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嵐田さんの新書「カメラじゃなく、写真の話をしよう」を読んだら知恵熱が出た話

当初noteのタイトルを「カメラじゃなく、ライカの話をしよう」にするところでしたhirotographerです。まるでラーメンじゃなく、二郎を食べようみたいなノリですね。タイトルを間違えるのはホントに失礼な話だなと思い、あわてて書き直しました。

これはカメラじゃなくライカを買ってしまった無様な男の読書感想文。
繰り返しますが課題図書は嵐田大志さん「カメラじゃなく、写真の話をしよう」です。

なお今回の写真は同氏の前著「デジタルでフィルムを再現したい」のプリセット を利用させていただきました。よかったらそちらも合わせてご覧ください。お会いしたことはないので完全に個人の趣味です。

さて嵐田大志さんの本を開いて数ページ目次の段階ですでにグーで殴られます。
ただし、とってもやさしく。

「よい機材で撮る=良い写真ではない」理由

ライカというある意味では沼の最深部に位置すると言っても良いカメラを手にした私はこれで自分の写真が少し変わるんではないかという淡い期待を抱いていたことをすでに見透かされているこの感じ。episode1の最初のパラグラフのタイトルが「カメラ沼、レンズ沼」です。新レンズをポチッとしそうになっていた右手人差指がビタッと止まりました。

ちなみに全体を通して料理に例える表現がとてもわかりやすくて、料理好きの自分には刺さるのですが、

「よい包丁を買っただけで『美味しい料理』を作ることはできないと多くの人が理解できるのに(中略)よいカメラがあれば『良い写真』を撮ることができると思われがちなのです」

このフレーズには核心を柳刃包丁で突かれた気がしてハッとしました。
そして思わず我が家の包丁を数えたところ、
・・・なんと10本もありました。

まずい。これは非常にまずい。
もう既に嵐田さんの術中にハマっているのではないか?とすら思えてきます。
出刃と柳葉が2本ずつあるし、アジ切りはふるさと納税でゲットしたものの一度くらいしか使っていない。なんならこの時点で既に包丁の話に私が脱線していることが現実を見ないようにしている、という証左です。そんな状況ですからカメラについてもお前はライカで撮ってますといいたいだけとちゃうんかい?ライカをネタにnoteを書きたいだけなんじゃないんかい?そんなエセ関西弁でどこ出身とも存じ上げない想像上の嵐田さんがやさしく突っ込んできます(お会いしたことない)。

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そして、理解しました。これは「写真に関する呪いを解く本」なんだなと。
呪いというのは「こうあるべきだ」「こうじゃないといけない」「これがセオリー」というような誤った思い込み、呪縛のこと。
特にこういった呪いはSNSという装置を通すことで増幅する傾向にあります。
自分としては「いい写真」を撮ってるつもりだったのに全然SNSでの反応がない。ここで少し失望するのが呪いの入り口の一つです。
そして魅入られたように、テクニックによって他人と差別化したり、
レンズを買うことで人と違う写真を撮ろうとしたり、人気の美しい場所だけを撮ることでいいねをもらおうとしたりしてしまう。
決して悪いことではないし、楽しめる分にはいいのですが、「他人とは違う写真を外因的要素で獲得しようとした結果、他と同じどこかで見たような写真になってしまうというジレンマ」に陥ってしまう可能性を孕んでいます。「自分ではない誰かの写真を撮る」「自分が本当に撮りたいものかどうかわからず撮る」それは写真を始めた初期においてはきっと必ず経験するイニシエーション(通過儀礼)的なものかもしれません。それがエンドレスに続いてしまうのはきっと呪いです。
逆に内発的なモチベーションを持っていれば他の人と同じ場所を撮っても自分だけのアウトプットが出来上がると思っています。
SNSで受けるものとそうでないものと、自分の好きなものそうでないものが分離できるまで私個人もちょっとこの呪いにかかった時期がありました。

