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〈エッセイ〉火を焚きなさい

夕べ布団に入り、暗い部屋の天井をじっと見つめていた時に、大好きだった詩人、山尾三省の事を思い出しました。彼は詩人であり、哲学者であり、屋久島の白川村で鍬をふるう農夫であり、父であり夫でもありました。

八十年代の初めごろ、出版社に勤めていた弟の紹介で彼とお会いする事ができました。物静かな人物でした。

彼は詩人でありながら、体制に組して大企業の広告塔になってしまうような詩人ではありませんでした。彼の生涯はあくまでもこの国が突き進んで行く市場経済主義に抗おうとするものでした。

ある詩の中の三省の言葉に「わたくしが本当のわたくしである山の孤独に帰ろうしていた時に・・・」という言葉があります。「本当のわたくしである孤独」とはどんなものなのか・・・。それはどんな孤独なのか。夕べはそれをじっと考えていました。

いずれにしても現在のこの日本に、彼のような詩人はもう存在しません。

ここに彼の作品中、僕が大好きな詩を一篇ご紹介します。


「火を焚きなさい」 山尾三省


山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい

少しくらい煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そうしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか --
背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる
夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ
不思議の時
火が 永遠の物語を始める時なのだ

それは
眠る前に母さんが読んでくれた
本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものでもない
お前達自身がお前達自身の裸の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議の物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持で 火を焚きなさい

人間は火を焚く動物だった
だから火を焚くことができれば 
それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 
虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 
必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

山に夕闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色の神殿から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい

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