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オイラのバイク初め

弱冠ともいえないお年頃になった26歳金なし夢追いフリーターなオイラだが、約7年もの間大切に乗っているモノがそう、我が名車SR400通称ロニーマグナム号である!

事の発端は大学1年生の時に遡る。
中1,2の時の伝説「幽霊に取り憑かれて不登校になり勉強しないと不安になる期」の確変に入り受かった進学校に進むも、幽霊を払拭したオイラはボーナスタイムも入らないまま大学受験に失敗も失敗、「世紀の7滑り」とも呼ばれていた頃だ。

当時1人だけ大学が決まってなかったオイラは、高3の卒業式の打ち上げも行かず受験勉強に明け暮れる日々。諦めて進んだ地元にある鬼の底辺大学の経済学部に進み、英語はクラストップの教室に入る事ができるも授業内容はbe動詞から。

「Iの後はamですよ!」

1年もの間必死こいて勉強して入った最初の授業でこの有様だ。しかも間違える人がいるというチンカス様。それでケラッケラ笑ってるクラスメイトのチンゲ顔…。
チャラリーン鼻から牛乳状態とはまさにこの事だ。なんとかその場はやりすご、、せず。


いやはや、この絶望感と他大学のキラキラ生活への劣等感から決めたのが "バイク旅" だったのである。

4年間で日本一周と決め、まずは同年の夏に九州一周をすると決意。
同じくくすぶっていた京都に行った滑舌悪マッチョことアナケンと共にバイク旅生がスタートするのであった。

カフェレーサーなどへのカスタムが豊富で純正もめためたかっこいい。
単気筒でトコトコ振動。そして極め付けはキックスタート。
他のバイクのことは全く知らず調べようともせず、謎にバイク買うならSRしかないとタカを括っていた当時のオイラの判断は今となってはマジでナイスだったと言えよう。

通っていたカス大学近くのバイク屋にこのバイクが1300キロ立ちゴケ、シートのみ変更の素晴らしくいい状態で落ちてたので即購入。
早めの20歳祝いでママンが半分出してくれたのは口が裂けてもいえる。
九州一周の3日前に納車、初乗りが旅だったというのは今でも鮮明にタマキンの裏が覚えているのであった。

当時は、「旅の為の乗り物」とまで思っていたが日に日にバイク熱が上昇。
18.9歳そこらの大学生の小童が、男から漢にしてくれる最高の相棒になっていくとはこの時はまだ知る由もなかった…。


つづく


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