嵐田さんの著書はそんな諸症状に効く処方箋といってもいいでしょう。
ちなみに本処方箋で呪いを解かれても、決して眠れる美女が目を覚ましたりはしません(願望・妄想)。その点はしっかりご理解いただき、ノークレーム、ノーリターンでお願いします。

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ちなみに私個人の機材の失敗で言うとバブルボケで有名なMeyer Optik Goerlitz Trioplan 100mm F2.8(復刻版)というレンズがあります。このレンズそのボケ味が如くクラウンドファンディングがハジけて倒産したというまさにレンズ特性が生き様となった伝説のレンズであり、利用のたびに哀愁を禁じ得ませんでしたが、 買ったはよいものの結局使いきれず転売しました。そしていつの間にか2020年に再度復刻しているあたり、まさに泡沫(うたかた)のように、「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし(方丈記より)」です。本当に自分はバブルボケ写真を撮りたかったのか?答えはNoです(キッパリ。

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テクニックに関して言えば、最近盛り上がっているclubhouseの中で某御仁が
「以前は専門書を見ないと手に入らなかった撮影テクニックが今はすぐに手に入るのでそれを利用することに皆がひた走り、結果として最近写真を始めた人ほど『古い写真』を撮るようになっている」という話がありました。同じような指摘がこの本の中にもあります。

SNSは刺激の宝庫です。
「ストロボ使ってこんな写真撮ってみたい!」
「ここに行ってきれいな写真を撮ってみたい!」
「こんなにきれいに撮れるカメラがあるんだ?使ってみたい!」

それ自体は決して悪いことではないし、そういうことがきっかけになって写真を始める人も多いでしょう。その先で自分の写真を模索していける人もいれば、躓いてしまう人もいると思われます。そんな人にスッとやさしく寄り添いつつ、時には支え、ちょっとだけ「で、あなたは本当は何が撮りたい?」とほどよく突き放してくれる感じ。これが嵐田さんの今回の著書「カメラじゃなく、写真の話をしよう」なのだと思います。

ちなみに全体を通して押しつけがましさがないところがモテそうでずるい(嫉妬

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ただ、一番難しいのはそこから裸にカメラ一丁の状態で自分の写真を探していくことではないでしょうか。後半では、写真はパーソナルなものであることを前提に視野を広げてくれるような「こうやってみたらどうか?」「こういう考え方もあるかもしれない」「こういうバランスがおすすめだと思うけど?」「僕のは場合はこう考える」と次の一歩を踏み出す示唆にも富んでいて、ちょっとした道標を与えてくれます。

読了途中でウイルス性胃腸炎に倒れたため、39°の知恵熱を出しつつやっと2周目を終えたのですが、121ページの写真に私の大好きなブッラータチーズが載っていることも見逃さないくらいには読み込みました。おそらくは渋谷チーズスタンドのものではないか?もしかするとエリオ・ロカンダだろうか?となりのページのカリフローレの写真も最近では取り扱いが増えたもののなかなかマニアックなチョイス。オオゼキあたりで調達されたのではないかなどと勝手に妄想します。そう言う観点でも楽しめますし?、散りばめられた素敵な写真たちにも目を奪われる、写真に迷った時誰かに相談するようにときどき見返したくなるような本でした。

それでは最後に最近出会った宝石のような言葉をご紹介してこのnoteを締めたいと思います。

「良い写真」を作ろうとし過ぎないで。あなたの目の前の光景に何かを感じたその「理由」にシャッターを切ることを心がけてください。あなたにはあなた独自の視点がある、すべての解釈はあなたが今まで人生の中で培ってきた大切な経験の宝なんです。あなた自身を信頼してください。肯定してあげてください。自己肯定意識下で街や人々を向き合えば、きっと全ての被写体があなたに心を開いてくれます。あなたの手元にある写真は、それはあなたがシャッター以前に存在していたという証です。


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おや?誰か来たようだ?(台無し

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