スポーツが大好きで、小学校では、地域のソフトボールクラブ、バドミントン、剣道と、親が通わせてくれました。結局、中学では、軟式、高校では、硬式野球で、甲子園を目標にスポーツしました。大学では、硬式野球がなく、ソフトボール部に入りました。そこが、転機になりました。私の通っていた大学は九州の国立大学で、インターハイでは、毎年私立の大学が優勝するのが、常でした。ところが、私が入った時のソフトボールのメンバーに、恵まれ、3年生のとき、私立の常連校を打ち破り、決勝でした。相手は格上の私立のF大学。私達は、無心で戦い、なんと九州インカレチャンピオンになったのです。後にも先にも、国立大学が優勝したのは、このときだけです。
その後、私は教員になり、およそ40年間教員大会に参加し、全国3位まで進みました。このときの目標は、シニアのチー厶にはいり、国体を目指すことでした。
52才のとき、私に不幸が突然降っておりました。
それは、脳梗塞という病気でした。
左半身に大きな麻痺をもつことになりました。
まさに、天国から地国でした。
しばらくは、リハビリにつとめ、社会復帰だけを、めざしていました。
その時、目にしたのが、バラリンピックで、ガンバっている人達の姿でした。表面的には、何事もないようにプレーされていますが、障がいを、もった方の思いを自分と重ねた時に、並々ならぬ苦労があることを想像しました。
いま、私は、残った右半身をハンディキャプと思わず、むしろ、天命だと受けとも、できるスポーツにチャレンジしています。
ですから、私には、生涯スポーツでまあり、障がいスポーツです。死ぬまで、障がいスポーツ頑張りたいと思っています。あっ、ちなみに、いま、62歳です。脳梗塞から、7年が経ちました。
自分のスポーツ歴を書く場を見つけたのでとうこうしました。
まだまだ、人生は、これからです。
生涯、頑張ります。


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