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〈エッセイ〉演歌について

子供の頃から演歌は好きではなかった。
 
メロディーも軽やかではなく、短調のものばかりで重い。男女間の愛憎を日本人にしか解らぬ言い回しでくどくどと並べたて、唄っている歌手も女性はほとんど着物か派手な洋装で、見ていると寒気がした。
 
ところが年齢と共にじわじわと心の浸透圧が高くなってきて「ああ、意外といいものだな」などと思えてきたのは50歳を過ぎたあたりからだった。時には特定の歌を聴いてホロリと来ることもある。
 
先日仕事から帰ると、「昭和の名曲」というテーマで様々な歌手がステージで唄う番組が放送されていた。食事をしながら何気なく見ていると、石川さゆりが出て来て「天城越え」を唄った。
 
僕は「天城越え」が好きだったから食事の手を停めてじっと聴き入った。何故好きなのかというと、あそこにある女の情念に圧倒されるからだ。
 
  隠しきれない移り香が
  いつしかあなたに浸みついた
  誰かに盗られるくらいなら
  あなたを殺していいですか

「あなたを殺していいですか」などとよく歌詞にできたものだと思う。こんな事を言うなんて男にとっては鬼のように怖い女だ。一旦咬みつかれると絶対に放してはくれないような凄みすら感じる。しかしここに魅力がある。これだけ女に愛されたら男として幸せだろうなと思う。ましてや石川さゆりのような美人がこんな風に自分に迫って来たら、「ああ、どうか殺してください」とさえ言いたくなるから不思議だ。

2022年の日本にこれほどの情愛を持った女性はいるのだろうかと考える。おそらくいないかもしれない。この曲は作曲者も作詞者も男性である。だからこの天城越えに出てくる妖艶な歌詞は、すべて男の密かな憧れの表出でしかない。今の世ではミソジニー丸出しだと思われても仕方がないが、昭和の名曲であったことは疑いない。

そのままテレビを視ていると、石川さゆりの後に北島三郎が出てきた。歌った曲は「与作」だった。

  与作は木をきる
  ヘイヘイホー ヘイヘイホー
  こだまは かえるよ
  ヘイヘイホー ヘイヘイホー
  女房ははたを織る
  トントントン トントントン
  気だてのいい嫁だよ
  トントントン トントントン

究極の歌詞だと思う。
 
ヘイヘイホーそしてトントントンという掛け声と音だけでもって、この歌は聴いている我々に古き日本の杣人夫婦の生活場面を見事に想像させる。私たちの脳裏には、茅葺屋根の下、庵の柔らかな火と煙、そしてそこに静かに暮らす仲の良い木こりの夫婦の姿が一瞬にして見えてくる。

「侘び寂び」を初めとして、日本には外国人に説明するのに非常に骨の折れる文化が多い。

冒頭の天城越えの歌詞を簡単に英訳して伝えてしまうと、おそらく「なんて恐ろしい女だ」と欧米人は誤解するだろう。「移り香」を丹念に説明しきれないと、「なんだ?その女は体臭がきついのか?」と言われてしまいそうだ。行間に漂う女の愛情の深さや、その妖艶さは日本語でしか伝えきれないかもしれない。
 
トントントンやヘイヘイホーもしかり。音の羅列として英訳できるが、平易な表現では実につまらない歌詞に思われてしまうだろう。
 
最近このように日本語でしか伝えることのできない独特の文化に、僕は大いに惹かれつつある。若いころ嫌いだった演歌に興味を持てるようになったのは年齢のせいなのかもしれないが、今後も良い歌に巡り合えたら幸せだろう。

この国の文化は難解であり、そして深い。

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