ネイティブ主義について
昨日は、所属している大学と他大学で年1回開催している合同研究セッションがありました。年1回、数人が研究成果を発表しあうというものですが、いつも、自分の研究テーマの探究や英語教授法の改善のためのヒントが得られる貴重な機会となっています。
今日の話題の一つが、"Native-speakerism"というものでした。ビジネスの世界でも学術の世界でも、国境を超えた連携が進む中で、英語がいわゆる「ネイティブスピーカー」たちの所有物であるという存在から、世界中で英語を仕事の道具として使う人たちの持つ共有財産に変わりつつあるという考え方が広まりつつあります。しかしその一方で、世のさまざまな局面で、「でもやっぱり英語を学ぶならネイティブスピーカーから」とか「英語教師を雇うならよくできる日本人よりもネイティブスピーカー」といった、いわば「ネイティブ信仰」的なものがある、これが現実ではないでしょうか。今日の話題となった"Native-speakerism"も、そのような点をとらえた言葉遣いのように思います。
かつて、私の日系アメリカ人(3世)の友人から、日本で英語教師の仕事を探している時に、欧州のノン・ネイティヴの人に負けてしまったという経験を聞いたことがあります。その欧州の人は、フランス人だったかロシア人だったか、いずれにしても肌の色が白い人だったようです。今回の発表では、"Native-speakerism"の背後には、この例に見られるような人種的にネイティブを捉える見方とか、国によってネイティヴを捉える見方だとか、さまざまな要素があるという指摘もありました。
純粋に、しっかりとした英語力を身につけたいと思えば、どんな肌の色をしたどこの国の人かということよりも、その人の英語そのものの能力や教え方の技術で判断すべきであるのに、"Native-speakerism"によって、われわれは、英語能力を伸ばすという目的に照らしてみると、非合理的な判断をしていることも多いかもしれないなと考えさせられました。
話は、変わりますが、研究会のメンバーには、著名な松坂ヒロシ先生(かつてNHKのラジオ英語講座講師を長くつとめられ、最近の朝ドラでも名前が上がっていました)もいらして、退職後も精力的に仕事をされているとのこと。英語の音の専門家である先生が、顎の骨を見せて行われていたユニークな英語発音の授業を、本の形で私たちに教えてくださることになったようです。
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