あの子に憧れて、あの子になりたくて
3週間ぶりに外に出た。
あの子に似せた服装をして、あの子のようにカメラをぶら下げて。
そうすれば楽しい人生に変わるんじゃないかと思って。
扉を開けた瞬間、ぬるい風に包み込まれた。この前外に出たときはまだ冬物のコートが必要なほど冷たかったのに。
3週間前はどうして外出したんだっけ。ああ、そうだ。なんだか妙にコンビニの唐揚げが食べたくなって買いに行ったんだっけ。
徒歩2分のところにあるコンビニ。私のようなどうしようもない引きこもりにも平等に、機械的に対応してくれた。
あの子はコンビニになんか行かないのだろうな。
SNSにアップされた食事はどれも綺麗に盛り付けられているものばかり。私みたいな人間には一生縁のないであろうお洒落なカフェに当然のように入ることができるのだろうな。
それを許される人種。
私にはきっと許されないのだ。
あの子に憧れていた。
あの子になりたかった。
雑誌で見たあの子は、ふんわりとした薄手のニットにジーンズを穿いたさりげない格好で、首からカメラをぶら下げていた。
フォトグラファーなのかもしれない。
SNSにも頻繁に写真をアップしているし、その推測はまあ、正しいだろう。
柔らかい日差しに包まれて、カメラ片手に街を歩き、撮った風景が多くの人の心を魅了する、私と同い年の女の子。
眩しくて仕方がない。
日の当たらない部屋で1日を終え、ネットで注文したカップ麺で生き延び、何も生み出さず、何も成し遂げず、誰にも存在を認識されない、社会のクズのような私と何もかもが違う。
眩しくて仕方がなかった。
目が眩んでどうにかなりそうだったから、私はあの子になることにした。
3週間ぶりに外に出たけど、なんてことない日常だった。
私は私のままだし、周りの風景も変わらない。
どうしてなのだろう。
あの子が生きている世界とは何もかもが違う。
あの子が生きている世界はもっとキラキラとしていて、生きているだけでワクワクするような出来事の連続なのだろう。
そんな世界に行きたい。
そこでなら、きっと、私だって。
私を構成するすべてへ
私は私であることに疲れてしまった。
私は私であることに飽きてしまった。
私をまるごと包み込んでくれる愛などいらなかった。
私を認める価値だけを教えてほしかった。
道端で転んだら、すりむいた膝から血が滲んで見えた。
ドクドクと脈打つ感覚がいつもより強い。
どうして私であるということはこんなにも退屈で、ありふれていて、嫌になるのだろう。
目を背けたくなるような現実なのだろう。
どうして私には何も欠けていないのに、何もないのだろう。
そう、何も欠けていない。
いつのまにか膝から血が伝ってふくらはぎに線を描いていた。
ドクドクと脈打つ感覚、それすらも愛せない。
他でもない私を流れていた血、それすらも愛せない。
私を構成するすべてのものは、目を背けたくなるような現実。
彼らにとっては私しかいないというのに。
今はそれが重い。
私を構成しているということが、途方もなく申し訳ないように思える。
逆光が強い。
私はまだ向き合えないでいる。
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