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Sony α1が僕たちにもたらすもの


とんでもない化け物をSonyは生み出しました。

50.1megapixels × 30fps  AF/AE追随連写に
ブラックアウトフリーとアンチディストーションシャッター
動画も8K 30p、4K 120p 10bit対応
それ以外も基本的に既存機を上回るスペックを搭載して
お値段はきゅうじゅうまんえん。

TwitterもYoutubeのチャット欄もそのスペックを絶賛する声で埋め尽くされました。

もちろん、どの点を切り取っても他メーカーよりもスペック的には優れており、日の打ちどころがありません。「ぼくのかんがえるさいきょうのカメラ」を現実にしたらこんなα1のような製品が出来上がるのではないかというレベルでぶっ込んできました。これはもはや緊急事態宣言です。

しかし、ちょっと待ってください。

何せ5000万画素もあるので14bit Rawの撮影データは1枚100MB超えます。
みなさんはこの意味を考えたことがありますか?

現像大変だよね?PCのスペック上げなきゃだよね?
・・・いえ、そういうことじゃないんです。



100MBのデータなんて文章でも音声でも本来それなりの中身があり、何かに役に立つものです。ミリオンセラーのゲーム、ファイナルファンタジーIV、V、VI(スーパーファミコン版)のデータ容量をすべて足しても18MBにもなりませんし、みなさんの大好きなYOASOBIの「夜に駆ける」のMP3データはせいぜい3-10MB程度です(雑)。一方α1で撮った写真データはその10倍ものデータ量を持ちながら、誰も見向きもしない可能性があるという残酷な事実。

大きなデータなのに活用されなければそれはただの100MBのうんこです。

つまり、最強スペックでこの世の写真に関わる困難を断ち切る神の与えし聖剣であると同時に、使い方を間違うとシャッターボタンを軽く押すだけで100MBのデータを生み出せるうんこ製造機、それがSony α1(5000万画素)です。

容量だけならα7RIVのほうが大きいでしょう。しかし今回発表されたこのα1、秒間30連射できるため1秒で3GBものうんこを絶え間なく垂れ流すことが可能です。さらにPhotoshopで丁寧に加工しようものなら、そのうんこが限界を突破して1枚4GBほどに肥大する事態になるという衝撃的な研究結果があります。30連射できるうんこ、そして脱糞後に加工するとなぜか40倍までに増えるうんこ。現実的に考えると質量保存の法則を無視した完全になる狂気の産物でしかありません。大友克洋氏によるアニメ映画「AKIRA」後半の哲雄暴走シーンを彷彿とさせます。静かに、そして確実に滅びの日は近づいています。

なおAdobe Creative Cloudではその巨大なデータをクラウド上に保存することが可能ですが、それはもはや雲の上のうんこ・・・
雲をつかむような話、という表現がありますが、実際掴んだのがうんこだった場合はどうしたらよいのでしょうか。ちなみにうんこは古い雲と書くようです。
最近停止しましたが、NAS(ネットワークアタッチストレージ)からAmazon プライムフォトへの写真データの自動バックアップという寝ている間に遠く離れたどこかにうんこが倍増する、というサービスもありました。とても信じられないことです。

もちろん、せっかく撮った写真をうんこにしないために、最低限人に見てもらおうとSNSを使うのは妥当な話です。Twitterにアップする際はさすがに容量が1枚2-3MB程度に小さくなりますが、圧縮されたうんこであることに変わりはありませんし、なんなら元データは残っているので、うんこの総量は増えている、ということになり、エントロピー増大の法則に逆らえない我々の運命に悲しみを禁じ得ません。自分のために撮っている場合はもちろん他の人に見せなくてもかまいません。しかし、ほとんど振り返ることがなければそれはやがてすべからくうんこになります。

そして困ったことに大きなデータはより高パフォーマンスなCPU、より大きなメモリ容量、ディスク容量を要求し、必然的にそれはより大きな電力負荷を生んでいきます。
・・・なんということでしょう。うんこであればやがて土に還り、肥料となって大いなる恵みへと遷移していきますが、このデジタルうんこデータは半永久的に電力を食い続けるだけでなのです。
みなさんはこの1月に日本国内の電力が大ピンチだったことをご存知でしょうか?
エコだサステナブルだと自然エネルギーを求めても裏では電力会社が必死こきながら電力をやりくりしてなんとか凌いでいるという事実を見過ごすことはできません。もし停電したとしたら・・・社会機能とともに多くの命が失われることも否定できませんし、そうでないとしても悪戯に電力を消費することに一体どんな意味があるのか、そろそろ考える時期が来ているのではないでしょうか。

地球のために、自然のために今私たちは何ができるのか?
そして未来の子供たちに何ができるのか?
それは決して14bitうんこを垂れ流し続けることではないはずです。

未来志向なフォトグラファーになるためには我々は今何をすべきでしょうか?トイレに入って少し考えました。

・・・ライカです。


α1の発表直後、Canonへは哀れみの鎮魂歌、Nikonには呪詛の絶叫、そしてSonyの勝鬨の声が轟く殺伐としたTwitterのタイムライン。Sonyの話題なのにそれと対比されるTweetが大量発生したためにNikonがトレンド入りするという巻き込み事故も発生する中、それにも関わらず淡々と「ライカもってるからいいや」「そう言えば俺ライカ買ったばっかだったわ」「ライカあるしな」と完全にマイペースなライカ勢。


お分かりいただけたでしょうか?
もはや「賢者モード」状態でピクリともしないその様子は厭世した修行者のようであり、はたまた救世の聖人のようでもありました。現世の衡(くびき)から解き放たれているのがライカです。今すぐ弘法大師様のようにズマロンズミタールズミクロンズミルックスと繰り返し10万回唱えて自由になりましょう。ファインダーの向こうで二重像が合致すればそこに浄土が見えるはずです。

予測して丁寧にシャッターを切る、ピントを合わせて1枚ずつ丁寧に撮る、そんなライカらしくシンプルで何気ない撮影行為の積み重ねこそがうんこで溢れかえりそうなこの世の中を少しずつ変えていくのではないでしょうか?ひゃくまんえん。

技術の進化に甘え、大容量の連写で悪戯にうんこを増産するのではなく、1枚ずつ慈しむようにシャッターを押し、1と0で形成されたデジタルデータを時には「ありがとう」と感謝してゼロの海に返しながら、また現世に循環させる。
そんなエコでサステナブルな撮影が今フォトグラファーに求められている気がします。テクノロジーのあり方とともに何を撮り、何を残すべきか考える局面にきているのは間違いありません。

何が言いたいかというと



とにかくひゃくまんえんほしい。



あと時々写真も見返したりプリントアウトしてあげたいですね。うんこにしないよう、撮った写真を愛してあげましょう。

・・・以上です。


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